佐藤剛己(さとう・つよき)
Hummingbird Advisories CEO。シンガポールと東京を拠点に日本、アセアン、オセアニアをカバー、企業買収や提携時の相手先デュー・デリジェンス、ビジネスリスクや政治リスク分析などを提供する。新聞記者、米調査系コンサルティング会社を経て起業。グローバル・インベスティゲーター・ネットワークIntellenet(本部米国)日本代表、公認不正検査士、京都商工会議所専門アドバイザー。日本の弁護士有志で設立された海外贈賄防止委員会(ABCJ)の第1号海外会員。ニュースブログ「Asia Risk」(asiarisk.net)に東南アジアで際立つニュースを掲載。
マレーシアでマハティール氏率いる野党連合・希望連盟(PH)が劇的な勝利を収めてひと月あまり。日々ニュースを眺めていると、政治からビジネスまで、社会の至る所で変動が起きているのが分かる。
日本と関係あるところでは、シンガポール・マレーシア高速鉄道(HSR)計画の中止が宣言されたのは周知の通り。HSR計画の中止は、シンガポールでは「終着駅が建設される予定だった西部のジュロン一帯の12ヘクタールをどうするのか」などの落ち着かない報道もある中で政府は沈黙を保っているが、マレーシア国内では莫大(ばくだい)なコストへの批判が根強く、大きな反論は聞かれない(5月30日、freemalaysiatoday.comが中止の背景分析をブルームバーグの記者2人の対談形式で載せている。http://www.freemalaysiatoday.com/category/nation/2018/05/30/does-malaysia-need-the-hsr/)。
ナジブ前首相が関係を深めていた中国の中国交通建設股份(China Communications Construction Company)が建設する東海岸鉄道計画(ECRL)も、中止または大幅縮小の可能性が伝えられている。こちらはすでに工事が始まっているだけにマハティール氏の発言もやや不明瞭だが、新政府の閣僚からは「契約条件がおかしい」などの言いがかりとも取れるクレームをつけ始めている。
前政権が2015年に導入した消費税(GST)は6月、公約通りに見事廃止となった。GSTについては、投票日翌日(5月11日)の朝刊の見出しが「Mr M in, GST out」(英字紙The Star)だったので、有権者の期待の高さが分かる。ただ、正式な廃止には国会承認が必要で、さらに9月には新たな消費税(今度はSSTと呼んでいる)導入も検討されているなど、紆余曲折(うよきょくせつ)がありそうだ。
◆新政権が起こした地殻変動
政府系ファンド1MDBを巡るナジブ氏の不正蓄財疑惑は日本でも伝えられる通り、新政権が地殻変動を起こしたかのように止まる気配がない。
同ファンドは少なくとも2012年と13年の2度、米金融大手ゴールドマンサックスを主幹事として計65億ドルの債券を発行しているが、このうちナジブ前首相に直接渡った分だけで少なくとも6億8千万ドルに上るとされる。1MDBの借入金総額は100億ドル以上になるとみられ、最近報道されたところでは、債務返済のためナジブ氏は国有地をマレーシア中央銀行に購入させ、売却代金5億ドルの一部を返済に充てた、との話も出てきた(5月23日、ウォールストリート・ジャーナル)。私的な支出(高級バッグ!)のツケが中銀に押し付けられたとすれば、国民もさぞあきれ返ることだろう。
資金は、先の総選挙(GE14)においてサラワク州で当時の与党連合・国民戦線(BN)を構成するサラワク人民党(SUPP)にも流れたとして、希望連盟(PH)を構成する4党のうちの一つ、人民正義党(PKR)のサラワク支部が政府の反汚職委員会(MACC)に告発した。
◆サラワクの長老
サラワクで有名人といえば、2014年まで州首相を務めたアブドル・タイブ・マハムド氏である。1981年から実に33年にわたって州を治め、退任後は元首の座に収まり、いまだに州都クチンの宮殿アスタナに居座っている。「治めた」と言えば聞こえはいいが、(大きい声では言えないが)任期中に集めた莫大な保有資産は長年の汚職によるものとの話が絶えない。そのタイブ氏への訴追要請の声が、マハティール新政権の登場と合わせて、にわかに出てきたのだ。
タイブ氏に関して筆者は2年前の顧客向けニュースレターで、「パナマ文書」の関連で触れたことがある。長いが、一部修正と注釈を省いて再掲する。
「パナマ文書の威力を確認する好例が出てきた。
マレーシア・サラワク州で(2016年)5月21日、同州知事を2014 年まで33年間務めたAbdul Taib bin Mahmud(現在80歳)の誕生日会が開かれ、妻RagadがMYR 150万(約4000万円)相当の白のベントレーをプレゼントして話題になった。Ragadは亡くなった前妻Lailaの後妻、36歳のシリア人である。
シリア人がマレーシアで嫁ぐと知ると興味深いが、36歳が80歳に、となると考えものだ。何しろサラワクでは、有権者はすぐ買収され、与党は『野党に投票したら補助金を取り上げる』と有権者を脅すとされる土地柄だ。
Taibの家族構成から固有名詞を拾い、早速パナマ文書に当ててみると、あったあった。Taibの四男Hanifah Hajar Taibの名前がヒットする。BVI登記の2社と連なり、うち1社の株主でもある。「Leila Taib」(Taibの前妻と同名)も同じく株主欄に名前がある。2社を管理するエージェント会社は、東南アジアを中心に資産管理サービスを提供する著名ファームだ。
オフショア口座による節税は違法ではない、とはよく言われる。問題は、『同じ公職に30年以上座り、その間にベントレーを買えるほど贅(ぜい)を極めた生活を確立する』ことに、オフショア口座が少なからず関係している(だろう)ことにあるのではないか。サラワク州の1人あたり平均年間所得はMYR 4,934(約13万円)、首都圏KLの半分以下だ。」
◆噴き出す汚職疑惑
現在、タイブ氏の訴追をMACCに働きかけているのが、サラワク拠点とされるNGO「Movement For Change, Sarawak (MoCS)」である。NGOの動静を伝える地元メディア(5月26日、dayakdailyなど)によれば、MoCSが最初にタイブ氏を告発したのは2011年3月。これまで捜査は進んでいなかったが、7年が経過してMACCの構成も変わり、今が好機と見ているようだ。MoCSは、ナジブ政権で閉鎖された反政府系ニュースサイト、サラワク・レポートとも連携している。
タイブ家を巡っては、タイブ氏の長女が関与するカナダの不動産開発会社サクト・コーポレーション(Sakto Corporation)に絡む資金洗浄の疑惑も持ち上がっている。疑惑を追及するスイスのNPOブルーノ・マンサー基金(スイス出身の熱帯雨林保護活動家ブルーノ・マンサー氏をしのんで設立。マンサー氏は2000年、活動中のサラワクで行方不明となり、2005年にスイスの裁判所から死亡宣告された)はカナダでサクト社に対する民事訴訟を提起。今年3月に敗訴となったものの、5月のマハティール氏の首相返り咲きを受けて、マレーシア政府や経済協力開発機構(OECD)へのアプローチを頻繁に行っている。
政府系ファンド1MDBもタイブ氏の事案も訴追されたわけではないが、マレーシアでは(も?)汚職疑惑が噴き出している状態だ。
◆ベテラン捜査官の返り咲き
さて、そのMACC新長官のモハメド・シュクリ・アブドゥル(Mohd Shukri Abdull)氏。2015年までMACC長官を務めていたが、1MDBの汚職疑惑が注目を浴びるようになってから政権内で身の安全を確保できなくなり、米国に逃げていた。マハティール氏から今回呼び戻され、再登板となった。
シュクリ氏の5月22日の「返り咲き」会見は、主催者と記者から共に笑みがこぼれるものだった(YouTubeで閲覧可能。https://www.youtube.com/watch?v=ZKoNfVcq5EQ)。一方、在職中は1MDB捜査中に銃弾が郵送されたこと、米ワシントンDCに避難してからは、マレーシアからの謎の人物たちによる尾行に遭遇し、ニューヨーク市警の知人を頼ってニューヨークに移り、警察から3人のボディーガードを派遣してもらったことなどが明らかにされ、メディアが大々的に報じた(筆者のコンタクトで、ニューヨーク市警にいながらマレーシアに伝を持つ人物がいる。プロファイルから判断して彼がシュクリ氏を先導した「知人」に違いないと思っている)。
涙ながらの会見の一部は次のようであった。
「(1MDB捜査中に)私がインタビューした証言者はことごとく排除された。自分も職から罷免すると脅され、早期退職をするか、さもなくばトレーニングセンターに異動させると言われた。(渡米後、一緒に働いていた部下が投獄されたと聞いた時は)彼を守れなかったことに無力を感じ、人目をはばからず泣いた。政府転覆を企んでいると指を差されたのだ」(5月22日、The Star Online)
シュクリ氏はMACCに勤めて32年のベテラン捜査官だ。新政権の誕生に合わせて噴出する汚職疑惑。マハティール氏自身もエスタブリッシュメント出身なだけに、捜査が今後どう進展するのか興味深い。
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