п»ї 私たちの道徳教育―「出処進退」はもはや死語? 『山田厚史の地球は丸くない』第111回 | ニュース屋台村

私たちの道徳教育―「出処進退」はもはや死語?
『山田厚史の地球は丸くない』第111回

3月 02日 2018年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

「道徳」が4月から小学校で正式な教科になる。つまり成績評価の対象になる。

道徳を学校の教科にすることは以前から議論があったが、先日、前文部科学次官の前川喜平さんから道徳教科書に載った記述を聞いて、複雑な気持ちになった。

◆朝のあいさつの「正解」

「お早うございます」のあいさつの仕方。「正しいのはどれか。三つの中から選びなさい」というのである。

①「お早うございます」と言葉を発して、頭を下げる

②「お早うございます」の言葉と同時に、頭を下げる

③頭を下げてから「お早うございます」という

どれが正解か、分かります?

あいさつは、人それぞれ。気持ちがこもっていればいいのでは、と思うのだが、先生は「正解」を教えなければならない。

「道徳教育は特定の価値観を教える教科ではない」と文科省は指導するというが、「教育はあいさつから始まる」と考える人たちが、正しいあいさつの仕方を教科書で教えたいらしい。

正解は②だという。誰が決めたのだろう。「お早うございます」と言って頭を下げるのは朝のあいさつにならない、ということか。正しいあいさつをする子供が、いい評価を得るのだろうか。

学校の勉強にはテストがあって、一つしかない答えを当てる。そんな教育が長く続いてきた。

社会に出ると「答えのない課題」が沢山ある。正解などあらかじめ決まっていない。

しかしながら学校では、巻末に載っている答えを、素早く見つけるのが上手な子供が「勉強のできる子」と褒められてきた。

◆健全なリスク感覚が育たない職場

日本がバブルに浮かれて巨額の損失を生んだ時期、私は金融業界を担当していた。

石橋をたたいても渡らない、といわれた謹厳実直な銀行員が「金融自由化だ、リスクを取れ」という掛け声に煽(あお)られ、地上げ屋や暴力団にまで融資をして散々なことが起きた。

「優秀な銀行員がどうしてあんな馬鹿なことをしたのでしょうか?」

大手銀行の人事担当者に質問をぶつけたことがあった。

「銀行員って優秀でしょうか」。意外な答えが返ってきた。

「『優』が沢山ないと銀行に入れませんよね。銀行に就職した友人はみな成績が良かった」

というと

「『優』の数は頭の良さではありません。秩序への従順度を示すものではないでしょうか」。本当に頭のいい学生は先生とぶつかったりする。「優」を沢山とる学生は、この先生にはこう答えよう、この授業は出席点が重視される、といった具合に、その場の秩序に迎合的で要領のいい学生が「優」を集める、というのである。

銀行は現金を扱い、規制や決まりが多く、役所の検査も厳しい。決められたことをきちんとこなす能力。「護送船団方式」と呼ばれた時代は、秩序に従順なことが銀行員の要件だった。金融自由化で、求められる資質が変わった。「自由にやれ」と言われた時、昔気質の銀行員は、何をどうすればいいか分からなくなった。「リスクを取れ」と言われると、いままでやってはいけないとされたことをやる、と勘違いし、皆が同じ方向に走った。

教師に教えられたとおりに答え、上司に命ぜられるまま仕事をする。自分を出さないことが美徳とされ、組織が流れる方向だけを見て、皆と同じことをする。同じことをして失敗すれば、責任は取らなくてもいい――。

◆いま何を思う佐川さん

テレビを見ながら、そんなことを思い出した。国会中継で佐川宣寿国税庁長官の発言が問題になっていた。1年前の国会で、当時理財局長だった佐川さんは、連日テレビに登場した。

「法令に基づいて処理しております。なんの問題はありません」

「記録は決まりによってすべて破棄し残っていません」

鉄面皮というか、傲岸不遜(ごうがんふそん)というか、何を聞かれも木で鼻をくくったような答弁をしていたあの人。役所を守り、政権を助けるために組織の側に立って平気で「ウソ」をつきまくった。あるいは、本当のことを知らされないまま、筋書き通りの答弁を滔々(とうとう)としていたのかもしれない。

「廃棄した」と言っていた資料が続々と出てきた。「こちらから示したことはない」と言い張っていた売却価格も財務局が早い段階で示していたことが記録から明らかになった。知りながら答弁していたなら「うそつき」、知らされていなかったら「迂闊(うかつ)」である。事実を調べ国会で明らかにする責任は理財局長にあるのだから。

佐川さんが大蔵省(当時)に入ったのは、まだ「昭和」だった1982年である。大蔵省が「役所の中の役所」と崇められ政府の中枢として機能していた。金儲けに縁はないが、天下国家の経営に携わる誇り高い職場として、国家公務員は尊敬を集めていた。最難関の大蔵省を目指した佐川さんも、青雲の志を抱いていたことだろう。

国税庁長官にまで上り詰めたのだから有能な役人だったに違いない。局長・長官にまでなるのはごく一握りである。勝ち組として官僚人生を終えようとする今、佐川さんは何を思っているだろうか。これが彼にとって一生を捧げたい仕事だったのだろうか。

◆「誇り」の対極に「恥」を置いてきた精神風土

国家公務員上級職は、天下の俊才が目指す職種であり、社会で指導的立場の人と世間は見てきた。当事者には「誇りある仕事」ではなかったか。

「誇り」の対極に「恥」を置くのが日本の精神風土だった。ぶざまな結果を出した時「出処進退」を明らかにする。それが指導的な立場に立つ人の振る舞いとされた。

「佐川さんは自分から辞めることはできません。財務省は佐川さんを守る、という方針ですから」

財務省の幹部はいう。組織の論理に従い行動した役人は組織を挙げて守る。理財局長として政権の防波堤になった人物を辞めさせたら、政治圧力に屈したことになる。決めた人事は変えない。それが彼らの論理だ。

財務省に傷がつくだけではない。防波堤が崩れたら、次に矢面に立つのは安倍首相夫人だという。「佐川を辞めさすな」という風圧を官邸から感ずるらしい。佐川さんは、出処進退を自分で決めることができないらしい。

公務員とは、なんなのだろう。財務省に入れば財務省の掟(おきて)にしばられ、政権の都合が優先する。顔は国民に向いていない。

40年前の佐川さんが、今の姿を見たら、大蔵省へ入省を希望するだろうか。

財務省や高級官僚に対する世間の評価は急落しているのではないか。

吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』が若い人の間で、静かなブームになっている。いかに生きるかを真剣に考える若者たちがいる。

では、私たちはどう生きたか。佐川さんだけの話ではない。道徳は大人が身をもって示すものである。

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