山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
「一億総活躍社会」の旗を振っている安倍首相は、この数字をどう思っているだろう。
日本企業の利益剰余金は15年度、377兆円になった。前年度より23兆円増えた。6・6%の伸びだ。成長は鈍化し、消費は低迷、預金金利が0・1%しかないこのご時世に、企業は「貯金」をしっかり増やしている。
利益剰余金とは、企業が稼いだ利益から、株主配当などを差し引いた、いわゆる「内部留保」である。
不透明な経済の中でもがいている経営者が、内部留保を増やしたい、と思うのは理解できる。国内市場は期待できない。中国市場は冷え、欧州では金融危機さえ起きかねない。好調といわれる米国も大統領選の結果ではひと揺れあるかもしれない。
◆日本経済のテーマは「格差」
稼いだカネを蓄え、荒波がいつ来ても耐えられるよう備えたい。そんな気持ちではないだろうか。
経営者はそれでいいかもしれない。だが世の中は繋(つな)がっている。稼ぎを懐にため込めば、従業員の取り分は減る。消費を冷え込ませ、企業の好業績が景気回復につながらない。
安倍首相もこのことに気が付き、「しっかり賃上げしてください」と経済界に呼びかけていた。企業が儲け、おカネが賃金や設備投資に回り、景気の好循環が始まる、というのがアベノミクスのシナリオだった。
企業は、儲けを自分の懐に入れて好循環のサイクルを遮断している。それが377兆円の副作用だ。
OECD(経済開発協力機構)のレポートに、こんな記述がある。
「日本の労働分配率は過去20年間で大きく低下しており、これは大半のOECD加盟国よりも大幅な低下であった。1990年から2009年までの間、OECD加盟国全体では労働分配率が3・8%低下したのに対し、日本では5・3%低下した。さらに、この傾向は所得格差の大幅な上昇とともに生じた。労働分配率全体が急速に低下した一方で、上位1%の高所得者が占める所得割合は増加した。結果として、労働分配率の低下は、上位1%の高所得者の所得を除けば、より一層大きなものとなるであろう」(雇用アウトルック2012)
レポートは1977年から2011年まで先進5か国(G5)の労働分配率の変化を記している。
仏80・0%→68・6%(-14・3)
独75・3%→67・6%(-10・3)
英68・9%→69・6%(+1・01)
米68.2%→63・7%(-6・6)。
日76・1%→60・6%(-20・4)
1977年当時、日本はフランスと並んで労働分配率が高い国だった。2011年になるとG5で最低の国になった。
所得格差が問題化しているアングロサクソンの米・英より日本の労働分配率が低いというのはショックである。下げ幅はアメリカの3倍。激減である。
数字は2011年までだが、冒頭に記したようにその後の4年間、企業は内部留保を膨張させ続け、「格差」は日本経済のテーマとなった。
昨年5月、日本を訪れたグリアOECD事務総長は「日本企業は内部留保をため込みすぎている」と記者会見で述べ、「企業は豊富な現預金を雇用の改善や経済成長につなげるべきだ」と訴えた。
労働分配率の低下と企業に内部留保の増加。日本社会の在り様は大きく変わった。
リストラという言葉が当たり前に使われ、サラリーマンは明日が不安になった。職場には非正規社員が増え、新たな身分差別が当たり前になる。自殺者は急増。給食費を払えない児童が増え、子供の貧困が話題になる。介護疲れによる家族の殺人が増えた。
◆膨らむ経営者の報酬
アメリカで大統領選挙が本番を迎えようとしている。選挙戦の構図は大きく変わった。
どう見ても大統領に不向きで、泡沫(ほうまつ)候補と見られていたドナルド・トランプが共和党候補となった。有権者に渦巻く既成の政治家への反発がトランプ人気の背後にある。「富者のための政治に終止符を」と訴えたバーニー・サンダースの善戦も同じだ。ヒラリー・クリントンは、かろうじて民主党候補になったが人気がない。既成政治家の典型、エスタブリッシュメントの代表、と見られている。
豊かな国、偉大な国とされたアメリカでも、中産階級が壊れはじめ、低賃金労働者の憤懣(ふんまん)が噴き出ている。
内部留保377兆円をどう考えたらいいのか。GDPの70%を超え、国民の個人消費1年分をはるかに超える貯蓄が企業財務に溜まっている。この動きと息を合せるように経営者の報酬が膨らんでいる。
1億円を超える報酬を取っている経営者は上場企業で、昨年443人だったが今年は503人に増えた。
国際比較では日本の経営者の報酬はまだ低い、という。一方、日本の労働者は、企業の国際展開によって中国やタイの労働者と競い合わなければならない、という。グローバル化は経営者の報酬が上がり、労働者の取り分が減る、ということなのか。
それで社会はどうなるのか。安倍首相はどう考えているのだろう。
「企業が、最も活動しやすい国にします」と言っているが、問題はその先だ。
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