宮本昭洋(みやもと・あきひろ)
りそな総合研究所顧問。インドネシアのコンサルティングファームの顧問も務め、ジャカルタと日本を行き来。1978年りそな銀行(旧大和銀)入行。87年から4年半、シンガポールに勤務。東南アジア全域の営業を担当。2004年から14年まで、りそなプルダニア銀行(本店ジャカルタ)の社長を務める。
◆「配車アプリ」普及の波紋
インドネシアの政治経済の中枢が集中する中央ジャカルタ市で3月22日、国会議事堂や大統領官邸の前に大手タクシー会社や乗り合いバスなどの公共交通機関の運転手が加盟する組合の総勢約8千人が集結して大規模なデモを行ったため、ジャカルタ市内中心部の幹線道路は終日大渋滞となりました。
スマートフォンを活用した「配車アプリ」のタクシーやバイクタクシーの利用客が割安な運賃と利便性によって急速に伸び、その反動で大手タクシー会社や乗り合いバスの乗客が減少。デモは、このままでは死活問題になるとして、組合員が配車アプリサービスの運用禁止を政府に訴えるために行ったものです。
欧米はもとより東南アジアでも、様々な規制の壁に直面しながらも配車アプリを使ったタクシーのサービスは着実に普及しています。
このサービスはそもそも、起業家精神にあふれるハーバード・ビジネススクールを卒業したマレーシア人の華僑がマレーシアで配車アプリサービス会社「グラブ」(Grab)を創業し、2014年にインドネシア市場に参入したものです。また、個人所有の車をタクシーサービスに活用する米国発祥の同様の配車アプリサービス会社「ウーバー」(Uber)は昨年、インドネシア市場に参入しました。さらにハーバード・ビジネススクールの同窓でグラブのアイデアを取り入れたインドネシア人が始めたのが、「ゴジェック」(Gojek)という配車アプリのバイクタクシーです。
ハーバード・ビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授は、ビジネスにおける「破壊的イノベーション」の提唱者として有名ですが、まさに彼の教え子たちが実社会で、破壊的イノベーターとして既存ビジネスに挑戦しているのが配車アプリサービスです。
これまでインドネシア庶民の足となってきた乗り合いバスでは、車両の整備不良や運転手の無謀運転に起因する乗客の死亡事故が多発したため、ジャカルタ州政府は数多くのバスの運行停止を命じました。また、大手タクシー会社の硬直的な料金体系と運転手の高い離職率と質の低下により、庶民は既存のサービスに不満を抱き始めていました。
その隙間を突いて安全安心と利便性を売り物にした新たな運行サービスが庶民に受け入れられ、急速な普及に結びついているのです。とはいえ、乗客の低迷で売り上げが激減した民間タクシー会社を含む公共交通機関が怒りをあらわにするのも無理はありません。
◆優先されるのは法的要件か利便性か
グラブとウーバーの両社は、これまでインドネシアに駐在員事務所を設置していただけで、外国投資認可窓口である投資調整庁に届け出ていたビジネスの業態は、前者がソフトウェア開発、後者は市場コンサルサービスでした。
ウーバーは、当局からの警告を受けて現地法人を設置しましたが、ビジネスの業態はウェブポータルサイト運営となっています。インドネシアでの公共交通機関としての法定設立要件は、納税法人を設置し公共交通機関として各種認可を受け、車両の定期点検の実施などを義務付けています。しかし、両社ともその要件を満たしていないことから、競争条件が不公平であるというのが業界団体の指摘です。
ちなみに、インドネシアのタクシー会社最大手のブルーバードタクシーの初乗り料金は7500ルピア(約65円)で、1キロごとに4千ルピア(約35円)が加算されるのに対して、グラブは初乗りの基本料金が2500ルピア(約20円)で、1キロごとの加算は3500ルピア(約30円)とかなり安い料金設定になっています。
この事態を重く見た運輸大臣は、情報通信大臣に対して両社のアプリによる通信の認可を停止するように命じましたが、ジョコ・ウィドド大統領は「国民に利便性のある新たな交通サービスに関して既存の規制を理由に停止すべきでない」とその命令を撤回させました。
とはいえ、公共交通機関に課される法的要件を充足することなく必要な営業コストを免れ、顧客を奪われている民間タクシー会社から見れば、事態は容認できないものです。このような経緯もあり、3月22日の中央ジャカルタ市内での大規模デモにつながったため、ジョコ大統領はようやく重い腰を上げ、民間タクシー会社と配車アプリタクシーの両社に公平な行政措置を取るよう関係省庁に指示しました。
余談ですが、グラブの投資家でもある華僑財閥リッポグループのジェームス・リアディ総帥の子息が事態打開のため、フリーポート株の譲渡に関する裏取引疑惑で国会議長辞任に追い込まれたスティア・ノバント氏を伴い、運輸大臣に営業継続の陳情をしたと報道されており、華僑財閥の裏舞台でのロビー活動も活発化しています。
運輸省は、事態の解決策として、アプリサービス両社に対して新たに共同組合傘下組織となることで納税法人格を持つように要請。さらに既存の公共交通機関が取得している許認可を5月末までに取得するように義務付けています。
ただし、その期限を過ぎれば営業を停止するという条件です。両社はカーレンタル会社との提携などを通じて要件を充足させる方向で対応を検討しているもようですが、自社で車を所有しないビジネスモデルで規制をクリアできるのか予断を許しません。
スマホのIT技術と運行サービスを融合させる配車アプリのビジネスは、利用者に安全安心と利便性をもたらし、支持を得ながら既得権益層に挑戦しており、政府の行政対応能力が問われています。
クリステンセン教授の「破壊的イノベーション」では、既存企業が成功体験に慢心せず自ら破壊的イノベーションの開発を進めるように提唱しています。インドネシアの民間タクシー会社もアプリサービスなどを開始して新しいサービス競争が生まれるきっかけになるのでしょうか。
◆金融危機管理法に懸念
一方、インドネシア中央銀行は、国内インフレ率が4%台で比較的落ち着いて推移しているのを確認。今年に入り3カ月連続で政策金利の引き下げを実施し、6.75%としています。このような政策金利の引き下げを受けて、金融庁は国内の各金融機関に対して年末までに貸出金利を1桁台にするように求めました。
S&Pは金融業界の不良債権比率は年内にも3%台に増加すると予想しており、経済減速下で信用リスクが高まる中での貸出金利の調整は容易でなく、当局の過剰介入が銀行の経営のリスクを増大させ、収益性を奪う可能性があります。
特に、インドネシア銀行業界(国営、民間商銀、外国銀行支店、合弁銀行)は国営銀行のマンディリ、BRI、BNIと民間銀行BCAの4行で低コストの預金の大半を吸収している寡占状態にあり、競争条件が同一でない120行全体に貸出金利の低下を促すのは無理があるのです。ここにも不公平競争が存在しています。
さて、国会では長年の懸案であった「金融危機管理法案」がようやく可決しましたが、金融危機発生時に破たんする恐れがある金融機関を公的資金で救済するというスキームではありません。
前政権当時の政府は、リーマン・ショック後に乱脈経営から危機に追い込まれた中堅地場銀行バンク・センチュリーの経営破たんを回避するため多額の公的資金注入を余儀なくされました。しかし、金融システム危機を引き起こすほどの規模でない中堅の銀行に公的注入を投入するプロセスに問題があったとして、当時の中央銀行総裁や財務大臣への追及はいまだに終わっていません。
このような苦い経験から金融機関の救済に公的資金を使うということに対し、政府や国会議員にトラウマや抵抗感がありました。今回の救済スキームは、いわゆる「ベイルイン」という枠組みとなり、国内金融システムに重大な影響を与えるような金融機関が経営破たんする危機に陥った場合には、まず銀行株主が資本を注入する義務を負うとされ、それが機能しない場合には、銀行から徴収した預金保険料を管理する預金保険機構が救済のために資本注入するというものです。
公的資金の投入を避けた今回の法律は、個別行の破たん危機が他行に伝播(でんぱ)する金融システム危機のメルトダウンには対応できません。このため個別金融機関の健全性を監督する金融庁の監督検査部門の役割がますます重要となります。金融庁は、中央銀行から監督検査部門を分離して誕生しましたが、その発足直後から各金融機関に対する監督検査手法はかなり強引で恣意(しい)性や独善性が顕著でした。
今回の金融危機管理法案に内在する致命的な欠陥をカバーすべく金融庁が事前の監視強化を「錦の御旗」に、監督行政をさらに厳しくする懸念が出てきました。
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