古川弘介(ふるかわ・こうすけ)
海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。
◆前編の要約と本稿の狙い
前稿では、資本主義の最大の批判者であったカール・マルクス(1818〜1883)の思想をとりあげた。急速な産業化・近代化が進展していた19世紀英国において、労働者は貧困に苦しみ、階級間の不平等は大きく、循環的な不況が多くの人々の生活をさらに悲惨にした。こうした労働者の悲惨な状態を変えようと考えたマルクスは、それまでの空想的「社会主義」を脱し、経済学の理論を用いて「社会主義」を現実的な資本主義の諸問題の解決策として人々に示したのである。
マルクスの経済学は社会経済学であり、貧困、不平等、不況といった社会の諸問題の本質を明らかにするために、経済理論による歴史の解明を目指した。そして、生産の諸条件が経済(下部構造)を規定し、下部構造が上部構造たる政治・文化を規定するとする歴史理解(史的唯物論)を確立する。そこでは、歴史は生産力の発展によって進歩していくのであり、資本主義的生産様式は、内在する矛盾が顕在化して必然的に崩壊し、その後は社会主義に移行するという弁証法的(*注1)結論が導かれる。
本来、史的唯物論はマルクスの研究対象たる19世紀の英国を前提とした理論であったはずであるが、マルクスの思想を母体として発展したマルクス主義イデオロギーにおいては、理論の普遍性を前提とする。20世紀初頭には、マルクスの思想の実現を目指してロシアで革命が起き、最初の社会主義国であるソビエト連邦が誕生した。世界的に不況、不平等、貧困といった資本主義の弊害が耐え難いほど大きくなった
1930年代には、資本主義の問題の解決策として、社会主義とファシズム(国家社会主義)に大きな期待がかけられていた。経済的苦境による絶望感と、既成の政治の停滞に閉塞感を抱いた大衆は、現状を変えてくれる(かもしれない)極左(社会主義)と極右(ファシズム)に希望を託したのである。その後の歴史が示すように、資本主義はケインズ政策による国家の役割増大という制度的修正によって問題点の緩和に成功していくのであるが、では大きな影響力を有していた社会主義体制はなぜ崩壊したのであろうか。この疑問に対する答えを探るために、本稿においても前稿で指針とした3冊の本、宇沢弘文『経済学の考え方』、森嶋通夫『思想としての近代経済学』、松原隆一郎『経済思想入門』を参考としたい。
◆ 社会主義体制崩壊の原因
●制度的要因
社会主義は、資本主義に内在する貧困、不平等、不況といった問題点を克服し、全ての人々が平等かつ自由で人間的な生き方ができる制度だと考えられていた。そのために、資本主義制度の必須要件である生産手段の私有を否定し、社会的所有を行う。社会主義国であったソ連では、生産活動は政府によって計画的に管理・運営された。建国当初は、重工業中心に資源を集中して生産増大に成功し、市場経済に依存する資本主義と比較して社会主義の計画経済の優位性が喧伝された。しかし、産業構造の高度化、複雑化が進むと、計画経済は計画策定における不可知性と官僚機構の非効率性によって経済停滞に陥った。
ここから考えられる社会主義的計画経済の失敗の原因について、「生産手段の社会的所有における資源配分と生産物の分配決定の困難さ」(宇沢)が挙げられる。また計画を策定・管理する国家官僚集団の肥大化、特権階級化を招き、国民の生活を圧迫した(社会主義的搾取)ことも体制崩壊の原因の一つとして指摘される。なお、ロシアや中国という近代化に立ち遅れた国で革命が起きたために問題が起きたのであり、民主主義が高度に発達した先進国が社会主義化すれば、こうした問題は起きないという主張があるが、計画策定における不可知性の克服は困難と考えられ、市場機能を活用する資本主義体制がより効率的であることは明らかである。
さらに宇沢は、社会主義国における政府は、計画の実効性を高めるために「全ての企業体の技術的条件、すべての労働者(国民)の質と労働条件、さらに人々の欲望や生活形態について正確な知識を持つ」必要があるが、それは「市民的自由の侵害」になるとする。資本主義の貧困、不平等といった問題を解決するための社会主義が、計画経済の非効率性と混乱により国民生活を圧迫するだけではなく、国民の自由を奪うという新たな問題を生み出すことがわかったのである。ファシズムを批判した社会主義国が、一党独裁による議会制民主主義の否定、秘密警察による言論弾圧、(革命の)大義を強調して個人生活を統制するといった全体主義的体制を生み出したのであるが、それを正当化する理論が「マルクス主義イデオロギー」であった。
●「マルクス主義イデオロギー」の弊害
ロシア革命によって誕生した世界最初の社会主義国であるソビエト連邦(以下ソ連)は、革命を指導したレーニン(1870〜1924)の革命理論を入れてマルクス・レーニン主義(*注2)を呼称し、社会主義を世界に広めるための運動を主導していく。本稿ではこのマルクス・レーニン主義を「マルクス主義イデオロギー」と呼ぶことにする。マルクス・レーニン主義は資本主義後進国であったロシア革命を正当化し、共産党一党独裁の理論づけを行うものであり、マルクスの思想の拡大解釈と言わねばならない。こうしてマルクスの思想は「マルクス主義イデオロギー」となることで、イデオロギーが本質的に持つ無謬性への信仰によって思想の硬直化に陥っていくのである。
最近読んだ『失敗の科学』(マシュー・サイド著)という本の中に、イデオロギーの弊害として、ソ連時代のトロフィム・ルイセンコ(1898〜1976)という生物学者の例が挙げられている。ルイセンコは政治的野心から「メンデルの法則」に基づく遺伝学に異議を唱えた。なぜなら、遺伝子の普遍性を主張するメンデルの法則は、事物の変化・発展を主張するマルクス主義の「弁証法的唯物論」と相いれなかったからだ。ルイセンコは、「遺伝子は環境によって変化し、その後天的な獲得形質も次世代へ伝わる」と主張した。政治的手腕に長けたルイセンコは、スターリンに直訴して自説に反対する遺伝学者を弾圧した。メンデルの法則は「ブルジョア的」「反マルクス主義的」として糾弾され、ルイセンコの説がソ連の公式見解となった。ルイセンコは勝利したが、イデオロギーによってソ連の科学は、反証やフィードバックから切り離されてしまった。かつては数々の学者が活躍したソ連の科学界は壊滅状態に陥った。
ルイセンコ学説の失敗は、よく知られたエピソードであり社会主義的独裁体制の愚かさの具体例として批判的に語られることが多い。しかし、この本のテーマは「人間や組織は失敗する。重要なのは、失敗から学ぶ仕組み作り」というもので、そうした失敗学の観点からルイセンコを批判し、社会主義体制はイデオロギーによって「反証やフィードバックの仕組み」を失って経済活動が停滞し崩壊していったとしている点が興味深い。
本書では「自分の信念と事実が矛盾している状態に直面した時、人間はそれを認めようとしない心理的傾向を持つ」としてこれを「認知的不協和」と呼んでいるが、社会主義国家は自分たちが生み出したイデオロギーによって逆に支配され「認知的不協和」に陥ってしまったのである。表現を変えれば、社会主義体制の失敗は、イデオロギーにとらわれるあまり「失敗を許容する力が欠如」していることに原因があったのである。
ただし、同じように現代の私たちの社会にも失敗を認めない組織体質は存在すると警鐘を鳴らすのが同書のテーマであり、その指摘に謙虚に耳を傾ける必要があるだろう。同書では医療過誤を隠蔽(いんぺい)する医療業界、都合の悪いDNA鑑定を受け入れたがらない司法組織が代表だとしているが、最近の森友・加計問題で露呈されたように官僚組織や政治家も同じ体質を持っている。権力の「認知的不協和」があまりひどくなると政治不信を招き、社会の不安定化につながっていくという教訓を忘れてはならないのである。
●人間理解におけるマルクスの誤解
既にみた社会主義体制の諸問題は、人間はどこまでも理性的、合理的に全体最適を目指して行動するとしたマルクスの人間理解の前提が正しくなかったことを示しているのではないだろうか。
第4稿『「豊かさ」の誕生 成長と発展の文明史』(ウィリアム・バーンスタイン著)では、経済成長(資本主義発展)の必要条件のうち最も重要なものとして、「法の支配が確立しており私的所有権が守られていること」を挙げている(*注3)。これは、「人間は利己的に行動する」ということを前提としている。その上で私有財産の法的保護がいち早く形成された(王権が弱かった)英国で産業革命が起こったことを論証している。これは、農業で言えば、自分の土地を所有する農民の方が、土地の公有制度の下での農民より生産的であることを意味している。実際、社会主義国では農業の国有化や公有化を行ったが、生産の効率化が上がらず、農業の失敗が体制維持に大きな負担となったのである。
また、ソ連が存在していたころ、プロパガンダとして資本主義国の奢侈的生活様式や文化的俗悪にみられる道徳的退廃を厳しく批判した。この批判は道徳的には正しいとしても、社会主義諸国の人々には資本主義の欠点ではなく魅力と映ったのも事実ではないだろうか。ベルリンの壁崩壊に至る流れの中で、自由や人権といった西欧諸国が持つ価値が果たした役割は重要ではあるが、ごく普通の市民にとって豊かさがもたらすであろう生活や大衆文化へのあこがれが、大きな誘因となったと想像される。
しかし資本主義文化は、その華やかな仮面の下に問題を抱えているのだ。資本主義おいては、すべてが商品化されており、文化も商品だ。資本主義的文化は人々の欲望を一時的に満たすが、新たな欲望を刺激することで自己増殖していく。人間の欲望には限界がないのであり、道徳的な歯止めがないかぎり増殖を続けるだけである。資本主義体制に生きる私たちはこうした事実に気づきながら、その麻薬のような心地よさに身動きが取れずにいるのではないだろうか。
マルクスの思想は、資本主義の本質を明らかにし世界を変えたが、人間を変えることはできなかったということかもしれない。
◆ 後編について
資本主義の問題を解決すると期待された社会主義の試みは失敗した。失敗の原因は、①生産手段の国有(公有)による生産増への刺激の欠如②計画経済の計画策定における不可知性とその結果生じる経済運営の非効率性――の2点に要約される。これは、生産手段の私有と市場メカニズムという資本主義の制度的特徴が生み出す問題点を解決するために考え出された方法であったが、①人間の利己的な性格②現実の人間社会の複雑さ――ゆえに機能しなかったのである。さらに、社会主義体制が生み出した一党独裁と個人崇拝の強制、言論弾圧、個人生活の統制といった全体主義的性格が、社会主義を理想化する人々の希望を打ち砕いたことも社会主義にとっては大きな痛手であった。
しかしこうした社会主義の敗北は、資本主義の勝利を意味しなかった。すなわち、豊かさをもたらす経済成長の競争において社会主義を圧倒した資本主義は、「富を最も効率的に生み出す市場メカニズムが、富の分配における巨大な不平等を生み出す」という矛盾を抱えたままである。成長を効率的に追求すると、不平等が拡大するという「成長と平等のジレンマ」が存在するのである。そして、民主主義体制においては不平等が限度を超えると社会が不安定化する。これが現在の私たちが直面する危機なのである。そうした制度的危機の前で、私たちはどうすればよいのかを考えるにあたって、マルクスの思想はどのような示唆を与えてくれるのであろうか。次稿では「マルクスの思想の今日的意味」を考えてみたい。
<参考図書>
『経済学の考え方』宇沢公文著 岩波文庫、1989年
『思想としての近代経済学』森嶋通夫著 岩波文庫、1994年
『経済思想入門』松原隆一郎著 筑摩書房、2016年
『失敗の科学』マシュー・サイド著 有枝春訳 ディスカバー・トゥエンティワン、
2016年
『「豊かさ」の誕生 成長と発展の文明史』ウィリアム・バーンスタイン著 徳川家広訳 日経ビジネス文庫、2015年
(*注1)弁証法とは、自己の内部に生まれる対立・矛盾を通して一層高い段階に進む(「止揚する」)ことで、より高次なものへ発展するという考え方。史的唯物論においては、資本主義は矛盾によって崩壊して新しい段階の生産様式である社会主義に進むという思想を導く。
(*注2)マルクス・レーニン主義はレーニンのロシア革命理論を、レーニン死後、スターリンが定式化した理論。資本主義後進国であったロシアでの革命の理論化を図るとともに、「プロレタリア独裁」「民主集中制」原則などによって共産党一党独裁を正当化した。
(*注3)同書では、経済成長を生み出す四つの要素として「私有財産権」「科学的合理主義」「資本市場」「輸送・通信手段」を挙げている。
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