п»ї 「9条」だけでない憲法の空洞化 国会審議は「出がらしの茶」か 『山田厚史の地球は丸くない』第109回 | ニュース屋台村

「9条」だけでない憲法の空洞化 国会審議は「出がらしの茶」か
『山田厚史の地球は丸くない』第109回

1月 27日 2018年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

2018年度予算や、働き方改革、カジノ開業など審議する国会が22日から始まった。冒頭の与野党折衝で野党の質問時間がまた短くなった。野党8・与党2だった時間配分を7対3にするという。自民党が「5対5」にと迫り、押し問答の結果この配分に収まった。

与党の質問時間を長くすると、なにかいいことがあるのだろうか。いま日本の国会に問われているのは、活発な議論、かみ合う討論、緊張感のある審議。つまり「国会の活性化」である。与党の時間を長くすることで国会が活性化するなら一案だが、今の国会を見る限り、与党の時間を増やすのは百害あって一利なしではないか。

◆真剣に討議する気のない議員

質問時間を持て余し、般若心経を唱え始めた議員がいた。自民党の谷川弥一議員(長崎3区)だった。カジノ解禁法案の審議で賛成の立場に立って制度の概要など質問したが、質問というより、カジノの紹介を提案者に説明させるための合いの手である。だらだらと緊張感のないやり取りが続いたがタマが切れた。残り時間を持て余し、地場産業の現状や郷土愛の話などのひとり語りが迷走し、ついには般若心経を唱え、講釈を始めた。

真剣に討議する気のない議員にとって持ち時間の消化は容易ではないことを谷川議員は身をもって示した。

去年12月の参議院予算委員会での山本一太議員も議会傍聴者を呆れさせた。

「国会審議で与党には与党の役割がありますから、しっかりと質問させていただきたい」と立派な前置きし、首相や閣僚に「緊張感のある答弁をお願いしたい」と求めた。そして自らが推進するクールジャパン戦略を披瀝(ひれき)し、成長戦略との絡みを安倍首相に聞いた。首相が「成長戦略の大きな柱」と持ち上げると、山本議員は「一言、『応援している』と言っていただけますか?」。

「もちろん応援しております」と安倍首相は笑いながら答える。次は経産大臣に水を向ける。「世耕大臣、『いいじゃないか』と言って下さい」。経産相は「いいじゃないかと思います」。ここでまた笑いが。さらに松山政司内閣府特命相にも答え求め、「極めて重要なことですので、積極的にお願いします」。

これが緊張感ある応答なのか。ずぶずぶのもたれ合いである。国会審議にはなれ合い審議や、ゴマすり質問は随所にある。新聞やテレビは主要なやり取りだけを無味乾燥な「抄録」にして掲載するが、国会の「におい」は伝わってこない。行ってみると与党質問は概ね退屈で、議席で他の文書を読んでいたり、スマホをいじったりして、真剣に聞き入っている議員は少ない。

◆「密室」で事が運び、国会にかかる前に大枠決定

与党質問が退屈なのは、理由がある。議員の尋ねたいことがないからだ。与党は国会にかかる前に党内で審議し、法案の内容について話はついている。与党議員にとって国会審議は「出がらしの茶」を飲むようなものだ。

国民がリーダーを選ぶ大統領制と異なり、日本は議院内閣制である。与党が首相を選ぶ。与党は政府の生みの親であり、首相の味方となって政権を守る。立法権は国会にあっても、ほとんどの法律は政府提案だ。国会に上程される前に与党で協議される。族議員の部会でもまれ、政務調査会で吟味され、総務会の了承を得て法案として国会に提出される。

省庁による根回しも含め、与党には十分な審議時間が与えられている。その大部分が非公開の、つまり「密室」で事が運び、国会にかかる前に政策の大枠が決まる。

日本の国会審議は、政府与党内で固まった法案を野党がチェックする場である。野党8・与党2という審議時間は、現実の政策決定過程を反映した合理的な時間配分として定着してきた。

「国民を代表する国会議員が多数いるのに与党の質問時間が短くしているのはおかしい」という主張はもっともらしく聞こえるが、政策決定の実態を見れば、的外れな議論でしかない。こんな議論がまかり通るのは、国会にかかる前に政府と与党がどんな「話し合い」をしているかメディアが報道していないからだろう。

政治記者が取り仕切る国会報道は、政局に関心が偏り、よほどの対決法案でない限り、政策がどのように立案されるかは報じられない。誰が政策を担ぎ、どんな妥協や修正が加えられ、誰の利益が優先されたか。その過程を伝えるのが本来、メディアの仕事である。

◆立法府の自殺行為

大統領制のアメリカでは、法律は国会議員が作る。法案は国会論議の中で修正されたり、大統領が議員を一本釣りして多数派工作をしたりもする。国会が政策立案の舞台として機能している。

日本の国会は「手順を踏む場」でしかない。野党に言いたいことを言わせ、時間が来たら採決する。だから野党は持ち時間を使って政策をチェックし、政権の弱点を突く。

与党は事前に済ませているから、今さら聞くことはない。無理に時間を設定して消化しよとするから、般若心経などが飛び出す。与党質問はNHKの放送枠を意識し、身内である首相の政策を褒めたり、国民に政府与党の政策を宣伝したりすることに重点が置かれる。緊張感などあるはずがなく、与党の質問時間を増やすのは、野党の質問を短くするためで、国会のチェック機能を低下させるだけだ。

小選挙区制と人事権の掌握がもたらした「安倍一強」状況は、党と政府が話し合う実質的な政策協議の場で、党側の力を低下させた。官邸の威光はますます強まり、国会議員が首相の顔色をうかがう。その国会が野党の持ち時間を減らす。

立法府の自殺行為ではないか。「国会は国権の最高機関」と憲法で明示され、その役割は「立法府」である。国会が法律を作るところ、という意識が議員にさえ希薄だ。

今国会では、民間団体の原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟が「原発ゼロ法案」を立憲民主党・共産党などの協力で提出したが、こうした議員立法は稀(まれ)だ。ほとんどが政府提案、つまり各省庁が法案を書き、内閣が閣議で決定して国会に提出する。中身は与党でもむので、実質審議に参加できるのは与党議員である。憲法の空洞化というと「9条」が思い浮かぶが、「国会」も空洞化されて久しい。安倍政権でそれがより鮮明になっている。

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