引地達也(ひきち・たつや)
コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括。ケアメディア推進プロジェクト代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など経て現職。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。
◆居心地の悪い言葉
9月4日に東京都渋谷区のレック渋谷駅前校で行われたケアメディアフォーラムは、コーディネーター役の筆者が言うのも自画自賛になってしまうのだが「痛快」であった。後半のシンポジウムで登壇していただいた保健学博士で精神保健士の松岡恵子さんとのやりとりは、一語一語が常識を打ち破る内容を含み、私の「まとも」な質問に対しても、松岡さんなりの、その言葉への居心地の悪さを微妙に表現しながら、その正直さに感心させられ、ソーシャルワーカーとしての、新境地のようなスタンスを提示していた。
「提示」とは言ったものの、松岡さんは、松岡さんのままで、着飾ることなく、終始自然のままだった。その存在自体が「ケアメディア」を考える際のヒントになっていくであろう、と考え、こうして言ってしまうのも、やはり私目線の勝手な解釈である。
松岡さんは、東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野修士課程を修了し、保健学博士(Ph.D.)であり、精神保健福祉士(PSW)。国立精神・神経センター精神保健研究所成人精神保健部流動研究員などを経て、東京都大田区の蒲田「蒲田寺子屋」をオープンさせ、高次機能障害者やその家族を支援している。
◆掃除をしているだけ
シンポジウムで松岡さんは「いかにも勉強できるような経歴ですけれども、働かないことを考えて、働かないで生きてきました」と飄々(ひょうひょう)と言ってのける。「蒲田寺子屋」という「施設」を「運営」している、と私が紹介したところ、「『施設』と言ってますが、私は、ただ空き家を掃除しているだけで、そこに人が集まってきているんです」と言う。
その「ただの集まる場所」は福祉施設として自治体に認可を受けているわけでなく、無認可で利用者から月謝をいただいて「運営」しているが、「始まった時から10年ずっと赤字です」と屈託がない。
こんな調子のシンポジウムで私も意地悪に「最近の福祉についてどう思いますか」などとあえてオーソドックスな質問をしてみると、「無茶な質問ですねえ」と苦笑いを浮かべながら、私たちが福祉と考えている概念や境界線が無意味であるとの気づきも示唆してくれる。
オーソドックスな私に、あまりにも意外な返答の連続。私は悦に入ってしまい。「いやあ、松岡さんとの、このかみ合わなさが僕、好きなんですね」と本音を漏らすと、会場はどっと笑いに包まれた。この笑いとともに私が実感したのは、「福祉はこうあるべき」という議論に多くの人は疲れているのでないかということ。日本テレビの「24時間テレビ」が「感動ポルノ」と批判されてしまうのも、「こうあるべき」の中の「感動」に、うそくささや嫌気を感じてしまっているからではないだろうか。
◆「謝れ職業人」
松岡さんは松岡宮(まつおか・みや)の芸名で詩人・パフォーマーとしてもライブ活動を行っており、不思議な世界観の中で展開される表現に私もすっかり魅了されている1人である。シンポジウムの中でも、詩作を披露しようと思い、精神科医の斎藤環(さいとう・たまき)さんが紹介したことで人気を得ることになった作品「謝れ職業人」を朗読した。
「『ああ、今日も会社に泊まりこみで仕事だよ』と疲れた声で言う 職業人は 謝れ 全ての『だめなヤツ』に 細い声で 謝れ 『ああ、忙しい忙しい』と 朝早く出てゆくひと 乗り換えの駅で朝食をかっこみ 後続列車に乗ってゆく 職業人は 謝れ」(これは冒頭の一部で、全編は松岡宮さんのホームページなどで確認していただきたい)。
この表現に、反応は人それぞれだが、ここも常識を覆す発想の転換が求められる。会場からも解釈をめぐっての質問が相次いだが、それでよし。議論することで、少しだけ私たちは賢くなっていくのだと信じたい。この詩作を、どう考えていくか、これこそが私たちの社会の包容力が試されているのであろう。
『ジャーナリスティックなやさしい未来』関連記事は以下の通り
ソーシャルワーカーは誰でもなれる
https://www.newsyataimura.com/?p=5814
■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
http://psycure.jp/column/8/
■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link
■引地達也のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/
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