小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住20年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
毎年恒例の5月の日本出張。今回はこれに合わせて、日本で「タイ人向け観光セミナー」を行ってきた。私とHISタイランドの前社長である中村謙志さんが講師となったこのセミナーを札幌、仙台、千葉、埼玉、徳島、広島の計6カ所で開催した。本稿のタイトルでは私がセミナーを開催したような印象を受けるかも知れないが、実際はバンコック銀行と提携している北洋銀行、七十七銀行、千葉銀行、埼玉りそな銀行、阿波銀行、広島銀行の各行が会場を確保し、聴講者を集められた。これらの銀行ならびに共催者の県や市などの地方自治体、日本政策金融公庫、商工中央金庫の皆様にはこの場をお借りして厚く御礼申し上げたい。
◆タイ人に日本の歴史物は響かない
そもそもタイで銀行員をしている私がなぜ、門外漢である観光に関するセミナーなど行ったのであろうか。2015年1月からバンコック銀行日系企業部の仕事を嶋村浩EVP(Executive Vice President)に完全に引き継いだ私は現在、「タイの個人向け新種業務開発支援」と「日タイ間の新種業務の創造」に関わる仕事をしている。この新たな業務の創造として、タイ在住の専門家を招き、「観光部会」「特産品部会」「産学連携部会」など各種部会を定期的に関係し、新たな施策の展開を試みている。
今回は観光部会のメンバーである中村さんと私の2人で観光セミナーの講師を務めた。繰り返しになるが、私は観光の門外漢である。バンコック銀行の「観光部会」のメンバーである日本の観光庁のバンコク所長や大手日系食品卸売会社の社長などに教わったことを代弁してきただけである。しかし、セミナーの反響は予想以上にすごかったのである。それはなぜだったのだろうか?
まず簡単にセミナーの内容をふり返ってみたい。第一部はHISの中村さんの講演である。インターネットによる航空券やホテルの手配が主流となっている現代において、HISはタイ人訪日観光客の25%の取り扱いシェアを持つタイ最大の訪日観光旅行業者である。
中村さんは講演でまず訪日観光客のデータを解説され、その後HISの業務が大きくなっていく過程について説明された。しかしHISタイランド社がここまで来るまでの道のりは決して平坦(へいたん)ではなかった。タイの有名芸能人を起用した積極的な宣伝広告やバンコク高架鉄道の駅構内の店舗網などにより、現在ではタイ人に広く知られる企業である。宣伝広告に使ったタイ有名芸能人の反響の大きさから、「HISはその有名人が所属する会社」だとタイ人から信じられているという笑い話があるくらいである。
こうした努力の結果、現在ではHISタイランドのSNSのフォロワー数は1400万人にも上り、フォロワー数でみると、タイの国策石油会社であるPTT社やユニクロ・タイランド社と肩を並べるほどになっている。ちなみにこのタイ人のフォロワー数は日本でのフォロワー数よりも多いそうである。
中村さんの講演の中で、特に私が興味深かったことを二つご紹介したい。「タイ人は日本の歴史についてほとんど興味がない」という観光地に関わる話である。NHKの大河ドラマの主人公となった坂本龍馬や西郷隆盛と言ってもタイ人には全く響かない。NHKを見ないタイ人には誰のことだか全くわからない。ところが、日本の地方公共団体の方々はこうした歴史物が好きで、こうした歴史上の人物を観光の目玉にしたがるそうである。
二つ目はモニターツアーの推奨である。モニターツアーとは地方公共団体が旅行費用の半額を負担してタイ人をその土地に案内するツアーである。ただし、モニターツアーの参加者には①1日1回はツアー情報をSNSに発信する②テレビや雑誌のインタビューを受ける③ツアー終了後アンケートに回答する――という条件がつく。
このモニターツアーの肝(きも)は参加者が半額費用を負担することである。もし無料のツアーならば、タイ人の性格からして絶対にこのツアーの悪口は言わない。ところが一部自己負担が発生すると、参加者は問題点があればそれを指摘するのだそうである。またタイではSNSが日本以上に普及している。タイ人の最も有力な情報源は紙媒体やテレビなどではなくSNSになっている。モニターツアーで参加者の 感想をSNSに流すことが観光客呼び込みの最も有効な宣伝となるのである。
◆「ダメ出し3点セット」
中村さんの後は、私の講演となる。私はタイの概要や宗教、風習、更には歴史を織り交ぜながら、タイ人向けの観光について説明を行った。私が最も強調したのは観光の3点セットを用意することである。
「ニュース屋台村」の読者であればすぐにお気づきだと思うが、「土産物・日本食・観光地」の3点セットである。こう私がお伝えすると、多くの地方公共団体の方々は「うちには何でもあります」という言い方で返してくる。しかし「何でもある」というのは「何もない」のと同義語なのである。その土地の本当に特徴的なものがなければ、観光客は訪れない。
ここまで言うと地方公共団体の方々は「うちには温泉があります。おいしい日本酒があります。更にお土産にはおいしいあんこ菓子があります」と言う。これを私は「ダメ出し3点セット」と呼んでいる。タイ人は恥かしがり屋で、人前で裸になる習慣はない。これはタイ人だけでなく台湾を除いたアジア諸国に共通の習慣である。またタイは小乗仏教の国である。小乗仏教では飲酒は殺人と同等の五つの大罪の一つである。最近でこそタイ人は酒を飲むようになったが、酒の味がわかるほど長い期間、酒を飲んでいるわけではない。
また日本のあんこ菓子は、タイ人にとっては「許せない」食べものである。タイにも小豆(あずき)はある。否、タイ人は日常的に食べている。しかし、日本のものより甘くはない。我々日本人が砂糖の入った緑茶のペットボトルを飲まないように、タイ人も甘すぎる日本のあんこ菓子は絶対に食べないのである。
次に私がセミナー参加者に訴えたのが「絶対に上から目線にならないこと」である。多くの日本人が勘違いしていることに「アジアの観光客は貧しい人が多い」という認識である。
日本のテレビや雑誌には「日本は素晴らしい国だからアジアの人が日本に憧れて訪日する」といった論調があふれている。もちろんこうした人たちもいるだろう。しかし、実態は「日本が貧しくなり、旅行費用も安くなったからアジアから人が押し寄せている」のである。
私はこれをタイの基礎計数を用いて参加者に説明した。タイ人1人あたりのGDP(国内総生産)は日本人の6分の1である。ところがタイ人の富裕層はバンコクに集中している。このバンコクにはタイ全人口6800万人のうち1千万人、つまり約7分の1の人がいるのである。これを掛け戻せば、訪日するタイ人観光客、すなわちバンコク都民は日本人とほぼ同等の所得があるということになる。
これは中国にもあてはまることである。いまや中国のGDPは日本の3倍である。中国は13億人の人口であるが、これは3億5千万人の都市戸籍人口と9億5千万人の農村戸籍人口に分かれる。この二つの階層には明確な差があり、金を持っているのは都市戸籍を持っている人である。日本の3倍のGDPを3倍の人口で割り戻せば、日本で観光に訪れる中国人の所得は日本とほぼ同等、否、それ以上かも知れない。
それが証拠に、今回の日本出張でミシュランの三ツ星を持つ京都の有名料亭を利用したが、お客様の70%は上海などから来た中国人だという。仲居さんに聞くと「中国の方たちはおいしい料理を食べるのに慣れていらっしゃいます」と言う。更に東京・銀座の有名すし店も中国の客に占領されており、そのうちの1店のオーナーは中国人にすしを出すことが嫌になり、店を閉めてしまったと聞いた。アジアから日本に来る観光客は日本の安い食べものを求めているのではなく、「日本の本物の味」を追い求めているのである。
◆政府・地方公共団体は知恵と人を出せ
私が今回のセミナーでもう一つ主張したのが、「観光客の閉じ込め」である。観光客の誘致はその地方が一体となって行わなければならない。観光客一人あたりの消費額を見ると、奈良県、山梨県、千葉県、兵庫県などが消費額が低い。奈良県の寺社や富士山、ディズニーランドなどで観光客の多く訪れるこれらの県が一人あたりの消費額の下位を独占するのは不思議な気がするが、宿泊や買い物、夕食を食べなければ、観光客は金を落とさない。大都市のつまみ食い的な観光は消費に貢献しないのである。
アジア人の平均1週間の日本滞在を「その地方に閉じ込めて各地を巡回滞在させる」仕組み作りが必要である。そのためには一般的に「仲の悪い県と市」や「隣県同士」などが協力しなければならない。各県単位でSNSを発信したり、道路地図を作ったりするのは愚の骨頂である。
中村さんと私はこうした内容で観光セミナーを行ってきた。セミナー終了後は多くの方々が名刺交換に来られたが、異口同音に「初めてこうしたお話を聞きました」と話されていた。「ニュース屋台村」で何度も観光について述べてきたが、「皆様にはちょっとくらいお分かりいただいていたのではないか?」と考えていたのは大きな誤りであった。
名刺交換をした方たちに詳しくお話をうかがってみると「日本では政府や地方公共団体が観光に関わる補助金を出しているため、各地で観光コンサルタントなる人たちが跋扈(ばっこ)している」ようである。ところが、これらコンサルタントの大半は外国人とまともに付き合ったこともない。こうした人たちは「日本は美しい国だからアジアの人たちが憧れて日本に押し寄せて来ています」「皆様の地方には良い温泉とおいしい日本酒があり、アジアの人たちはこうしたものを堪能してくれます」などと言っているようである。
今回、中村さんと私はこうした観光コンサルタントの提言を全面否定してきたのである。日本が世界に観光を売り込みたいならば、主要な顧客となっている中国人や韓国人、タイ人のことを最もよく知るべきである。こんなことはマーケティングの基本中の基本である。
ところが、最近の日本はこの基本動作ができていない。更に言えば「補助金を出しさえすれば良いと考えている政府・地方公共団体の姿勢」にも大きな問題がある。若い人たちに将来のツケを増やすような補助金政策は止めるべきである。現在の日本の財政事情では、明らかに若い人たちがこれらの補助金支出を払うことになる。今回の観光セミナーで「政府・地方公共団体は知恵と人を出す」ことが必要だと改めて感じた。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第109回 「観光立国―日本」は貧しさの証明?
https://www.newsyataimura.com/?p=7089#more-7089
第84回 「賢者」に学ぶ日本の観光
https://www.newsyataimura.com/?p=6203#more-6203
第20回 原点に立ち返ろう日本の観光事業
https://www.newsyataimura.com/?p=2124#more-2124
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