山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
「悪人は入れない」。当然だ。治安を害する恐れがある人物の入国を断るのはどの国でもやっている。だが国交のある国を名指しして、その国の国民を丸ごと入国規制の対象にする、というのは穏やかでない。
過激派組織「イスラム国」(IS)を滅ぼす、と宣言したトランプ大統領は、中東・アフリカの7か国の人々の入国を規制した。テロリストの侵入を阻止する、という。定住権を持つ人まで締め出された。この中に悪人がいるというのか。「イスラム教徒を見たらテロリストを疑え」といわんばかりである。
◆「差別の歴史」を歩む国
国籍や宗教でヒトを差別してはいけない、ということは今や先進国の普遍的価値と思っていたが、トランプのアメリカは別物らしい。
「違憲だ」とする声が各地で上がった。入国制限は大統領に権限があるが、国籍を理由にした差別が合衆国憲法に合致するのか。
日系米人には忘れがたい経験がある。第2次世界大戦が起きた頃、強制収容所に入れられた。「ジャップはジャップでしかない」という理由で。米政府は戦後「誤りだった」と認め、名誉回復がはかられたが、戦時中の屈辱的な体験が消えるわけではない。
移民がつくった米国は、「差別の歴史」を歩む国でもある。白人の中でも差別があり、有色人種は厳しく差別された。そのおぞましさから、「差別はよくない」とする考えが生まれたのである。
先に入植した者は後から来た者に既得権を脅かされる。肌の色や生活習慣が違えば、なおさら敵視や差別が起こる。嫌悪や違和感という「感情」を「知性」で抑えるのが教養だ。「差別はよくない」と教育されるのは、社会の底流には差別意識が存在するからである。
トランプの登場は「知性による抑制」をすっ飛ばした。
世論調査によると、入国規制は「支持」49%。「支持しない」は41%という。大ざっぱな調査ではあるが、国民の多数はトランプを支持したのである。
テロへの恐怖が浸透してる証しだろう。銃の乱射が絶えない国だ。治安は悪い。自分の街でテロが起こるかもしれない。テロリストが移民や難民に紛れて入ってくる――。
関東大震災の時、朝鮮人が井戸に毒をまいた、といううわさが広がり、いわれなき人々がたくさん殺された。不安は民衆を動かす巨大なエネルギーになる。差別を敵意に変えて暴走させる。指導者がすべきは、国民に冷静さを求めること。不安や不満を煽(あお)り立てて人気を得ようとするのがポピュリストだ。
◆耐用年数超えた?米中心の戦後の国際システム
トランプの就任演説は実に美しく、分かりやすかった。
「あまりにも長い間、ワシントンにいる一部の人たちだけが、政府から利益や恩恵を受けてきました。その代償を払ったのは国民です。ワシントンは繁栄しましたが、国民はその富を共有できませんでした。政治家は潤いましたが、職は失われ、工場は閉鎖されました。権力層は自分たちを守りましたがアメリカ市民を守りませんでした」
その通りである。都市の片隅で貧困に苦しむ母子、さび付いた工場、教育を受けられない若者、犯罪、麻薬。アメリカの政治は、下層の人々に冷たい。
トランプは、これらを「アメリカの殺戮(さつりく)」と呼び「いまこそ終わらせる」と断言した。
頑張ってほしい。問題は、どのようにして「終わらせる」かだ。処方箋(せん)は「米国ファースト」である。よその国に投資するな。外国の安い製品を入れるな。国産品を買え。これも分かりやすい。
どの国も経験してきたことである。そして世界は戦争に突入し、「合成の誤謬(ごびゅう)」に気が付いた。
それぞれの国では合理的な判断でも、すべての国がやりだすと大変なことになる。第2次大戦前、大恐慌の打撃から立ち直ろうと自国の経済だけを考え、関税障壁を高くし、排外主義に走った。
戦争は国家間の敵意から始まる。敵意を醸成する真の原因はなにか。多くの場合は、国民生活を窮乏させる経済問題が絡んでいる。
国境を挟む経済摩擦をどう解決するか。戦後の国際協調や多国間交渉は戦争の痛い教訓から始まった。自国繁栄主義や2国間交渉では問題は解決しない、という共通認識に世界は到達した。
だが多国間交渉や国際協調は、今うまく機能していない。トランプの登場は、アメリカ中心に回ってきた戦後の国際システムが耐用年数を超えた現れではないか。
国際協調が謳(うた)われた戦後、貿易が自由化され、金融の自由化が続いた。モノ・カネ・ヒトが自由に動くようになれば、各国単位に閉じ込められた経済が開放され、国境を越えた経済の相互依存が進む。欧州連合(EU)はこの思想から生まれ、ドイツとフランスが戦争をすると考える人はいなくなった。
◆資本はグローバル、政府はナショナル
だが、いいことばかりではない。自由化は熾烈(しれつ)なビジネス戦争を巻き起こした。軍隊に代わって企業が戦争する時代になる。自由化された資本は、競争条件にいい敵地を求め世界を飛び回る。多国籍企業の登場である。
もともとアメリカに集中していたエネルギー・金融・薬品・自動車・物流などの企業が、多国籍化する。今やタックスヘイブン(租税回避地)をつかって無国籍化ともいえる変貌(へんぼう)を遂げたのである。
資本はグローバル、政府はナショナル。この矛盾がトランプ旋風の背後にある。
グローバリズムの犠牲者は、都市で貧困にあえぐ母子であり、錆(さ)びた工場群であり、まともな教育を受けることができない若者である。
そこに呼びかけたトランプは、ヒラリー・クリントンをその対極に見立てて「既得権者への憤懣(ふんまん)」をバネに大統領になった。
スピーチライターの書いた演説文は見事な出来である。その言葉は、トランプの本心なのか。問われるべきはその一点である。
1%が99%を支配する。それがグローバリズムだという。カネがすべてを支配する金融資本主義と言い換えてもいいだろう。
1%とは誰か。民主党の予備選挙で健闘したバーニー・サンダースは、「ウォール街だ」と言った。トランプが批判する「ワシントンにいる一部の人たち」と通ずるものがある。
「ワシントン・コンセンサス」という言葉がある。ウォール街の金融業者とワシントンの政府組織が結託するアメリカの支配構造を指す言葉だ。国境を越える多国籍資本が米国政府の外交・軍事力と組んで世界を牛耳るシステムが、「ワシントン・コンセンサス」と表現される。
◆政権を担う顔ぶれは「3G」
その一方で、英国人はよくこんなことを言う。「アメリカはグレーカントリー(偉大な国)ではあるが、グレートカントリーサイド(大きな田舎)でもある」
七つの海を支配した英国人から見ると、巨大なアメリカは世界が見えない内向きの国家、という指摘だ。
内向きなアメリカ人は、グローバル化で工場や資金は海外に向かうから我々は苦しくなる、カネは国内で使え、工場を海外に造るな、という理屈になる。よその国が儲かって、アメリカは貧しくなる、という発想だ。
これは事実と違う。アメリカはカネが流入する国なのだ。貿易は赤字で国際収支も万年赤字だがそれを埋め合わすマネーが世界から流れ込んでいる。アメリカ人は働いて稼ぐ以上に消費している。それが可能なのは、アメリカが魅力的な投資先になっているからだ。
庶民にはその実感はないだろう。製造業が衰退する中西部には関係のない話だ。それはアメリカ経済がもたらす「分配の仕組み」が歪んでいるからである。
経済から国境が取り払われ、国家間の戦争リスクは極端に減った。その一方で、社会の格差が広がった。自由化は強いものが勝つ。強者の総取りという過酷なビジネスが広がり、運と能力で所得に桁違いな差が生ずるようになった。
小さい政府と自己責任が強調される米国で貧富の差がひどくなるばかり。米国は強者が生きやすい社会だ。トランプは民衆の憤懣に火をつけて勝ったが、彼は民衆の側に立って政治をするのだろうか。
就任演説は見事だったが、政権を担う顔ぶれは、演説の中味と対照的である。
国務長官(外務大臣)は石油資本のトップ。財務長官はウォール街の親分。トランプ政権の特徴は「3G」といわれる。大富豪(Gazillionaire)、ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)、将軍(General)のことだ。
3Gの顔ぶれで何するかはこれからだが、大富豪であるトランプのこれまでの生き方が70歳にして急に変わるとは思えない。多国籍企業の代表や大富豪に囲まれて「都市の片隅にあえぐ貧困母子」に寄り添えるのか。医療さえ満足に受けられないのがアメリカの下層中流の人々だ。「オバマケア」は決して十分ではなかったが、こうした人々に医療を提供するものだった。トランプは廃止した。
政治家は「口先」ではなく「政策」で判断される。トランプだって分かっている。無茶苦茶な政策でも、大衆向けに発した約束を果たさなければ、支持を失うことを。
「大統領になったら現実的になるだろう」
なんて考えていたのは知識人である。大衆の支持をつなぎとめるには無茶苦茶でもやる。その一つが「入国規制」だった。同じように「壁」も造る。メキシコに出る企業は脅す。
いつまでこんなことを続けるのだろう。
「アメリカ第一」は、トランプが出現する前から米政府がやって来たことだ。世界のリーダーがそう言ってしまったら、アメリカに都合のいい国際体制は壊れてしまう。だから決して口にしなかった。「『アメリカ第一』? とんでもない。世界のためです」と。
国際協調や多国間交渉が行き詰まった結果である。米国の身勝手が露骨に出る2国間交渉がこれから始まる。素人大統領の脇を固めるのは多国籍企業、富豪、軍人。米国支配の終わりの始まりが見えてくるのではないか。
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