小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住17年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
日本に出張で帰ると、私には奇異に映る光景が幾つかある。日本の電車では老若男女を問わず、乗客が席を取り合う。バンコクの電車では老人や女性がいると皆、率先して席を譲るのが当り前である。ところが日本では、若い学生であってもドアが開くと走って席を目指す。そしてすぐに携帯電話を取り出す。よくよく見ると、座席に着いている人の8割程度の人が携帯電話をいじっている。それとなく観察してみているとメールやラインを送っている人、ゲームをしている人、ブログを読んでいる人など様々なようである。しかし無言で黙々と携帯電話に向かっている姿は、私には気持ち悪く映る。
◆スマホ登場で激変した日常の風景
私にとってもっと解せないのは、レストランやカフェで若い男女が向かい合って座っているに、2人はほとんど話もせず携帯電話をいじっているのである。これでは何のためのデートなのかわからない。ひょっとしたら2人テーブルで向かい合いながら、メールで会話のやりとりをしているのではないかと勘ぐってしまう。
タイではさすがにこうした光景にはお目にかかれない。今、原稿を書きにバンコク市内のスターバックスに来ているので、店内を見まわしてみる。私の前の方の席にいる白人カップルも、横の席にいるタイ人カップルも笑いながら会話を楽しんでいる。店内で携帯電話をさわっているのは、1人でお店に来てコーヒーを飲んでいる数人だけである。
携帯電話がなかったり、つながっていなかったりするとパニックになる症状を「携帯電話依存症」と呼ぶそうだ。先日何気なくテレビを見ていたら、こうした「携帯電話依存症」になった人を更正(?)させる番組をやっていた。参加者から携帯電話を取り上げトレーナーが預かったあと、離島に向けて2泊3日の旅に出るのである。青い海と緑の島を楽しむことにより、大都会の喧騒(けんそう)を忘れさせる。参加者同士で話をさせることにより、会話の楽しさを思い出させる。研修の最終日には参加者全員が晴れやかに携帯電話依存症からの決別を宣言するという内容であった。
ここまでしなければ携帯電話依存症から脱却できないのかと考えると、空恐ろしくなる。幸いにも、私が育ってきた時代には携帯電話などなかった。私がタイに赴任してきた1998年、会社から貸与された携帯電話は高さが30センチくらいあり、重さも2キロほどあったと思う。とても仕事に携帯していく気分にはなれず、机の上に置きっぱなしにしていた。無線回線網の整備に伴い、2000年に入ってから携帯電話は急速に普及。07年にはアップルがアイフォーンを発表。電話通信機能のみならず、メールやゲーム、カメラ、娯楽機能が付加されたスマートフォンがその後は世界標準となっていった。携帯電話依存症が急速に広がっていったのはこのスマホの登場が大きいが、このスマホが登場してからまだ10年もたっていないのである。しかしながら、コンピューターに疎い我々アナログ世代は恐る恐る新しいIT器具に触るため、スマホが登場しても携帯電話依存症に陥ることはなかった。
◆スマホ紛失、一時パニック状態に
ところがである。先日会社の旅行でシンガポールに行き、土曜日にユニバーサルスタジオで遊んだ時の話である。用心深いというより臆病な私は、盗難を恐れて財布とスマホはズボンのサイドポケットにしまっている。また私は高所恐怖症であり、ジェットコースターなどのスリルある乗り物は死んでも乗りたくない。ということで、ボートでゆっくり劇場内を周回するような出し物を選んで楽しんでいた。
アニメーション映画「シュレック」をモチーフにした4D劇場も怖くなさそうなので入場した。劇場で渡された特別なグラスを付けて映画を見ると浮き上がる映像に迫力が増す。主人公が乗る馬や竜が駆け上がる度に椅子が前後に動き、更に臨場感が生まれる。臆病な私でも十分楽しめる内容であり、すっかり興奮して劇場をあとにした。
ところが、右ポケットに入っているはずのスマホの重みを感じない。多分椅子が前後に動いた際にズボンのポケットからずり落ちたのだろう。あわてて劇場に戻り失ったスマホを探すが、薄暗い劇場で自分がどこに座っていたかも定かではない。そうこうするうちに次の入れ替えの人達が劇場に入ってきた。私は早々にあきらめ、ユニバーサルスタジオの従業員のすすめに従って遺失物届の登録を行った。あとからガイドに聞いた話であるが、シンガポールのユニバーサルスタジオでは95%以上の確率で高価な遺失物は返ってこないという。観客は世界中から集まってくるし、加えて「シンガポール人の従業員は遺失物を見つけても返さない」という。
さて、それからが私のパニックの始まりである。「まず電話連絡が出来ない。もしこのシンガポールで会社の同僚達とはぐれてしまったら、どうやって連絡をとればよいのだろう? また今この時間にも他の人から電話が入っているのではないだろうか? そうだ、時間もわからない。昔から私は腕時計を持ち歩かないが、最近はすっかりスマホに時間を頼りきっている。
そう言えばスマホに登録していた電話番号がなくなってしまった。月曜日からは電話もかけられず仕事にならない。もう一度、1万5千枚の名刺から再度電話番号を登録しなおさなければいけない。最近では備忘録としてスマホのメモ機能を活用していたが、これも全部なくなってしまった。これを思い出すことはほぼ不可能なことだ。そうだ、スマホがないので今は検索機能も使えない。」こんな考えが頭の中をぐるぐると回り続けた。
幸いなことに私の優秀な秘書は、月曜日に私が会社に出勤すると早速警察への遺失届けなど必要な事がらをテキパキと処理してくれ、その日の午後2時には私の手元に新しいスマホが届いた。この新しいスマホに所有者登録処理を行うと、クラウド機能を通してバックアップ情報が同期化され、電話番号やメモ情報などがほとんど復元した。趣味の音楽は3000曲以上スマートフォンに登録してあったが、既購入済みのソフトプログラムと共に自宅のパソコンから復元できた。私のパニックは2日で完璧に終わったのである。
◆便利さに慣れ親しんでしまったツケ
しかし、あのパニックに陥った自分は何だっただろうか。実は私も携帯電話依存症になっているのではないだろうか。こんな思いから、携帯電話依存症とは何なのか、インターネットで調べてみた。
医学的には確立された用語ではなさそうである。以下の症状が三つ以上表れると「携帯電話依存症」と定義されるのが、諸説の最大公約数のようである。①家に電話を忘れると不安②電車などの優先席で電話を切らない③仕事中でも携帯電話をチェックする④仕事中、携帯電話を見える場所に置いておく⑤電車やバスに乗ったらメールする⑥運転中にも携帯電話をいじる⑦仕事中でもメールが来たらチェックする⑧対面にいるのにチャットで会話する⑨15分以上返信がないとイラつく⑩風呂やトイレまで携帯電話を持ち込む。
皆さんはいくつの項目に該当したであろうか。幸いなことに私はギリギリのところで携帯電話依存症になっていないようである。
この携帯電話依存症になると学力低下や睡眠不足、さらには交遊関係の悪化につながるようである。ラインを通じて青少年のいじめが起きているのは最近の報道を見ればよくわかる。否、青少年だけでなく“ママ友”のトラブルなど大人の間にも発生しているようである。
私はこの携帯電話依存症から悪影響はまだ受けていない。しかし今回、シンガポールで起こった“事件”での自分のろうばいぶりを振り返ると、やはり反省せざるをえない。その昔は携帯電話がなくても友人と待ち合わせ出来たし、団体行動もとれた。腕時計を持ち歩かないのは生まれてこのかたずっとで、携帯電話を見ることができなくても街中にはいくらでも時計がある。もし街中の時計がなくても人に聞けば良い。スマホの電話帳やメモ機能、検索機能も何も常に携帯しなくても人は生きていける。
あまりにも自分が便利さに慣れ親しんでしまったようである。自分の生存能力機能の低下を発見すると共に、再度生きるたくましさを身につける必要性を感じた今回の“事件”であった。
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