п»ї 「日本は世界一の長寿国」を否常識する 『「否常識」はいかが?』第8回 | ニュース屋台村

「日本は世界一の長寿国」を否常識する
『「否常識」はいかが?』第8回

5月 17日 2018年 経済

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水野誠一(みずの・せいいち)

株式会社IMA代表取締役。ソシアルプロデューサー。慶応義塾大学経済学部卒業。西武百貨店社長、慶応義塾大学総合政策学部特別招聘教授を経て1995年参議院議員、同年、(株)インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア(略称:IMA)設立、代表取締役就任。ほかにFrancfranc、オリコン、UNI、アンビシオンなどの社外取締役を務める。また、一般社団法人日本文化デザインフォーラム理事長としての活動を通し日本のデザイン界への啓蒙を進める一方で一般社団法人Think the Earth理事長として広義の環境問題と取り組んでいる。『否常識のススメ』(ライフデザインブックス)など著書多数。

◆「日本は世界一の長寿国?」実は「世界一の寝たきり大国」

「日本は長寿国でもあるが、実は寝たきり大国でもある」という趣旨の投稿を目にする。確かに、欧米、特に北欧では寝たきり老人がほとんどいないという。従来の日本の常識=「親にはたとえどんな状態でも長生きさせるのが親孝行だ」という誤った建前や常識をリセットしてみる必要がありそうだ。

2016年の厚生労働省のデータでは、日本人の平均寿命は女性が87.14歳(1位), 男性が80.98歳(6位)だという。これだけ聞くと、日本は世界でも有数の長寿国だが、そこには問題が潜んでいる。そこで「健康寿命」を見てみると、女性が74.79歳、男性が72.14歳だ。つまり「健康寿命」とは、日常生活に制約なく活動できる期間だから、日本人は、病気や寝たきりになってから、女性が平均で12,35年、男性が8.84年も生きているということになるのだ。

*参考URL:2016年健康寿命は延びたが、平均寿命との差は縮まっていない~2016年試算における平均寿命と健康寿命の差
http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=56304&pno=1?site=nli

これで、日本は寝たきり老人の率でも世界一ということになる。ちなみに、日本では65歳以上の33.8%が寝たきりだという統計もある。(2010年、WHO加盟国193カ国中)

それは、寝たきり老人を受け入れる病院数も世界一という事実にもつながる。

医師の数は、人口1千人あたり2.3人と、ドイツの4.1人や、スウェーデンの4.0人に及ばないが、病院の方は、100万人あたりの病院数が67.1施設と、2位のフランスの51.5施設を大きく上回る。

また病床数比較では、人口1千人あたり13.3床で、2位のドイツの8.3床を大きく上回る。

*参考URL:医療の国際数量比較-日本の医療は世界一か?
http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=52143&pno=2?site=nli

なにせ病院の数がコンビニの数よりも多く、日本の平均寿命が長いことの背景には、国民皆保険制度によって、乳児死亡率が低いことも影響しているが、どの世代もが気軽に病院に行ける「医学盲信文化」が根付いていることと、さらに寝たきり比率の高さにも関係があるのではないか。

それはまた、世界消費量の10%を占めるといわれる世界一の薬の消費にもつながる。

医師も、診療技術よりも薬の処方で、保険点数を稼いだ方が高効率なので、どんどん薬を処方することになる。また厚生労働省の認可も甘く、世界の趨勢(すうせい)として、その副作用から使用が限定的になっているステロイド剤や、海外では使われなくなった抗がん剤や抗うつ剤なども輸入されているといわれる。

誰もが安心して医療を受けられる、世界に誇れる国民皆保険制度にも、光と陰があるということだ。このまま高齢化が進めば、健康保険制度自体が破綻(はたん)することは明らかだろう。

日本の医療費は、現在42兆円だ。国家予算がおよそ163兆円だから、一般の家計にたとえると、月収30万円の家庭が毎月12万円を医療費にかけている計算になる。しかも、一人当たりの生涯医療費は平均しておよそ2,600万円だといわれる。もちろん医療費の7割は国が負担するわけだが、それとて元は誰かしらが納めた税金なのだ。出処がどこであろうが、よほど重篤な病気でもないかぎり、家計の半分近くを医療費にかけるということの異常さに気づかねばならない。

さらに、生涯医療費の約半分の1300万円は70歳以降に使われているという。やれ腰が痛い、膝が痛いからと高齢者サロン化した地元の整形外科に集う人々を見ていると、保険制度に頼るあまり、「自らの健康を自ら守ろう」「自分の人生は自分で決めよう」という覚悟を失った寝たきり老人の予備軍を見るような気がしてならない。

◆北欧に学ぶ

世界の157カ国を対象とした「世界幸福度調査」(出典:ワールド・ハピネス・レポート)という調査が2012年から行われている。2018年度版でも、1位のフィンランドをはじめ、上位を北欧諸国が占めている。日本は54位だが、主要先進国では米国の10位が最高位である。

ちなみに、9位のスウェーデンには、寝たきり老人がほとんどいないという。

通常、高齢になると口から食事をすることが難しくなる時期を迎えるが、スウェーデンでは、経管栄養(胃瘻〈いろう〉のように、鼻や腹部から胃に管を通して、高カロリーの栄養を摂取すること)や点滴などの延命処置は一切行わず、高齢者が脱水や低栄養の状態になるに任せて、そのまま自然な看取りにつないでいくという。とはいえ、嚥下(えんげ=食べ物を飲み込むこと)訓練の専門職である言語療法士が関わるなど、口から食事ができるように食事介助には力を入れているそうだ。あくまでも、本人の意志と尊厳を重視した対応なのだ。だから、高齢者施設でも寝たきり高齢者はほとんどいないという。自力でベッドから起き上がれない高齢者でも、スタッフの介助で車椅子に座り、他の入所者と共に食事を楽しむ。また、病人のように終日パジャマで過ごすのでなく、好みの服に着替えさせるという。これだけでも随分と気分が変わるはずだ。

すべてにおいて高齢者本人の意思を尊重するため、たとえ危険を伴うような単独での散歩や飲酒などであっても、本人の自己責任で許可する。最期を迎える一瞬まで、本人の意思と尊厳を重視しているということだ。

一方、日本の終末医療では、多くの場合、胃瘻などの経管栄養や点滴の処置をして、延命を行うことがほとんどだ。肺炎を起こした高齢者には、治療のための抗生剤を積極的に投与する。さらに、経管栄養や点滴の管を自分で抜こうとする高齢者に対し、ベッドに腕を固定したり、職員が手薄な夜間は精神安定剤を投与したりして、一人で歩いて転倒しないような処置をするところも少なくないという。

これは、高齢者がどのような状態であっても生き続けることを最優先し、施設側の責任を問われないための手段なのだ。

現代の進歩した医療技術をもってすれば、意識がない状態、極論すれば脳死状態でさえ10年でも生かし続けることは可能だという。だが、点滴によって水分を過剰投与すれば、その分痰も多くなり、患者が苦しむ吸引の回数も増える。誤嚥を防ぐために胃瘻をしても、その菅が原因で別の障害も起こり、なによりも寝たきりのために起きる褥瘡(じょくそう=床ずれ)の処理のために、レーザー光線で焼き切るというような痛ましい処置さえもすることになる。現代の日本の終末医療が、スウェーデンとは対極にあることがわかる。

では、スウェーデンと日本の平均寿命の違いはどうかと見てみると、スウェーデン人は81.7歳。日本人は83.1歳と大差ない。では、なぜスウェーデンでは寝たきり老人にならないのだろうか。

それは、スウェーデン人にとって、誰もが自立して暮らすことを大切にする文化があるからだという。

高齢者は子供と共に暮らすのではなく、夫婦または一人で自立して暮らすのが当たり前であり、子供は義務教育を終えると、親元を離れて一人で暮らすのが常識だという。そうすることで、高齢者は若者を頼らず自力で生活をし続けることに覚悟ができ、自立心が維持できるのだろう。

体調を崩しても、自治体が介護サービスを提供するのが基本であり、家族が中心になって介護することはなく、本人もそれを期待しないという。成人した子が親を扶養する義務はなく、すべてコミューン(日本の市町村に該当する自治体)が責務を負うシステムがあるという。

日本では、在宅と施設どちらかの介護サービスが選べるが、スウェーデンでは在宅介護が基本だという。要介護状態であっても、終末期に入るまでは施設での介護は受けられないという制度なのだ。これは、自立を大切にするからだけでなく、介護の財源の節約でもある。施設ですべての高齢者を介護するのは、財源の問題からも困難であり、よりコストがかからない在宅介護が基本となるのだ。

介護費用は、一部の自己負担分以外はすべて税金から賄われる。また教育に関しては、大学までの教育費がすべて無料だという。こうした手厚い福祉制度が完備している国なのだ。

だから国民が納める税金の負担も大きく、軽減税率が導入されているものの、消費税は25%だ。また国民が所得全体で税金や社会補償費を負担する割合は、スウェーデンが58.9%、日本が43.4% だというが、スウェーデン財務省によると、納めた税金や社会保障費の45%は年内に、38%は生涯を終えるまでに納税者にサービスとして還元され、残り18%は国民全体へ配分されるようになっているそうで、国民はこのことに納得しているようだ。このような点も、国民の幸福度につながっているのだろう。

日本のように、増税しても国民が優先的に必要だと思われないことに多くの税金が使われていたり、預けていたはずの巨額の年金が紛失したり、老後には自力で暮らしをまかなえないほどの貧困の恐怖が待ち受けているのでは、体制に信頼が置けなくなるのも無理からぬことだ。

*参考資料:「寝たきり老人」がいない?スウェーデンの終末医療に大きな違い
https://xn--n4x78da08sj80b.com/news/swedish-terminalcare

◆死生観の否常識

かつてはスウェーデンでも、現在の日本と同様に経管栄養などの延命治療が行われていたようだが、死に対する意識が徐々に変化してきたという。無用な延命をして苦しみながら生かされ続けるよりも、穏やかで自然に尊厳ある最期を迎えることの意義が、死生観として根づいてきたのだろう。

終末期になれば、口から食事ができなくなるのは当たり前なので、経管栄養などで人工的に延命することは非倫理的であると国民は認識しているようだ。さらに社会的に共有されている問題意識として、経管栄養等の処置は、高齢者への「虐待」ですらあるという考え方も定着しているという。

日本でも、昔は延命治療などを行う術もなく、食べられなくなった高齢者は、自分の家で静かに亡くなっていたのだ。しかし、医療技術の進歩で延命治療が可能となり、死生観も変化したのみならず、延命治療をしないのは親不孝だというような家族の勝手な常識。「医は仁術」という意識から、人命こそが最高に尊いものだという倫理観を持つ医師の常識。これらの20世紀的常識を一度リセットして、本来の死生観に立ち戻ってみる必要があるようだ。

近年日本でも「尊厳死協会」のような組織へ加入する人が増えている。かく言う私たち夫婦もその加入者であるが、まだ日本における尊厳死や安楽死に対する法整備の不備が目立つ。常識のリセットの必要性である。ここにも、「世界幸福度調査」での日本の低位の理由があるのかもしれない。

だがこう言うと、「がんなどの末期は痛みなどで苦しむはずだ。そのためには病院に入院し、ターミナルケア(終末医療)を受けなければいけない」という反論も起きそうだ。それへの回答は、多くのベストセラーを書かれている中村仁一医師のことばを紹介しなければならないだろう。

「人間の死には二つしかない。枯れて死ぬか、溺れて死ぬかだ」

枯れて死ぬのは、文字通り何も飲めず食べられなくなって枯れるように死を迎えること。溺れて死ぬのは、点滴から胃瘻まで行った結果、体内に水分があふれて苦しみながら死ぬこと。一切の医療行為を受けずに枯れて死ぬ時は、逆に痛みや苦しみもないという。なぜならば、脳内ホルモンが分泌されて、いい気持ちに眠るように死を迎えられるからだという。

*参考URL:「死」は穏やかで安らかなもの ― ベストセラー医師からの提言
https://kenka2.com/articles/660

死生観の「否常識」を目指すことで、医療保険制度の破綻問題や、ひいては少子高齢化問題についても解決できるのではなかろうか?

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