小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住19年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
1998年4月18日の東京・東中野の「ドラム」でのリサイタルが終わると、私はすぐに東海銀行バンコク支店長としてタイに赴任した。銀行員の大半を再建屋として過ごした私は、97年7月1日の通貨切り下げに始まったアジア通貨危機の処理を任され、その仕事に奔走する。東海銀行バンコク支店長時代の5年間は、音楽とのかかわりがすっかり途絶えてしまった。
◆ジャズバンド結成
2003年4月にバンコック銀行へ転職。私はバンコック銀行内で日系企業取引推進の仕事に就いた。余談ではあるが、タイの会社には一般的に交際接待費がない。従来週末には必ず入れていたゴルフの予定も、交際接待費がない中では頻繁には行えない。私の生活スタイルは従来のものと大きく変わった。
この頃、経済産業省の官僚の方を通じて知り合ったのが、タイの自動車産業の人材育成の仕事に従事されていた藤本豊治さんである。藤本さんは私より10歳以上年上であったが、精神的にも肉体的にも若い方で「何でもやってやろう」という気概を持った方であった。こんな藤本さんが60歳(当時)にしてやりたいことがジャズバントの結成であるという。しかも、本人はまったく音楽の経験がない。これからテナーサックス演奏を始めるという。私がジャズを歌うと聞いて、「是非バンドに参加してほしい」と話された。
強気の藤本さんに背中を押された5人がヤマハのスタジオに集まった。04年6月のことである。銀座でジャズクラブを経営し、自らもピアノ演奏をされていた田家健一さん。タイで起業し青年実業家であったが、ジャズの経験のないドラム担当の鈴木雅宣さん。タイに来たばかりでチェロの演奏ができる浜口香織さん。浜口さんは「チェロもベースも同じようなものだろう」というとんでもない理屈で勝手にベース担当にさせられてしまった。無知とは恐ろしいものである。こうした5人が集まって初めて音合わせをしたわけであるが、まさに悪夢の演奏であった。
満足に演奏が出来るのは田家さん一人である。「さすがにこれは無理だろう」と皆が思っていた矢先である。藤本さんが「次の練習はいつにしましょうか?」と強気な提案をされた。我々のジャズバンドが結成できたのは、この藤本さんの「強気」に負うところが大きい。藤本さんの熱い情熱にみなひれ伏した。バンド結成ができたもう一つの要因は、田家さんの「慈愛」と「忍耐」にあった。当初我々の演奏とも呼べない楽器の取り扱いにあきれ顔であった田家さんが、いつからか腹を決めて我々の指導者兼先生になって下さった。今から思い返せば、田家さんのボランティア活動であったと思う。
◆結成1年で初コンサート
さて私自身について言えば、最初の頃は「正直こんなバンドには付き合っていられない」と思った。曲がりなりにもクラシックの歌唱を勉強してきた私には、学生のサークルの乗りで音楽をやることが何となく許せなかった。しかし集まっているバンドのメンバーは純粋に音楽好きの人達で良い人ばかりである。この人達の中で、音楽の話を楽しむ心地よさはあった。
こうした矛盾した気持ちの中で、私はある発想の転換を図った。「そうだ、みな新たに楽器に取り組み始めたのだから、私も歌以外の新たな楽器にチャレンジしてみよう」。こうして04年10月、日本出張の機会を利用して私はヤマハのジャズ仕様のアルトサックスを買ってタイに戻ってきた。
ところが、サックスをどう吹いてよいかもわからない。私より一足先にテナーサックスを始めた藤本さんに色々な情報を教えて頂きながら「見よう見まね」でアルトサックスを吹き始めた。とりあえず曲のテーマが吹ければ良い。音質や音程にはまったく気を払うことは無かったが、長く音楽をやってきたためテーマだけはすぐに吹けるようになった。
そうこうするうちに藤本さんは「せっかくジャズバンドを結成したのだから友人達に聞かせたい。コンサートをやろう」と言いだした。とんでもない話である。プロの音楽の世界では、一度でも演奏会を失敗したら二度と観客は来てくれない。満足に音も出せない我々にそんなことができるわけがない。ところが何とリーダーである田家さんがあっさりとコンサート開催を認めたのである。「いいでしょう。そのかわりみなで一生懸命練習しましょう」。
田家さんは指導者の立場で発表会の重要性を認識されていた。まさに田家さんの慧眼(けいがん)である。それから私達の本格的な練習が始まった。週1回バンドメンバーが集まり、貸しスタジオで2~3時間の音合わせ練習をする。このバンド練習のためにみな家で自己研鑽(けんさん)に励んだ。我々のバンドはこの頃それなりに、しかし急速に上達していった。何しろゼロからの出発なのだから。また、コンサートに備え、バンド名を「KUJバンド」と命名した。「花と小父さん」になぞらえて、バンドの花である浜口香織さんを中心にした「Kaori and Uncles Jazz Band」の頭文字をとったバンド名である。こうしてKUJバンドの初コンサートがバンド結成からわずか1年の05年6月12日にバンコク市内のジャズクラブで行われた。
◆「とにかくいい音を出したい」
この初めてのコンサートが終わったころから、私は真剣にアルトサックスと向き合うようになった。それまで自己流で練習してきたが、ヤマハ音楽スクールでタイ人のチョーブ・クェキット先生のレッスンを週1回受けるようになった。チョーブ先生はヤマハでサックス、クラリネット、フルートの楽器を教える多才な先生であった。ジャズの経験は無いが、クラシック音楽出身でサックス演奏の基本を教えていただいた。と言っても音階(スケール)練習やロングトーンなどの基本練習を私に押し付けることはなかった。
米国のジャズ専門学校であるバークリー編纂(へんさん)のアドリブ楽譜を私が持ち込むと、そのアドリブ練習に根気よく付き合って下さった。もし基礎練習から始めていたら「あきっぽい」私はとっくの昔に練習を放棄していたことであろう。アドリブ練習の中で、チョーブ先生は楽譜どおりのテンポや音程で正確に演奏することの重要性を指導して下さった。
ヤマハ音楽スクールに通い始めて私が得た大きな利点は「ヤマハの生徒はいつでも空きスタジオを使っても良い」というルールである。なんとこのヤマハ音楽スクールは私の住んでいるアパートと同じビルにある。当初はおそるおそるチョーブ先生のレッスンの前後に空きスタジオを利用していた。しかし半年もたつと、毎週土曜日・日曜日は朝8時から夕方6時までヤマハのスタジオにこもって個人練習をするようになった。
アルトサックスを始めて2年がたとうとしていたが、「サックスが単に鳴らせる」というだけの高揚感はすっかり消え失せ、自分のサックスの下手さ加減に打ちのめされていた。自分自身のサックス演奏に我慢ができなくなっており「とにかくいい音を出したい」の一心で練習に打ち込んだ。
まもなく私にとってもう一つの転換点が訪れた。アルトサックスの楽器をヴィンテージものである1951年のセルマー製「スーパーバランスドアクション」に買い換えたのである。ジャズ全盛期の有名なミュージシャンが使用した名器である。「楽器を変えれば少しはいい音が出るのではないか」という神にもすがる思いであった。
しかし名器を手に入れたからには、もう楽器についての言い訳はきかなくなってしまった。とにかく練習していい音を出すしかない。私はサックスを始めて歌には感じなかった難しさに痛めつけられていた。歌は自分の体を使って音を出すもので、のどを取り換えることはできない。幸い、声に恵まれた私は自分の声質で悩むことはなかった。ただ単に自分の声を受け入れるだけである。
ところがサックスは楽器を選べる。楽器本体だけでなく、マウスピースやレガチャー(マウスピースにリードを固定するための器具)、更にリードなど、それぞれ100以上の種類がある。これを組み合わせて自分の音色をつくり上げるのである。ところがその頃の私には自分の出したい音がわからない。完全に袋小路に入りこんでしまった。最終的にはサックス本体は5台、マウスピースは40本、リードにいたっては日本で手に入るすべてのものを試してみた。現在、スーパーバランスドアクションの本体にMCグレゴリーのマウスピースとセルマーのレガチャー。フレデリック・ヘムケの3.5の強度のリードを使っているが、このような組み合わせになるまでにサックスを始めて6年が経過していた。
◆「首振り3年、ころ8年」
いい音の追求とともに私がやらなくてはいけないのは、正確に音楽をつくっていくことである。ジャズはアドリブなどがあるため、自由気ままに音楽をつくっていくものだと勘違いされる方も多いだろう。私もその1人であった。ところがジャズ理論書を読み込んでいくうちにテンポやコード(和音)、フレーズなど全て有限であり、その組み合わせの中でジャズ音楽が説明できるものであると知った。要はどれだけのパターンを自分のものとして、そのバリエーションを使って演奏するかがジャズなのである。
こうした基本的なルールと知識を演奏家全員が共有しているからこそ自由な演奏をしながら、曲としての統一性を持った演奏が成立するのである。基礎理論と基礎技術の習得がなければ、一流のジャズ演奏家になれない。こうしたことにようやく気づき、12音階での基本アドリブ練習を始めた。サックスを開始して5年も経過していた。とにかくつまらない100種類のアドリブ曲を12音階でひたすら練習する1年があった。しかしこの本を1冊終えるころには、私のサックスの音質は飛躍的に向上していた。
日本の古典楽器である尺八の用語に「首振り3年、ころ8年」という言葉がある。「首を振りながら何とか尺八の音が出るようになるの3年、ころころとしたいい音が出るのに8年かかる」という意味である。私のサックスもまさにこの言葉通りである。何とか自分の好きな音を見つけ、人に聞いてもらえるだけの音の出し方ができるまでに8年のときが経過した。もちろん、この間は毎週末ヤマハに通い、終日練習に明け暮れた。
この頃になると、私は自分の音楽の方向性についても何となく分かってきつつあった。「楽曲の持つ詩(ことば)や背景を自分なりの解釈し再現する」ことが私の音楽である。これは歌唱と全く同じである。ところがサックスは歌を比較して決定的なハンディキャップがある。言葉を通じて観客に意味や意図を伝えられないのである。言葉なくして状況なり感情を表現するテクニックや音楽性が必要となる。私は初めてこの課題と向き合うことになった。
解決策を求めて、改めて過去の有名なサックス奏者の演奏を聞き比べてみた。チャーリー・パーカー、ベニー・カーター、フィル・ウッズ、ジャッキー・マクレーン、ソニー・ステット、アート・ペッパー、ジョニー・ホッジス、キャノンボール・アダレイ、ポール・デスモンド、渡辺貞夫などすばらしいアルトサックス奏者はいっぱいいる。それぞれが自分の個性を持っている。私はこうした人達の演奏の中で私なりに盗めるものがないかと研究した。
こうしたプロのサックス奏者の音楽を聞きながら、私は「音の強弱」や「幾つもの音質」を持つことで、音楽を無限に拡げることができることに気づいた。曲内のテンポのバリエーションは有限であっても、微妙にテンポ内の速さを変化せたり、強弱をつけたりすれば音楽は無限に変化する。フレーズの作り方もほとんど研究し尽くされたといえ、音質を変え、強弱をつけ、更にテンポの変化を交ぜればいくらでも音楽の表現が増えていく。そこに私なりの音楽ができ上がっていくことが可能なのである。
◆歌唱への波及効果
幸いに私には日本で行きつけのジャズクラブ「ドラム」がある。サックスを始めて2年くらいたった頃から恐る恐るこの「ドラム」での無者修行を始めた。サックスを吹いては自己嫌悪にさいなまれたが、プロの人達から学ぶことは多かった。
プロの演奏家達は通常、音楽について語らないという。そもそも音楽をやる人達が音楽についての議論を始めると、殴り合いのけんかが始まるという。欧米のジャズミュージシャンたちの殴り合いのけんかについては枚挙の暇(いとま)が無い。だから日本の演奏家達も音楽の議論することを避ける。
しかし、「ドラム」のマスターの三戸部純一さんはジャズ論議を好んでする。私がサックスを始めてからは、私に対してもこうしたジャズ論議を盛んに仕掛けてこられるようになった。ジャズの初心者である私に対してジャズ論議をしてもけんかにはならない。「ドラム」の演奏者の方たちも私に対して自分のジャズ理論を語ってくれるようになった。これらの人たちはいずれも日本で一流のジャズミュージシャンばかりである。こうした方たちと話し合う中で、いつの間にか私の体の中に自然とジャズが体得されていったような気がする。
サックスが少し吹けるようになると、驚くことに私の歌にも大きな変化が現れてきた。音の強弱のメリハリをつけることで、より観客の注意を引きつけられるようになった。声の出し方も正統的な発音方法だけでなく、息を多く交ぜる発声や裏声などを使えるようになった。曲の中で「笑い声」や「泣き声」などの擬似音を挿入することで、更なる感情投入が可能になる。私の歌の幅が大きく広がり、従来とは全く違った音楽性を身に着けることができるようになった。サックスを習得するまでは、まったく予期していなかった歌への波及効果である。
◆突然の大きな不幸
こうして亀の歩みながら地道に週末はヤマハのスタジオに通い、終日サックスを練習する日々が数年続いた。一方で、本業であるバンコック銀行日系企業部の仕事は順調に拡大し、私は仕事に忙殺され、ほぼ毎日接待の夕食が続くようになる。
こうなると平日は音楽に割く時間がない。私はタイでのKUJバンドの練習や演奏活動へ足が遠のきつつあった。そんな矢先である。突然大きな不幸がKUJバンドに訪れた。KUJバンドのリーダーでキーボード担当であった田家健一さんがオートバイの事故で亡くなったのである。11年1月のことであった。(次回に続く)
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第89回 音楽と私(上)~歌との出会い~
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第46回 わが同朋の死を悼んで(2015年5月22日)
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第12回 楽に寄す(2014年1月10日)
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