記者M
新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。年間150冊を目標に「精選読書」を実行中。座右の銘は「壮志凌雲」。目下の趣味は食べ歩きウォーキングとサイクリング。
「10年? それは長すぎる。せいぜい3、4年で十分さ」
商社に勤める友人とビールジョッキを傾けながら、この春に就職した僕の息子について話題が及んだ時のことだ。今春大学を卒業した息子がその数日後に地方に赴任するにあたって、僕は「とにかく10年は辛抱しろ」と言って送り出したのだった。
酒を飲みながら最近の大学生の就職活動が話題に上ったので、僕は持論の「新人辛抱10カ年」を主張する中で話をしたのだが、友人は息子に対する僕の助言にきっぱりとした口調で異論を唱えたのである。
「俺らの頃はみんなそう言われたけど、いまは違う。自分との相性や職場環境、将来性などを見極めるには3、4年あれば十分。合わないと思えばさっさと辞めて転職すればいいんだよ」
僕と同い年だからほぼ同様の「保守性」を共有しているとばかり思っていたが、意外な反応である。同席していた同じ商社の人事部で採用担当部門の責任者を務める後輩も「最近の新入社員の中には、義務や責任も果たさないのにやたら自己主張ばかりするやつが多いんですよね」と指摘しつつも、「辛抱するにしても10年もいらんでしょうね」と同調した。
◆営業とサツ回りに共通するもの
息子は営業職として社会人生活のスタートを切った。3カ月間の試用期間がまもなく終わろうとしており、得意先を訪れる際も先輩社員は同行しなくなる。「いまだに早口の方言がうまく聞き取れず、電話で何回も聞き直している」という。
この話を聞いて、僕は息子に少し長めの手紙を書いた。この中で、本田靖春の『警察(サツ)回り』(1986年、新潮社)の内容の一節を引用した。
「警察(サツ)回りでいるあいだは半ば訓練期間のようなもので、各自に何よりも求められるのは、概してとっつきのよくない刑事たちと日常的に接することにより、いかにして相手から必要な情報を引き出すかという取材の基本を学ぶことである。
そのかたわら、事件、事故の場数を踏むことによって、まがまがしい現場に立ち合っても物怖じせずに済む慣れだとか、混沌(こんとん)とした状況の中から本筋を見いだす判断力とか、限られた時間内で素早く動く俊敏さだとか、隠されている事実を嗅(か)ぎつけるカンだとかといった記者に欠かせない要件を、徐徐に身につけていくのである。
新人はもちろんのこと、地方支局ですでに経験のある者も、社会部に配属されたら警察(サツ)回りから始めなければならない。新聞の世界では『殺し三年、火事八年』というが、どうやら社会部で一人前の扱いをされるのは、入社後十年を経たあたりからである。」
息子には、引用した一節の中の「警察(サツ)」を「得意先」に、「記者」を「営業」に置き換えてみると、記者も営業も新入社員当時は同じで等しく苦労はつきものだ、と説明した。
彼がこの例え話をどう受け取ったかわからない。ただ、もう30年以上前の僕自身の駆け出し記者当時のことを振り返ると、「サツ回り」こそ記者の「基本のキ」だと確信をもって言える。いわく言い難い労苦にさいなまれ、辞めようか踏みとどまろうかと、何度も行きつ戻りつしたことを思い出す。なんとかぎりぎりのところで乗り越えれば、その後、どんな取材の修羅場に遭遇しても少なくとも「度胸」という一点においては、まず問題なく対応できるようになることを体で覚えた。
そうは言っても、今だから言えることであって、地方支局でのサツ回りは最初は不安だらけである。引きこもってしまったまま辞めていった者も少なからずいる。
僕は長崎支局が振り出しだった。支局から歩いてすぐのところに県警本部があり、最初はその中にある記者クラブに詰める。地元の長崎新聞や九州の有力ブロック紙である西日本新聞などは百戦錬磨のベテラン記者がそれぞれの社のキャップを務めており、東京から来た他社の新人記者など歯牙(しが)にも掛けないような風格と威圧感がある。
毎朝、「じゃあ、出てきます」とあえて威勢よく支局を出たのはいいが、100メートルほどしか離れていないこの記者クラブの敷居がいかに高かったことか。ちょうど都合良く、そのほぼ中間地点に長崎グランドホテルがあり、そのロビーにある、柱の陰に隠れたソファで時間を潰すことが多かった。そこにはいつも先客がいて、彼も東京から赴任したばかりの同業他社の記者だった。その後しばらくして、このロビーでも見かけないと思ったら、彼は会社を辞めていた。後になって聞いたことには、「サツ回りは向いてない」というのがその理由だったという。
僕がサツ回りとして本当に苦労をするのは、東京に転勤して社会部に配属され、警視庁の方面回りとして池袋署の記者クラブ詰めを命じられてからのことだが、他社に抜かれた話や失敗談は紙数がいくらあっても足りないほどあるので、別の機会に譲ろう。
◆人生はやり直しがきく
さて、息子と同じように、元気そうな新人記者たちも3カ月の試用(研修)期間を終えて、まもなく取材の最前線の隊列に加わろうとしている。社内報をのぞいてみると一様に、覚悟をもってジャーナリズムの世界に飛び込んきた、その勇ましさが伝わってくる。
彼らの自己紹介の短い文章を抜粋してみよう。国内外問わず、弱い立場にある人々に寄り添う記者になりたい▽何事にも前のめりに取り組むひとであり続けたい▽無駄を惜しむことなく、何事にも愚直に向き合える記者でありたい▽進んで逆風に飛び込む精神で、努力していきたい▽世の中の不条理を正すことのできる記者を目指す▽自分の無知に正直でいられる記者になりたい▽記者として埋もれがちな声や動きに光をあてる「社会の照明係」を担いたい……。
彼らの決意表明の中に多く共通するキーワードは「真摯(しんし)」「愚直」などである。文中にある「記者」を「人」に置き換えると、なにも新聞社に限らずともどこの企業でも十分通用する意気込みである。
評価は分かれるかもしれないが、30数年前に受けた入社試験の作文でも、僕は同じようなニュアンスの言葉を使ったような気がする。すでにその頃、記者を目指す大学生のための私塾や有料のカルチャーセンターがあり、そこで教えられる「合格作文の要諦(ようてい)」の中に、こうしたキーワードが浮かび上がってくるような自らの体験を綴(つづ)るよう指導された記憶がある。少しすれた見方をすると、採用する側のウケ狙いという点ではいまも昔も変わっていないのかもしれない。
僕は取材の最前線から遠のいて久しいが、いま強い反省の念とともに後悔しているのは、自らが身を置いてきたジャーナリズムの世界を崇高(すうこう)なものと位置づけ、それ以外の業界とはあくまで一線を画し、知らないうちにその「権威」のようなものにもたれかかっていた時期があったということだ。
冒頭で「新人辛抱10カ年」について書いたが、息子が赴任する際、僕はこの話とともに、G.キングスレイ・ウォード(城山三郎翻訳)の『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(1994年、新潮文庫)を手渡した。ビジネスマンとして成功を収めた著者が、同じく企業家を目指す息子に宛てて手紙の形式でまとめたものだ。記者としての第一線を退いた後、すでに手遅れの感は否めないが、「視野狭窄(きょうさく)」に陥っていたという後悔の念にかられていた時、まさに「息子」の立場で読んだのがこの本だった。
ジャーナリズムも実は、広義の意味においてビジネスの領域の中にあるのではないか、と考えさせられた。本書の筆者である父親のビジネスマンのように、しなやかさや柔軟性、適応力、親和力などがもし備わっていたなら、記者としても、もっと間口が広く、敷居を低くして、より多くを聞く耳を持ち、穏やかな顔つきで周りと和やかに接することができたのではないか。
ジャーナリズムの世界もビジネスの世界も、そこに通底する最も大切なものは「人」である。願わくば、この春社会人生活のスタートを切ったすべての若者たちが、初志を忘れずにそれぞれの職場で心身ともに元気に活躍してほしい。これは、記者というよりも、新入社員と同世代の息子を持つ父親としての自戒を込めた偽らざる心境である。つまずいたり転んだりしても、やり直せばいい。リセットする勇気を持とう。人生のバランスシートは、そのしめくくりで見ればいいのである。
※『読まずに死ねるかこの1冊』 過去の記事は以下の通りです。
■第13回 「読まず嫌い」はもったいない
https://www.newsyataimura.com/?p=4311#more-4311
■第12回 記憶にとどめておきたい昭和戦後史
https://www.newsyataimura.com/?p=2538#more-2538
■第11回 終わらない戦後
https://www.newsyataimura.com/?p=2091#more-2091
■第10回 純白の八重桜と歴史のパノラマ
https://www.newsyataimura.com/?p=1963#more-1963
■第9回 言葉への執着心と矜持
https://www.newsyataimura.com/?p=1890#more-1890
■第8回 圧倒される丹念な取材と子細な描写
https://www.newsyataimura.com/?p=1345#more-1345
■第7回 異文化を受容する優しいまなざし
https://www.newsyataimura.com/?p=1073#more-1073
■第6回 美しくも苛酷な芙蓉の高嶺
https://www.newsyataimura.com/?p=1054#more-1054
■第5回 ないものねだりせず知恵を出せ
https://www.newsyataimura.com/?p=791#more-791
■第4回 食いものから恨みを買う時代
https://www.newsyataimura.com/?p=604#more-604
■第3回 だれも避けられぬ永訣の時
https://www.newsyataimura.com/?p=456#more-456
■第2回 日本を等身大に映し出す日系人の歴史
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■第1回 人は死ぬまでに何冊読めるか?
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