引地達也(ひきち・たつや)
一般財団法人福祉教育支援協会専務理事・上席研究員(就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括・ケアメディア推進プロジェクト代表)。コミュニケーション基礎研究会代表。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般社団法人日本不動産仲裁機構上席研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など経て現職。
◆WHOの分類で明記
スマートフォンなどのゲームをやり続けて日常生活に支障をきたしてしまう「ゲーム依存症」が世界保健機関(WHO)の公表する改訂版国際疾病分類「ICD-11」に「ゲーム障害」として明記された。正式決定は来年5月のWHO総会となるが、ゲーム障害が疾患となることで、治療には間違いなく生活習慣の正常化を目指すものとなるから、医療現場と福祉的支援の連携がより必要となってくるだろう。
現在、私が支援をする現場でも、就労できないストレスをゲームで埋め合わす人がいたり、そもそもゲームを深夜まで、いや一日中してばかりで生活習慣が安定しない方が増えていたりするような気がしていたから、正式決定により、ゲーム依存の改善を正式な支援行為として結び付けていく前提としてよいのかもしれないが、同時に「疾患者が増える」のは確実で、少々複雑な気持ちでもある。
◆421万人が依存症
ゲームに面白みを見いだしてこなかった私にはそれは実感のない疾患世界だが、電車の中を見渡せば、スマートフォンで真剣な表情で操作を続ける人たちはスピードや知恵や偶然?を競ったりするゲームに没頭している。全員が依存症ではないにせよ、満員電車でもゲームを続ける様は、感覚が麻痺(まひ)しているのではないかとも思ってしまう。
厚生労働省の調査では、成人の約421万人、中高生の約52万人がゲームなどのネット依存症の恐れがあると推計しているが、正式な対策がないのが現状だ。ITやゲーム業界は現在の日本経済を支える重要な産業となり、ゲームそのものを問題視する方向は避けたい思惑もあるようで、朝日新聞の報道でも「ただし、飲酒同様、ゲームをする行為自体が問題とされたわけではない」と、どこかに配慮する姿勢がにじむ。
◆虚しい思い出
私自身の思い出になるが、小学校低学年の頃、近所に初めての24時間営業のコンビニエンスストアが開業し、その入り口にはテーブル式のインベーダーゲームがあった。
たむろして順番にやり続ける年上のお兄さんたちは楽しそうに迫りくるインベーダーと戦って、ユーフォ―を撃ち落とすと歓声を上げた。それはそれは、面白いものなのだろうと、私も数日後に百円硬貨を握りしめて、お兄さんたちのいない時間を見計らって、一人ゲームに向かったが、お兄さんたちのようにうまくインベーダーたちを迎え撃つことが出来ず、ユーフォ―も撃ち落とせず、すぐにインベーダーは私の陣地を侵略し、絶望的なメロディーとともに画面にはゲームオーバーの表示がされた。
それは虚しい時間だった。百円で得られたのは、一生分の虚しさと思えるほどの衝撃的な空虚である。それ以来、ゲーム夢中になることはなかった。
◆しない立場から
こんな経験からか、やはりスマートフォンをはじめとする画面で行うゲームに興じることはない立場であるが、そこから見えるゲーム風景は少し不安な社会でもある。
読書をしたり思索をしたりと電車の中はそれぞれがそれぞれのことをやって社会の調和が保たれているから、その調和が同じことを皆がすることで不自然に感じるのは不思議だ。ゲーム依存の方々を見る限り、その度合いを調整する機能がなくなりつつある状態だから、やはり画面から目を離して人と話し、空気を吸って生きることに自覚的になる必要があるだろう。
ゲーム好きには反発されそうだが、ゲームを少し自嘲して、ちょっとした思索をしてみることを呼びかけてはいけないだろうか。
■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
http://psycure.jp/column/8/
■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link
■引地達也のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/
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