山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
イージス艦からトマホーク59発。シリアの空軍基地を攻撃したトランプ政権の強硬策に世界は驚いたが、力の誇示は米共和党政権の常套(じょうとう)手段だ。戦争は内政を反映する。トランプ政権は目下、支持率が急落している。失敗の原因はあれこれあるが、最大の懸案は「ロシア疑惑」で追及をうけていることだ。米連邦捜査局(FBI)のコミー長官は米議会下院公聴会で堂々と、昨年の大統領選にロシアがサイバー攻撃で介入した問題について「トランプ陣営の個人とロシア政府との関係や、協力したかどうかを捜査している」と表明した。
◆対シリア政策、振り出しに
アサド政権をたたく。それは、裏にいるロシアに強く出る、ということでもある。「プーチンに借りはない」というアピールをトランプは狙った。
迅速果敢な決断だった。というより、唐突で強引な決定である。
「政府軍がサリンを使った。赤ん坊まで犠牲にした。容赦はしない」。
トランプは演説で述べたが、そう言うなら無人機による無差別攻撃の被害者になんと説明するのか。そう突っ込みたくなるが、それはさておき、トランプ演説は一方的な言い分だった。
サリンをまいたのは、政府軍なのか。犠牲者はサリン中毒に似た症状を表している。だが、政府軍は攻撃にサリンを使うほどの状況にあるのだろうか。使えば国際世論を敵に回すとアサドだって分かっている。反政府軍の制圧は時間の問題になっている。ここでサリンを使う理由はない。
攻撃を受けたのは、ヌスラ戦線(現在はシャーム解放委員会に改称)の支配地だ。アルカイダ系の反政府過激派組織である。サリン系の毒ガスが保管されていた可能性がないとは言えない。何が起きてもおかしくない戦況で、トランプはシリア政府を悪者に仕立て「力の行使」を正当化した。
「大量破壊兵器を隠し持っている」と言いがかりをつけてイラク侵攻を正当化したブッシュ政権の二の舞を心配する声は、国連でも上がっている。アメリカは単独の軍事行動が許される唯一の国だ。トランプのやり方が、唐突に思えるのは、対シリア政策を振り出しに戻したからだ。
四分五裂の内戦を収拾させようと米欧ロは「敵は(過激派組織の)イスラム国(IS)」で、とりあえず一致した。アサドを敵視するオバマ政権も、ISはテロの元凶と恐れる国際世論に配慮し、シリアではロシアと折り合いをつけることで妥協した。
親ロ路線のトランプなら、その方向に進むと見られていた。「アメリカ・ファースト」で「世界の保安官にはならない」と言う。それほどアメリカが大事なら、中東から少しずつ足を抜くでは。そんな観測を今回の軍事行動は木っ端みじんに吹き飛ばした。
◆後先を考えず、短絡的に重い政策を発動
米中首脳の会談が宴たけなわのころ、トランプは習近平主席に「シリア攻撃」を伝えた。習はしばらくの間、言葉が出なかった、という。
会談でトランプは、核開発を急ぐ北朝鮮をなんとかするよう習に頼んでいた。「中国がやらなければアメリカがやる」と迫ったというが、トマホークの一撃は「米国による軍事攻撃」にリアリティーを持たせた。
シリアでの軍事力行使は「北朝鮮でも、俺はやる時にはやる」と印象付けた。
攻撃を受けたらソウルを火の海にできる北朝鮮と、シリアとは状況はまるで違うが、「トランプという男は何をするかわからない」という印象を中国や北朝鮮に与えたのではないか。オバマのような普通の人ならしないことでも、常識が通用しないトランプならするかもしれない。トランプ流の交渉術、彼の言う「ディール(取引)」とはこういうことか。
別の見方をするなら、習近平との首脳会談で、対北朝鮮で成果を引き出せなかったから、目先を変えてシリアで派手な軍事行動を演じた、とも考えられる。
いずれにしても後先を考えず、短絡的に重い政策を発動する。それがトランプのアメリカだ。
では、シリアをこれからどうするのか。アサドを倒すまで攻撃するのか。倒した後の安定に責任を持てるか。ロシアとの関係を悪くするのか、などなど。トマホークをぶっ放す前に考えておかなければいけないことはたくさんあった。
トランプはシリア問題を深く考えてきたとは思えない。政権でシリアを担当する専門チームはまだできていないという。国務省も国防省もトップが代わり、幹部人事もこれから。新政権のシリア政策はまだこれからだ。そんな時に、いきなり暴力的な政策で、事態を振り出しに戻す。
トランプという人は、熟慮断行の人ではなく、ひらめきとカンで勝負してきたのだろう。この窮地を脱するには、アメリカ人が好きなマッチョぶりを見せつけて「いざという時はやる男」を演じてみせる。「ロシアに弱みを握られた男」という疑いを打ち消したい―。
発足して100日になるが、トランプ陣営は固まっていない。泡沫(ほうまつ)候補だったトランプに集まった「烏合(うごう)の衆」が権力をつかむ中で、だんだんとチームになってゆく。今はまだその過程にある。政界人として力不足だったトランプに陰で手を貸したのがロシアだった。
民主党の選対本部などへサイバー攻撃を仕掛け、ヒラリー・クリントン候補に不利な情報を内部告発サイト「ウィキリークス」などを使って流す。このあたりの事情はFBIが調べて昨年末、オバマ大統領と、就任前のトランプ氏に報告した、という。
ロシアがランプ陣営の要人とどんなやり取りを交わしたかなど、事実解明はまだ済んでいないが、トランプは「プーチンはオバマより優れた政治家だ」などと持ち上げていた。
親ロ路線が鮮明になったのはトランプ政権の人事だ。国家安全保障担当の大統領補佐官にロシアと太い人脈を持つマイケル・フリン氏を据え、国務長官にエクソンモービル会長であるティラーソン氏を抜擢(ばってき)した。ティラーソン氏は政治経験は全くないが、エクソンモービルはロシアで大掛かりな事業をしており、プーチン大統領とも個人的に親しい。
◆「ゴールデンシャワーゲート」
米国では不人気なロシアに、あえて配慮するトランプ氏に「個人的に弱みを握られているのでは」という憶測が政界やメディアに広がっている。きっかけは「ゴールデンシャワーゲート」と揶揄(やゆ)されるスキャンダルだ。
ミスユニバースの事業でモスクワを訪れたトランプ氏が、超高級ホテルのスイートルームに売春婦を集め乱痴気騒ぎをした。オバマ大統領夫妻が使ったとされるベッドめがけ一斉に放尿させた、というなんとも破廉恥な事件だ。その一部始終をロシアの秘密警察が記録している、と英国情報機関MI6の元職員が報告書にまとめた。
報告書の存在をCNNが報じ、全文をネットメディアのバズフィードが掲載し、トランプとメディアの対立が決定的になった。
「報告書」にはトランプ陣営の要人とロシア政府関係者との接触が書かれており、FBIが事実かどうかを捜査している。
米国の主要メディアは、トランプのロシア疑惑を調査報道の核心に位置付けている。FBIも組織の頂点に立つ司法長官や大統領が、ロシアとつながっているのでは安心して仕事ができない。
そんな中で、トランプの腹心でロシアとのパイプ役とされたマイケル・フリン大統領補佐官が辞任に追い込まれた。
政権が発足する前からワシントン駐在のロシア大使と接触し、経済制裁に関して電話で話し合っていた。米国では民間人が外交に絡んで関係国の当事者と接触することは違法だ。
ロシア大使との電話はFBIが盗聴していた。電話会談はメディアにリークされ、トランプは腹心を守り切れなかった。
大統領選で泡沫候補から共和党候補になり本選挙で競り勝ったトランプは、陣営に三つの勢力を抱える。首席戦略官のスティーブン・バノン氏に象徴される反エスタブリッシュメントを掲げる勢力、フリン氏が統括したロシア人脈、マイク・ペンス副大統領のような共和党右派である。
選挙戦を担ったのは共和党の右派勢力だが、最終局面ではバノン氏が描いた「再び偉大なアメリカに」という「反貧困」のアジテーションが効いた。ロシアの情報戦略も功を奏した。その結果、バノン氏が政権の戦略を担い、ロシア派が主要ポストに就いた。だが政権が動き始めると、議会対策が大事なる。共和党の右派が力を付けた。共和党にとってロシアは宿敵である。既得権益を憎悪するバノン氏のような無政府主義者は目障りになる。新政権は船出から火種を抱えていた。
◆実権を握りつつある共和党右派
メディアや捜査機関が追及する「ロシア疑惑」を払拭(ふっしょく)しない限り、安定した運営はできない。それには「親ロ関係」を冷やすしかない。発足して100日間で、権力の重心は戦いの功労者から、平時の実務者へと動いた。その過程で、フリン氏が切り捨てられ、対ロ政策も微妙に変わった。
戸惑い、怒っているのはプーチンだろう。協力的だったはずのトランプが手のひらを返した。窮地を脱するため、やむなく距離を置くそぶりをする「表向きの態度」か、それともロシアを「使い捨て」にするつもりなのか。プーチンは見定めようとするだろう。見立てによって、米ロ関係は激変する。
実権を握りつつある共和党右派は、目障りなバノン首席戦略官に対しても無力化を図っている。国家安全保障会議(NSC)のメンバーからバノン氏を外した。
烏合の衆だったトランプ政権が、純化の道を歩んでる、とも見えるが、内部対立は激化するだろう。近親憎悪が、情報戦を煽(あお)り、刺し合いは政権を内部から崩壊させる恐れさえある。まさにメディアの出番である。
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