山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
政治家の言葉が怪しくなった一年だった。
あることないことを並べ立て、その場の受けを狙う。ある時は「放言」、場合によっては意図的な「扇動」として使われる。
オックスフォード大出版局は2016年を表す言葉に「Post-truth」を選んだ。直訳すれば「真実以降」、どういうことか。
「客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況」を表す言葉として使われているという。
◆事実かどうかは重大なことではない
きっかけは欧州連合(EU)離脱の可否を問う英国の国民投票だった。離脱派は「英国はEUに毎週3億5千万ポンド(約476億円)拠出している」などと事実に反する主張し、庶民に鬱積(うっせき)するEUへの憤懣(ふんまん)に火をつけた。
主張に根拠がないことが明らかにされたがあとの祭り。国民投票の結果は出てしまっていた。
この手法を多用したのがドナルド・トランプ氏だ。
例えば、「地球温暖化は中国が米国工業の競争力を削ぐために言いふらしていることだ」。
温暖化のことをよく知らないと「そうかやはり中国か」と思う人も出るだろう。中国は人民元を安くして輸出を増やすズルい国、温暖化対策をすれば米国の国際競争力が落ちる。アメリカに渦巻く不機嫌な感情を合体させ怒りに火をつけた。
米軍駐留経費の日本側負担増、日本の核武装容認などの発言も、客観的事実を踏まえたものではない。人々の認識不足に付け入った「感情的な訴え」である。
ヒラリー・クリントン氏とのテレビ討論でも、トランプ氏は「ウソ」や「事実ではないこと」を連発した。討論を検証したブログによると、「トランプ氏は1分18秒に1回の割で事実と異なる発言をした」という。
彼にとって事実かどうかは重大なことではない。本当らしく聞こえかどうか。聴衆が熱くなるか、その場に受けるか、が大事なのだ。
聞きかじり、うろ覚え、思い込み。日常生活でよくあることだ。茶飲み話では、聞きかじりや思い込みで話に花が咲くことがよくある。だが「床屋談義」なら許されるレベルの発言が、記者会見や候補者討論の場で政治家がするようになった。その結果起きたことが英国のEU離脱であり、トランプ米大統領の登場である。
◆トランプもビックリ、「事実軽視の感情的な訴え」
米国や英国で起きているのは、果たして他人事だろうか。
ブエノスアイレスで3年前に行われた2020年の夏季五輪開催地の選考会で安倍首相は、事故を起こした福島第一原発からの放射能汚染水について「アンダーコントロール」という言葉を使い、封じ込められているから大丈夫、と世界に向けて言い放った。現状は、山側から流れ込む地下水が汚染されて流れ出ている。メルトダウンした核燃料の取り出しさえ目途がつかない有様だ。「アンダーコントロール」とは程遠い現状を、ぬけぬけを安全と胸を張る態度は「トランプもビックリ」ではないか。
環太平洋経済連携協定(TPP)についても、「私は一度も反対と言ったことはない」と言った。自民党総裁として臨んだ2012年の総選挙で自民党は「TPP反対」と、でかでかと書かれた選挙ポスターを貼りだしていたのに。
今度の国会でも「強行採決など考えたことはない」といい放ちながらTPP法案、カジノ法案などを強行採決で通した。
発言が真実であるか、ということより、どう言いつのればその場を収められるか。問題にされても力で押さえられる、と思っているのだろう。
ウソを抑え込んで見せたのが、菅直人元首相に訴えられた「名誉棄損訴訟」だ。
福島第一原発が重大局面を迎えていた時、格納容器の破裂を防ぐための注水を巡り、安倍氏は自分のメルマガに「やっと始まった海水注入を止めたのは、なんと菅総理その人だったのです」と書いた。事実無根と菅氏は訴えた。東京高裁は、この部分を虚偽と認定しながら、安倍氏の名誉棄損は認めなかった。
菅氏は「現職首相を相手にする裁判のむずかしさを痛感している」と悔しさがにじむコメントを出し、最高裁に上告した。
メルマガの主要部分に虚偽を認めながら、名誉棄損に当たらない、という判決を出す高裁の姿勢に危うさを感ずるのは菅氏だけではない。「被告は首相」と無縁ではないだろう。こうした成功体験が、安倍首相の「事実軽視の感情的な訴え」を助長する。
事実などどうでもいい。大衆を扇動するウソは許される、という空気が世界に広がっている。トランプは大統領になってどんな発言で国民を煽(あお)るのだろう。英国では離脱派の急先鋒で「ウソ発言」を繰り返した前ロンドン市長のボリス・ジョンソン氏が外相におさまっている。「ウソは泥棒の始まり」という格言は、もう色あせたのか。
Post-truthの時代。来る年は、報道の自由度世界72位の日本のメディアの姿勢が問われる年になるだろう。権力者を監視する力をどれだけ高められるか。背後にいる有権者の課題でもある。
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