引地達也(ひきち・たつや)
コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャローム所沢施設長。ケアメディア推進プロジェクト代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。
◆指針がなくなった
健全な組織とは何か。プロ野球・巨人の野球賭博問題から広がるチーム内での「声だしご祝儀」「ノックでエラーしたら罰金」などの「不正」にふれて、あらためて自分が関わる精神疾患者向けの施設というコミュティーでありチームへの影響を考えている。
世の中で「不健全」とされている今回のプロ野球チームの行動により、私は障害者の就労移行支援を行う者として、彼らを支える規範や与えるべき生きる指針が一つなくなった、と重く受け止めている。
お金以上に大事なことのために成し遂げられる何かに、人は勇気づけられる。スポーツの技を磨くこともそのうちの一つ。この純粋な思いこそが、何かができるという些細(ささい)な可能性に通じ、事業所というコミュニティーづくりの重要な考え方でもあった。しかし、今回の件でプロスポーツのチームやアスリートを模倣(もほう)することはもはやできないのだろうかという寂しさを感じている。
◆肯定論の恐ろしさ
基本的にスポーツをみるファンの目は健全を求める。公平な判断のもとで決される純粋な勝敗こそがスポーツを支える基本。私が施設の利用者や、悩みある方との面談において、スポーツのアスリートを引用しながら「純粋に生きる」ことを時折お話しするのは、勝敗という「公平」な判断の世界に身を置く人たち(または集団)の純粋性を信じたうえで、小さなことでも行動に移してみることや、小さなことを続ける大切さを勧めて、その小さな一歩を称(たた)えることを繰り返してきた。今回の事件はスポーツからの引用が「すっきり」と出来なくなってしまうから、やはり寂しい。
さらに恐ろしいのは、金を稼ぐという点から見れば、同根であり問題はない、という肯定する見解の跋扈(ばっこ)である。モチベーションを上げるために常に金銭が必要となれば、人は何のために生きていくのか、という答えが迷走してしまう。迷いの中にいる方々と接すると、迷いから脱する道は、純粋なる思いの行動をどこかで示せるかがポイントとなるのだが、それは、金銭とは離れた場所にある。
◆「生きる」根源的な問い
事業所という他人同士が集まる場所で、各個人の金銭感覚はまちまちだが、多くは就労を求めているため富裕層はいない。中には経済環境が相当苦しい人もいる。金銭のやりとりを厳禁にしているのは、収入や金銭とは関係なく、生きる、という根源的な問いを考え、行動として提供するのが福祉施設だと考えているから。その上で就労という形の社会参加で経済的自立を促すのが私の仕事で、決してお金の存在は消すことはできない。
私たちは労働の対価である報酬というものを得て社会生活を営んでいる。私も人を支援する活動を行っているが、事業所は公的機関からの認可事業として営業し対価を得ている。個人に頼まれるものは基本的にボランティアで行うという棲(す)み分けをしているが、時折、混在する時もある。この距離感こそが、社会人として学ぶべき第一歩。誰もが成し得ない人間の驚異に近づくアスリートには、人に夢を与えるという使命に重みを感じ、金銭との距離をわかってほしい。そしてもう一度、純粋な姿で社会の規範になってほしいと願っている。
■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link
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