п»ї 東京オリンピックでいいのか『山田厚史の地球は丸くない』第5回 | ニュース屋台村

東京オリンピックでいいのか
『山田厚史の地球は丸くない』第5回

9月 20日 2013年 政治

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

オリンピックが2020年、東京に来る。「よかった」「うれしい」「大歓迎」とメディアは報じ、同調圧力は高まるばかり。東京五輪はそんなにめでたいことなのか。

都がカネを使うべきは、直下型震災への備えではないのか。国が取り組むべきは海や空気を汚染するフクシマの放射能対策だ。どうしようもない不安をお祭り気分で紛らわす。現実逃避の空気が、この国に充満している。

◆世界では通らぬ「ウソも方便」

放射能は「見えない」が、政府は「見たくない」のかもしれない。

「汚染物質は0・3平方キロの港湾の中に閉じ込められている」「放射能汚染水はコントロール出来ている」。

耳を疑う発言をしたのは安倍首相である。放射能に色が付いたら、こんな大胆な発言はできなかったろう。東京電力の責任者でさえ「汚染水は漏れ出している」と首相発言を疑問視する発言をした。

東京開催を不安視する国際オリンピック委員会(IOC)委員を説得するには「大丈夫」という言葉が必要、と首相周辺は判断した。日本には「ウソも方便」という言葉があるが、世界では政治家にとってウソは致命的だ。「ああ言わなければ収まらなかった」という日本的な言い訳が通じない局面が来るかもしれない。

経済の長期停滞、中国に追い越された国内総生産(GDP)、放射能汚染、首都直下や南海トラフで予想される大震災……。

不安と自信喪失の中で、お祭りに逃げ込みたいという気分は人々にもある。

政治とは、立ち向かう課題を提示し、優先順位を決め、実現に向け人々の心を一つにすることではないのか。

◆景気浮揚へ「熱狂」ほしがる安倍政権

東京五輪は、人々の心を一つに出来るだろうか。7年後に実施される「お祭りの2週間」は、熱狂が列島に充満するかもしれない。だが、そこに至る道のりで鮮明になるのは「東京への一極集中」だろう。

1964年の東京五輪は、戦後復興の姿を首都東京が示すことに意義があった。「いまなぜ東京で五輪なのか」。示す旗印が見えない。五輪誘致の口実は「震災復興」だった。津波に生活を失いながら、略奪や暴動もなく、黙々と前に向かって進む人々の姿は世界に感動さえ与えた。「震災の克服」は五輪誘致の理念になるかと思えた。ところが「汚染水問題」で、震災復興を前面に出すのは好ましくない、という判断が政権やJOCに広がった。この辺りから「五輪開催の本音」が見えてきた。

アベノミクスに息切れが見えてきた政権にとって新たなテーマが必要だった。来年4月に消費税を引き上げれば景気が腰折れするかもしれない。高い支持率がいつまでも続く保証はない。悲願の憲法改正を実現するためにも「熱狂」がほしい。支持率を左右するのは「景気」。GDPや成長率を考えれば、東京でお祭りをすることは経済効果が期待できる。

◆バブル崩壊で傷を負った面々の捲土重来

政府は財政難といいながら、代々木の国際競技場の改築に1300億円をかけるという。世界からお客様をお招きするには、という口実で公共投資がどんどん膨らみそうだ。

ブエノスアイレスでの五輪決定劇で、安倍首相の背後に森喜郎元首相の姿があった。かつて文教族としてならした森は「五輪事業の仕切り役」ともいわれるほど、五輪予算に影響力のある人物と言われる。

「国際競技場の建て替えなど代々木の再開発に森元首相の影が見える」と業界では言われている。財政再建で日陰にあった建設・土木事業が五輪を口実に脚光を浴び始めた。

狭い地域に施設をまとめる効率的な運営が東京五輪の売り物だ。選手村をはじめ、新たに建設される主要施設は臨海副都心に集中させる。臨海副都心は1995年まで務めた鈴木俊一知事が力を入れたプロジェクトである。

豪華な都庁舎を建てた鈴木はバブル経済に便乗して東京湾を埋め立て、東京を膨張させようとした。三選を果たした91年にバブルは崩壊、臨海副都心を売り出すお祭りだった「世界都市博覧会」は、後任の青島幸男知事によって中止された。

膨大な都有地を抱える東京都、首都拡張事業に一枚かむ土木・建設・不動産業者。バブル崩壊で傷を負った面々は捲土重来を待ち望んでいた。見果てぬ夢に終わった都市博の再来が東京五輪である。

築地の魚市場を移転させ、跡地にプレスセンターが建設される。さらに海寄りの晴海に選手村が建設され、五輪後はマンションとして分譲される。野鳥の楽園になっている葛西臨海公園の海はカヤックなど水上競技場になる。

臨海部の弱点は交通アクセス。湾岸を走る軽便鉄道のゆりかもめの輸送量では足らない。幹線道路の晴海道路は今も渋滞が問題になっている。国立競技場と湾岸を結ぶ動脈がない。これから7年、東京は土木・建設の事業が盛んになるだろう。

◆増税への協力で見返り求める道路族

道路族など与党国会議員が活気づいている。標的は消費税増税による増収分だ。増収分は社会保障の充実に充てる、という原則がある。だが「カネに色が付いているわけではない」という声が与党議員から聞こえる。

「増税に協力すればその配分には考慮する、という約束を財務省と交わしている」。

自民党税調の幹部は内情を明かす。増税路線を敷いたのは財務省だが、決めるのは国会議員だ。増税への協力に見返りが求められている。

安倍首相が2014年4月からの増税を決めたが、同時に景気対策を行う、という。消費税が3%上がれば7、8兆円の増収が期待される。その中で2%分、つまり5兆円を景気対策に充てる、というのだ。社会保障財源という原則はもう崩れ出した。

東京都は4000億円を五輪予算として蓄えている。これでも足らないのでは、といわれる。東京はカネ持ち自治体なので、自前で五輪対策費をねん出できる。だが、豊かな財政は猪瀬知事や石原前知事が有能だから稼いだ、というものではない。東京に企業やカネ持ちが集中しているからだ。

ゼニ儲けで考えるなら経済活動が集中する東京に会社を置き、その周辺に従業員が住むことが効率的だ。その結果、都に税金が入る。だが、大勢の納税者は子ども時代を地方で過ごしている。教育予算など行政経費は地方が負担し、成果は東京がいただく、という構図の中で「地方の疲弊」が問題になっている。

◆政府が便乗する究極のポピュリズム

日本はすべてが東京になり得ない。地方という外延があって首都がそびえ立っている。「ふるさと納税」など、一極集中を税政する方策が模索されている今、なぜ一極集中の東京五輪をあえて行うのか。

今、日本が直面する課題は少子高齢というゆがんだ人口構成が、持続的な社会構造を蝕(むしば)んでいることだ。年金・医療・社会保障の崩壊をどう食い止めるか。正社員と非正社員、拡大する貧富の差、地方の衰退など構造問題を直視することだ。危機的状況が今も続くフクシマの汚染を食い止めることだ。そして、来るべく震災に備えることだ。

簡単に解決しない問題であるだけに、目をそむけたい人たちもいるだろう。そんなムードに政府が便乗するのは究極のポピュリズムである。

熱狂の陰で喜ぶのは誰か、大事なことから目をそむけるツケを被るのは誰か。

思えば「政治の不作為」がもたらしたのが、日本の財政破綻である。福島原発事故である。

大震災はいつかやって来る。それがいつかは分からない。手をこまねいていれば社会保障の崩壊が避けられない。それがいつかはピンとこない。東京五輪は2020年にやって来る。分かりやすいことだけをやる、という政治に未来はないだろう。

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