小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住18年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
タイ国民からの尊敬を一身に集めておられたプミポン・アドゥンラヤデート国王(以下、プミポン国王)が現地時間10月13日午後3時52分、入院先のバンコク・シリラート病院で崩御された。
タイに住む人間として本当に悲しく、また感慨深いニュースであった。私個人はプミポン国王にお会いしたことなど当然ない。しかし多くの人方から、そのお人柄について聞く。バンコック銀行の役員、政治家や官僚の方、在タイ日系自動車企業の歴代の社長、更には私が習っているサックス(サクソフォン)の先生や音楽家など私の知人・友人の中にもプミポン国王に謁見した経験のある方が多くいらっしゃる。どの方もプミポン国王に魅了される。人間としての品位も高い方だったのであろう。タイ国民の国王に対する尊敬と信頼は言葉に言い尽くせないほど深いものがある。国王が死去された翌日の14日からはバンコクの街中が喪に服し、黒色に変わった。私も喪服に着替えて出勤した。
◆プリディヤトーン氏との面会から
プミポン国王の在位中の出来事や国民の悲しみなどについては日本の新聞などで報道されているため、私がここで述べる必要もないであろう。一方で、日本のマスコミは今回のプミポン国王の死去を受け、「今後政治的・社会的混乱が懸念される」「経済に大きな影響を与え、1年くらいは営業活動が萎縮する」「民政移管が不透明になり、遅れる可能性が高い」などの言葉がおどっている。私はこうした報道内容について違和感を覚えざるをえない。今回は私なりの見解を述べてみたい。
私は国王の死去の翌日である14日の夜に王族であるプリディヤトーン元副首相と夕食をご一緒した。プリディヤトーン氏とはこの20年来の知り合いである。私はアジア通貨危機時に東海銀行バンコク支店長として赴任した。その後しばらくして、プリディヤトーン氏もタイ中央銀行総裁に就任された。アジア通貨危機時に私は果敢にも当時債務超過に陥っていた日系企業に対し約400億円を追加融資したが、タイ中銀が定めた自己資本比率に抵触し、この対処の仕方についてプリディヤトーン中銀総裁に相談に行ったのである。当時は日本の銀行もタイの銀行も取引先に貸し渋りをしている時代であった。そうした中で「積極的に貸し出しを行う姿勢がタイの経済回復につながる」とプリディヤトーン総裁は高く評価してくださり、特例扱いを認めて頂いたのである。それ以来、折にふれてプリディヤトーン氏は私に言葉をかけて下さっている。
今回の夕食は国王死去の前に約束したものであり、国王死去に伴い夕食がキャンセルされるかと心配したが、プリディヤトーン氏は柔らかい笑顔で夕食時間に現れた。私は国王死去のお悔やみを述べると早速、矢継ぎ早に質問をさせて頂いた。何しろタイの習慣に不慣れな日本人であり、かつ国王の死去は70年ぶりのことである。今後どのようなスケジュールで何が起こるのか、到底見当がつかなかったからである。
一方、プリディヤトーン氏は1年2か月ほど前まで現在の軍事政権の副首相の要職にあり、依然として現政権と深いパイプを持っておられ、王族でもいらっしゃる。王室の儀式に最も精通しておられる方の一人である。プリディヤトーン氏は2008年に崩御されたプミポン国王の姉であるガラヤニ王女の事例を基に以下のことを教えてくださった。
プリディヤトーン氏は、現在は公人ではないため、正式な見解はタイ外務省宛てにして欲しいとのことであったが、あくまでも参考意見としてお伝えしたい。
①国王のご遺体は10月14日に宮殿に移送され、最初の7日間は近い親族のみで家族葬を行う。その後は、100日単位で葬儀を行う。ガラヤニ王女の際は300日としたのだが、今回はそれより長い400日後に火葬となるであろう。
②国民が喪に服する期間は10月14日からの30日間である。この期間は結婚式やパーティー、外部者を招いたセミナーなども避けるべきである。ただしこうしたパーティーも30日経過後は開催しても問題ない。当然クリスマスパーティーなどは時期的に考えて全く問題ない。
③プミポン国王の死去に伴い、休日となるのは10月14日のみである。禁酒となるのも10月14日のみであるが、10月15日(土)、16日(日)はたまたま仏教の上で禁酒の日となっていたため、この週末はお酒が飲めない。なお、現在宮殿内でご遺体の安置場所を建設しているが、これが出来上がるのに約1か月かかると思われる。その後、海外の国賓を招いての葬式が行われると思われる。その際には、警備上の目的などから、休日が設定される可能性はある。現政権は経済停滞への影響を最小限にしようとしており、民間企業が休業するような事態は避けようとしている。
④ワチラロンコン皇太子が王位の継承を延期されたと言われているが、戴冠式をすぐに行わないということだけである。全ての王権は既にワチラロンコン皇太子に引き継がれており、それがゆえに「CROWN(王位)」という称号が使われている。プミポン国王もその即位に当たって長く戴冠式を行わず、正式な王位についたのはかなり後になってからである。
そもそも、現在の軍事政権はクーデター直後からプミポン国王の王位の引き継ぎを完了させる役割を持っているといわれていた。プラウィット副首相は副任務としてワチラロンコン皇太子への円滑な引き継ぎを準備する役割となっていた。プミポン国王が偉大であるからこそ、その死去の影響を深刻にとらえ、タイ社会は相当に準備をしてきたのである。そもそも軍事政権がこれほど長期になってしまったのも、幸いなことにプミポン国王が長く生きられた「皮肉な結果」であると私は推察している。
軍事政権が続く限りにおいて、タイ社会の治安面は安全が保持される。国王の死去に乗じたテロや暴挙の可能性は少ないと思われる。では来年中に行われる予定の民政移管が遅れるのであろうか? 幾つかのマスメディアがこうした予測をしているが、その根拠については述べられていない。現プラユット政権は自らの立ち位置については十分理解している。軍事政権であるがゆえに欧米諸国からは冷遇され、中国に頼らざるを得ない。外交上の弱みをいやというほど感じている。また、新憲法策定前の去年から今年にかけては、タイの民衆も軍事政権の長期化には否定的なムードが流れていることも知っている。プミポン国王の死去とそれに備えた新憲法の制定を終えた今、プラユット政権としては一刻も早い民政移管を望んでいるのである。
経済についてはどうなのであろうか? 残念ながら世界的な経済低迷とインラック政権時代のポピュリズム施策のつけから、現在のタイの景気はあまり芳しくない。しかし今年も3~3・5%の成長が予想されており、他国と比較してもタイの状況はまずまずというのが私の感想である。
そうした中で国王の死去によってタイ経済はどの程度影響を受けるのであろうか? プリディヤトーン氏が語られたように、プラユット政権もこの点については大変心配している。国民が喪に服する期間は当初3か月を想定していたようであるが、今回の発表では30日間に短縮されている。もちろん、ホテル業界や飲食業界などは一定の影響を受けるのは事実であるが、国民からこれだけ敬愛を受けていたプミポン国王の服喪期間としては国民感情を考えると最短だと思われる。また製造業の会社についていえば、工場のラインを止めることも必要ないのである。
◆国民のナショナリズム維持が長期的課題に
最後に社会的安定について考えてみたい。プミポン国王の政治的影響力を語る時、常に引き合いに出されるのが1992年の「暗黒の5月事件」である。政府の武装弾圧によってバンコク市内が流血の事態に陥った際、軍を指揮するスチンダ首相(当時)と民主化運動グループの民間人指導者チャムロン氏の双方を呼びつけて説諭し、一夜にして騒乱を解決した。「プミポン国王に頼めばなんでも解決できる」という神話の一事例である。
しかしタイの貴族社会に長くいると、タイの古典的支配者層の行動様式がよくわかってくる。とにかく自分で物事を決めないのである。物事の白黒がほぼ判明した時点もしくは後づけで裁定を下すのが貴族社会の支配者のやり方である。「暗黒の5月事件」についても、私の知人である大蔵省の元事務次官の方からこうした話を伺ったことがある。そうした意味で、プミポン国王が亡くなられたので「何か問題が起こった時に解決をしてくれる人がいなくなった」と短絡的に思うのは間違いである。
しかし、タイの歴史や社会の成り立ちを考えると、国民の敬愛のシンボルであったプミポン国王が亡くなられた損失は大きい。中野剛志(社会学者)、中野信子(脳科学者)、適菜収(哲学者)の対談集である『脳・戦争・ナショナリズム』(文春新書、2016年)を読むと、近代国家が生まれてくる過程の中で「国家戦争」の役割が大きいという。18世紀以降の近代戦争は国民皆兵軍がなければ勝てなかったし、国民皆兵制を敷くためには、絶対王政の下での国民平等がなければ国民徴兵が困難であった。こうした政治的・経済的な平等化施策と戦争を通したナショナリズムの醸成が近代化国家を生み出したと結論づけている。
ところが、タイはまともな近代戦争を経験したこともなければ、いまだに貴族制階級社会が色濃く残っている。タイ人同士、二者関係であっても、常に上下関係が存在するのである。そんなタイがまがりなりにも、近代民主主義国家の形態をとりえてきたのは、プミポン国王を通してのナショナリズムに支えられてきたからである。国民の精神的支柱であったプミポン国王を失くした今、タイ国民がどのような形でナショナリズムを維持できるのであろうか? タイには依然として、長期的には大きな課題が残っているのである。
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