引地達也(ひきち・たつや)
コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括。ケアメディア推進プロジェクト代表。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般社団法人日本不動産仲裁機構上席研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など経て現職。
◆独特の映像体験
知的障がい者を主人公の「俳優」として「はたらく」ことを考える映画作品「はたらく」(齋藤一男監督、ロゴスフィルム製作)が完成し、今年末からの一般公開に向け準備が進んでいる。自閉症の主人公、しょうへい(長田翔平さん)さんと齋藤監督との交流とともに制作現場の苦悩と仲間たちの奮闘を描いたドキュメンタリー的要素も盛り込んだ作品は、障がい者の「はたらく」だけではなく、私たちと知的障がい者との関わり方を考えさせられる野心的な作品だ。
知的障がい者向けの作業所で社会生活を送る長田さんに、齋藤監督はその存在感に、俳優の可能性を見いだし、信頼関係を結びながら、撮影に挑戦することから映画は始まる。作業所で与えられた仕事をし、自宅でご飯を食べ、好みのDVDを見たり、時には自転車に乗ったりしながら日々を過ごす長田さんにとって、演技をし、撮影されることは、あまりにも非日常であったと想像される。同時に見えてくるのが、長田さんの「出来ない部分」である。周囲は出来ないことをカバーしようと支援するが、やはり出来ない。周囲の努力もむなしく、長田さん自身は集中力が維持できず、休んでしまう。
これをどう受け止めるであろうか。長田さんの努力の放棄だと嘆くか、それとも、仕事とは何らかの「押し付けられた行動」と気づくか。この問いかけが映画の大きなテーマである。齋藤監督は「(長田さんのことを)知りたいと思わなければ、分からない」と述べ、画面の長田さんの表情を見ることで、私たちが普段じっくりと見ることのない知的障がい者への関わりと意識が変わってくることも期待している。
◆主演者とのやりとり
宣伝コピーは「ドキュメントとフィクションの狭間を行く今まで見たことのない独特な映像体験」としており、これは長田さんの生身の表情を見ることが、「見たことのない映像体験」となるとも言える。
試写会後、来場者を前にあいさつに立ったり、花束を贈呈されたりと、初めての経験の続く長田さんにインタビューを行ったところ以下のやりとりになった。
筆者「映画の撮影はどんな気持ちでやりましたか」
長田さん「分かりません」
筆者「自分が出ている映画を見てどんな気持ちになりましたか」
長田さん「分かりません」
筆者「試写会などで花束をもらいましたが、どんな気持ちですか」
長田さん「うれしいです」
筆者「映画の撮影をもう一度やるのなら、やりますか」
長田さん「やります」
筆者「いつも作業所で行っているチラシの仕事と映画の仕事、どちらの仕事が好きですか」
長田さん「チラシの仕事です」
プロの俳優業の人が自分の演技を饒舌に語るのとは比べられないものの、長田さんが質問に答えた中で、表現していることを受け止めることもまた、私たちの挑戦かもしれない。作品の中で、交差点に立つ長田さんの何気ない姿や顔のアップがある。彼がそこにただ「いる」だけなのだが、私たちはそこから何を考えられるだろうか。
作品の詳細と上映に関する情報は、ロゴフィルム http://www.logosfilm.jpまで。
精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
http://psycure.jp/column/8/
■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link
■引地達也のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/
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