SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)
勤務、研修を含め米英滞在17年におよぶ帰国子女ならぬ帰国団塊ど真ん中。銀行定年退職後、外資系法務、広報を経て現在証券会社で英文広報、社員の英語研修を手伝う。休日はせめて足腰だけはと、ジム通いと丹沢、奥多摩の低山登山を心掛ける。
今回紹介するのは、香港の英字紙サウスチャイナ・モーニングポストの書評欄の記事である。新聞の書評にしては、読ませるまとまった分量を持つ内容である。そして何より、紹介された書籍の中身に興味をひかれた。
アメリカ生まれで現在バンコクに暮らすパトリック・ウィン氏が初めて書いた本『Hello, Shadowlands(ハロー・シャドーランズ)」を英国の批評家ジェームス・キッド氏がサウスチャイナ・モーニングポスト紙上で紹介したものである。
◆著者の体験を赤裸々に
本のテーマは、欧米メディアの東南アジアにおける諸問題の取り上げ方についてうんざりさせられる「偏りと決めつけ」についてである。欧米のメディアによく目を通す自分としては常に以前から感じていたことで、対東南アジアに限ったことではなく日本の社会、ビジネス慣行についても同様に型にはめてものを言ってくる。
この書籍で論じられるテーマは何も最近に限った話題ではなくずいぶん昔から、東洋対西洋、南対北、先進国対後進国、キリスト教対イスラム教あるいは仏教、計画経済対自由経済などなどの比較視点から延々と取り上げられてきた論争と土台は共通する。
だが、ここにきてこの大きすぎる対立は圧倒的な経済力と人口規模による影響力を持つ中国の台頭および欧米の孤立主義と彼らの力の相対的低下の現実のもと、世界中の国家、企業、政治家、個人を問わずネットを介して主張、謀略をめぐらすようになった。そんな時代であるがゆえに、東南アジアの国々が抱える問題が一層深刻さを増していることを赤裸々に描いている。
香港では、英語が半分母国語であるとはいえ、現地の英字紙サウスチャイナ・モーニングポストがこれだけたっぷりと読ませる書評欄を持っているのだ。その書評欄で取り上げたのはこの本だけではない。ほかにもたくさん扱っている。同紙は日曜版もある。同紙は1900年代初めにオーストラリア人とイギリス人によって発刊されたがその後変遷を経て、今では中国企業集団のアリババ傘下にある。その事実は欧米圏の知識層に切り込めるだけの体裁と力のある英字メディアを中国政府が有していることを意味するのだろう。そう考えると、読後の後味がかなり変わり複雑な気分にはなる。みなさんはどんな印象をお持ちになるのだろうか? 以下、全訳を紹介する。
◆犯罪者の目と警察の目で実相に迫る試み
本稿の筆者はジェームス・キッド。2018年7月20日(7月21日改訂)。
ミャンマーの麻薬犯罪の巣窟(そうくつ)からタイの貧民街まで、文筆家パトリック・ウィン氏は自ら選んだ第二の故郷を理解するようになり、西側でのメディアによる虚偽報道への矯正(きょうせい)を提起している。
『ハロー・シャドーランズ』は現在バンコクに住み働くアメリカ生まれのジャーナリスト、パトリック・ウィン氏が初めて著した本である。彼の調査は多岐にわたる。ミャンマーで変造酒中毒の連中と付き合ったこと(そして、彼らが竹でできた檻〈おり〉の中で酔いがさめてゆくさまを観察することも併せて)――タイ国境の町で性産業に従事する警戒心に満ちた人たちと雑談する際に自分が警察官でないことの証しとしてアヘンを吸ったこと、タイの首都にある北朝鮮レストランですましたホステスと踊ったこと、ベトナムで犬が食用に解体されるのを目撃したこと、そしてフィリピンでは非合法の怪しげな避妊薬を服用してみたこと、などふんだんに触れられている。
実はウィン氏はタイの警察官に銃撃されているのであるが、その件は本書では触れられていない。
「私はこの急増している組織犯罪の世界について、犯罪者の目を通して描いてみたかった。……彼らはみな完璧に分別がある人たちだと思えた。彼らとの親交は楽しかった」――パトリック・ウィン
齢37歳の彼は、少し誘導尋問気味に尋ねられ、ジャーナリストとしての日常はちょっと変わった魅力があることは認めたが、彼の目的は価値のないスリルを無謀に追い求めることではなかった。「まったく面白みを感じないことに人は興奮などできるだろうか? うきうきするけど楽しくないという類のことがあるのだろうか?」と自問する。そして彼は言う、「私の場合、珍しいことに明らかにそのような話に興味がそそられるのだ」と。
しかし、ウィン氏が主に目指したことは自分自身の啓蒙であり、一つの国の文化、政治そして民衆を理解するための手がかりとして組織犯罪を選んだのである。『ハロー・シャドーランズ』はその6章すべてで、法を自分たちの都合のいいように執行している人々の姿もしばしば交えながら、各々特定地域の特定犯罪を取り上げている。ミャンマーではヤーバー(メタンフェタミン:中枢神経刺劇薬覚せい剤)が乱用され、これに対する過激派キリスト教原理主義のパット・ジェイサンと称するグループが粗末な麻薬中毒リハビリセンターを運営している。ベトナムでは犬獲りが横行しこれを抑えようとする元ベトコン兵士で構成される見回りグループが存在する。マレーシアと国境を接する場所にはイスラム過激派の攻撃目標とされるタイの歓楽街がある。恐らくもっとも興味深いのは、新種の薬剤取引の出現である。マニラにおける避妊ピルあるいは服用剤である。
「私はこの急増している組織犯罪の世界について、犯罪者の目と警察の目を通して描いてみたかった」と、ウィン氏は述べた。
「ここでの犯罪者たちとは麻薬密売人、麻薬常用者、イスラム聖戦士、密輸入業者、自警団そして単車に乗る強盗団などである。彼らは頭がおかしいのではない。全く正常で分別をわきまえた人たちのように見受けられる。彼らとの親交は楽しかった。仮にもし私が彼らと同じ立場に置かれたら全く同じことをしたに違いない、と思う」
著者のウィン氏は犯罪者たちへの同情的な姿勢について、いくつかの理由を挙げている。一つには、西側の新聞に典型的にみられる煽情的(せんじょうてき)な報道に反発したかったのだ。彼は、タイの犬獲りとかベトナムの犬食などについておぞましい詳細を報じることで有名なハフィントンポスト(米オンラインメディア)とかデイリーメール(英大衆紙)などをそうした報道の事例として挙げている。
ウィン氏は西洋の読者たちがそのような記事を読んで一体何を得ていると思うのか? 彼は気持ちを込めて言う。「私はすべてわかっている。それはこんな風に驚くことだ。『彼ら(東南アジア人たち)がどんなことしているか聞いたことがあるかね?』 自分たちは彼らより道徳的だからという理由でいい気持ちになれるのだ。『変わった連中だね。我々は彼らと違っていてよかったね』」
そういうウィン氏自らも同じような先入観と全く無縁であったわけではない。東南アジアの国々についてまだよく分かってなかった時期に書いた、興味本位のタイの犬獲りについての(低俗な好奇心に訴えるだけの)“あおり”記事を後悔して彼は言う。「私は多くを学び直さねばならなかった」(以下、続く)
◆東南アジアの犯罪の実情
もとは米ノースカロライナ州の小さな工場町の生まれであるウィン氏は、現夫人で当時はガールフレンドであったタイ系アメリカ人の写真ジャーナリスト、ペイリン・ウィーデルさんと2008年にバンコクへ移住した。「アメリカでは新聞業界が凋落(ちょうらく)していることがわかった。タイに行くことに決めたのは彼女がいたからで、そこで興味を感じた事柄の記事を書き始めたのだ」と彼が言う。
10年がたち、ウィン氏は現在アメリカのナショナル・パブリック・ラジオ(米国公共ラジオ放送)で流される番組のコンテントを世界中から集めて供給する非営利法人パブリック・ラジオ・インターナショナルのアジア特派員である。「それはちょうど自分にぴったりの仕事です。全くおかしな仕事なんだけど」と言う。
彼に、バンコクの第一印象をまだ覚えているかを尋ねたところ、「何もかも面白く感じた」「タクシーが鮮やかなピンク色に塗られていたこと。路上で売られていた麺。いかつい農夫が道端で(酒を)飲んでいた光景。すべてが興味深く新鮮だった」
ジャーナリズムはウィン氏が第二の故郷を探求する手段である。「私は自分が今どんなところにいるのかを理解するためにジャーナリズムを手段に前述のようなストーリーすべてを追い求めたのである」
実際、『ハロー・シャドーランズ』に一貫して流れる隠されたテーマは、彼のアジアへの緩やかなペースでの同化であった。「私は(アジアという)鋳型にはめられたいと欲し、そして事実、ストーリーによってそうなってきた」
彼が朝食に何を好んで食べるか(タイの定番であるナマズの網焼きは彼の好物)を知るだけでなく、読者はウィン氏がアメリカの東南アジアとの間の時に気がかりな関係に対しては言うに及ばず、彼の考えが進化してゆくさまをたどることができる。
「私がタイに故郷として親近感を募らせるにつれて、欧米メディアが犯罪ネタを扱う露骨さの度合いがますます際立って見えるようになった」と、彼は述べる。「自分が書く対象の人々に対し持つ違和感が薄れるにつけ、それらの人々についての欧米メディアの報道内容を不快に思うようになった」
彼は実際に到着するまでアジアのことをほとんど知らなかった。彼の主たる情報源は父親であったが、その父はベトナム戦争時の徴兵逃避者だった。そして彼は青年になってベトナム戦争を題材とするひどい内容の映画を見て育ち、アジアについて信じられないほど間違ったことを教えられていた。
「植民地政策のいくつかに固有の残酷さについて知り始めた。国境線が気まぐれに引かれ住民たちの生活が破壊される、などということを。アメリカはベトナム戦争の間に爆撃により毎週千人の民間人を殺戮(さつりく)したのである」――パトリック・ウィン
世界のこの地域における西側の介入のひどさを知ることは不快であり、また屈辱であった。「植民地政策のいくつかに固有の残酷さについて知り始めた。国境線が気まぐれに引かれ住民たちの生活が破壊された、などということを。アメリカはベトナム戦争の間に爆撃により毎週千人の民間人を殺戮したのである。私はある意味で吹っ切れた。我々西側は一体どんな考えの基盤の上に立っていると思っているのだろうか? アジアのどの自国政府も自分の国(アメリカ)がベトナム戦争時にしたほどの大量殺戮を犯してはいないのだ」(以下、続く)
◆マニラのある女性から透けて見えたフィリピン
『ハロー・シャドーランズ』に携わるなかでアメリカ人としてのルーツを突然意識することがあった。ベトナムの犬獲りの摘発のため戦っていた元ベトコン兵に話しかけたとき強烈にそれを感じた。
しかしながら、禁止されている避妊ピルを売り歩く、マニラの女性によって運営される麻薬犯罪集団(に近づこうとした)際、障害となったのはウィン氏が男性だったことである。“
「妊娠するかもしれないという恐怖がどんなものかを理解するに際しては自分が男であることがハンディとなることが分かった。妊娠がさらに貧困を招くことになる恐怖である」。彼曰く、「それは理解が難しい、深い気持ちの次元の問題であると思う」と。
同様に把握が難しいのが統計データである。フィリピンの人口は過去50年の間に3千5百万人から1億5百万へと3倍に増え、現在の出生率は毎日5千人の新生児が生まれていることを指すという。その新生児の4人に1人が予定外の子供である。
マニラで見かけるお粥(かゆ)売りのカレン(実名ではない)のような女性にとって望まないで身ごもることは破滅的である。彼女がまたもや妊娠したときすでに3人の子供を食べさせるのに苦闘の毎日であった。ウィン氏は言う。「4人目の子供は彼女のわずかな稼ぎで何とかできる負担をはるかに超えてしまう。今回の妊娠は、今いる子供たちの生存をさえ危うくすると感じたのだ。自分が同じ状況に置かれたなら誰だって、自分の生活が制御不能に陥らないようどんなことだってするだろう、と。
彼女にとって半分合法的な最初の解決手段は、フィリピンで合法性があいまいな医者を兼ねる祈祷(きとう)師の「アルブリャーロス」に相談することであった。彼らの存在は実際に非合法とはみなされていなくても強力なカトリック教会によって言下に非難されている。リスクがあるからといっても、カレンにマホガニーの木の種と「ランソネス」という果物の皮を混ぜ醸造して作るマカブハイを飲むのをやめさせることはできない。その手段で失敗し、次は子供を流産したいとの手書きの願いを記した紙片を衣装に付けて毎年恒例の黒いキリスト像の行進に参加した。だが、すべて不首尾に終わった。
麻薬におぼれ暴力をふるう夫から何の助けも得られず、カレンはメタンフェタミン(神経をマヒさせる麻薬)の販売に転じた。ウィン氏は彼女のことを正しいかどうかを問うどころか感嘆させられた。彼は述べた。「彼女の行為は強烈な愛と思えた。すごく感動した。そして国はいったいその行為の咎(とが)で、彼女に頭を銃で撃って自殺させるか、牢屋にぶち込もうとでもするのだろうか?」
彼は論ずる。カレンはある意味で、半世紀前にフィリピンに特に強硬なカトリック派キリスト教を導入したスペイン植民地統治の部分的犠牲者である。
「マゼランが海岸に到達したことが今日の人々の生活に大きな混乱をきたしている」とウィン氏は言う。
メタ(前述のメタンフェタミン麻薬)を売り歩くことはカレンを、フィリピンの大統領ロドリゴ・ドゥテルテ氏が推し進める妥協のない麻薬戦争のなかで具合の悪い立場に立たせてしまった。大統領は法の手続きに経ずとも警察に容疑者を殺すことを許している。カレンは生命を脅かされていると言う。しかし、世界の政治全般のスケールで見渡しても実に奇妙なねじれのなか、もともと強烈なアンチカトリックの(実際、彼の最近の言葉に「神は馬鹿者」というのがある)ドゥテルテ氏はゲイの権利を認めるだけでなく避妊も支持しているのである。
「メディア業界では、この人物のことをどんな形にせよ良いことを言おうとすればほとんど仲間外れにされ、それだけの理由もある」「しかし、実際に何千人もの人々を迫害しているその麻薬戦争の顔であるドゥテルテ氏が避妊のことになると実はまともなのだ。彼の考えは私自身により近い」と、ウィル氏は言う。
ドゥテルテ氏は国がカネを出して避妊を支援することにさえ前向きである。と、ウィン氏は驚く。「悔しいがアメリカにはそれがない。しかし、この本の中でできることがある。その(アジアの)複雑さを探求することが。それは極めて異例な組織犯罪の話である。組織犯罪という言葉は麻薬とかマフィアを思い起こさせる。それは先に述べた女性たちが本当に受けるに値するサービスを提供する闇社会でありブラックマーケットなのだ。我々はフィリピンの、1万人にも及ぶ死者を出したメタンフェタミン常用者に対する麻薬撲滅の戦いについて聞かされる。私はカトリック教会によって仕掛けられた(普通とは)異なる麻薬撲滅の戦いについて知りたかった。その分野は自由に出入りできる領域だと考えていた」
ドゥテルテ氏の考えというのは、その地域を定義しなおす違いと矛盾の典型である。「東南アジアの地政学的地図は今完全に書き換えられている、とウィル氏は述べる。「国際的メディアがそのことをうまくとらえていないと思う」
彼は自分の主張を裏付けるために事実と数字をふんだんに交えた小規模な講義を本書で展開する。「東南アジアはヨーロッパ、北米あるいは南米よりも人の数が多い。仮に東南アジア全体を一つの国に見立てるなら中国、インドを含むどんな国よりも経済成長のスピードが速い。その事実だけをとっても欧州とアメリカがこの地域に対し非常に強力な政策目的を持っていることを意味するはずである。しかし、それは今だから言えるがそれまではわかっていなかったのだ」
米国の前大統領バラク・オバマ氏は当該地域を「アジアの要」と形容し、初めは前向きであったものの中東で行き詰ってしまった。「そして、彼は東南アジアの国々は民主主義を受け入れねばならない、という既定の信念をその地域によみがえさせることもしなかった。」「トランプ氏の登場まで、アメリカから注意されてきた。『軍事クーデターを起こすべきでない』と」 「私は説教を垂れることを決して好まない。アメリカがこの地域を空爆しておいて、教訓の先導的灯りを掲げて行動しようとするのは道徳的に疑問だと思った」
ウィン氏は、ドナルド・トランプ大統領のうわべだけの脅しのもと、この政策はどのようにかは定かでないとしつつも、とにかく変わったと論じている。 「政策は……取って代わられた……」。 彼はそこで間を置く。「トランプ氏が東南アジアにどんな政策を持っているのか知らないが、世界におけるアメリカの立場をよくしていないことは確かである。アメリカはこの地域では完全に眠っている」(以下、続く)
◆ミャンマーの実態
アメリカのこの地域における影響力の低下を加速させているのは中国の拡張するパワーと鋭さである。「中国は増大する優位性を築いた」 「その政治スタイル、その世界観は東南アジアで、益々人気を博し隙間を埋めている」
ウィン氏は架空の例を挙げる。「あなたがタイの陸軍独裁者で、アメリカと中国の両方を政治のお手本として見比べると仮定しよう。いつだってあなたは中国を選ぶだろう。アメリカは機能不全に陥っているように見える。パワフルかもしれないが混乱している。指導者たちは秩序と安定を好む。中国では国内総生産が毎年増えている。国民を極めて効果的に制御してきた。それが進むべき方向のように思える。平均的庶民のことを言っているのでない。権力者たちの違いについて比べているのだ。」
彼が言うには、ミャンマーはアメリカと中国の両方にアピ-ルすることをいとわない。
「彼らは中国に対しバランスを取るためにアメリカを招き入れた。彼らは完全に中国の支配下になって衛星国化するのを恐れている」。ウィン氏が信ずるところ、アメリカからの投資を引き寄せるために仕組まれて、アウン・サン・スーチー女史が選ばれたことはロヒンギャの人々を暴力で迫害してからは裏目に出た。いずれにせよ本当の権力は国軍最高司令官のミン・アウン・フライン氏が握っている。「誰もミン・アウン・フライン氏の人物像を大きく報道しない。彼はカーキ色の軍服を着て気持ちを表に出さない年季の入った大将である。地元の人でさえその名前を知らない。しかし、彼がその大物なのだ」
『ハロー・シャドーランズ』の中でウィン氏は、ミャンマーを支配する軍隊、さまざまな地域を治める武力指導者たち、そして少数民族グループの3者間の理解し難い同盟の歴史をたどっている。
そこで彼は軍隊が反乱の可能性があるグループの前に最もあり得ないニンジンをぶら下げた経緯を描くのである。すなわち、年間4百億米ドル相当にも上る麻薬取引をだ。「製薬会社の(世界大手)ファイザーだってそれだけは稼げない」と、ウィル氏は驚きを交えて述べる。
「ミャンマーの少数部族地域を掌握しようとして政府は地域の武装実力者あるいは部族の武力指導者たちに対し『我々の側につけばメタンフェタミンをどれだけつくっても、麻薬をどれだけ売買しても、何百万ドル稼いでもとがめない』と持ち掛けた。軍隊は部族間の緊張を、反乱予備軍を転向させることによって非常に狡猾(こうかつ)に自分たちの利益となるよう活用した。」
ファウスト主義同盟(物質的利益のために精神的価値を犠牲にする)―権益化した麻薬製造―は、「今の国境線で分断された地帯ではさほど意味をもたない国家をまとめる政治目的に満ちた手段である。ミャンマーはなるべくしてそうなった火薬庫である。彼らはほぼいつ破綻(はたん)してもおかしくない」
ウィン氏は広く世界に波及する効果は重大であるという。『ハロー・シャドーランズ』の結びで語られるように、ロヒンギャの人々のバングラデシュへの大規模な避難に続いてミャンマーの麻薬取引は国境を越え、あふれ出ている。著者(ウィン氏)は言う。「我々はこの巨大な暗黒世界の化け物を自らの危険を賭して無視しているのだ。私は西側世界に向けて伝えられているのだと思いたい。この現象は広がりつつあるのだ。東南アジアの組織犯罪には非常に高度な企業家たちが関与していて、その活動はますますあたりまえのビジネスと化しているのだ」(以下、続く)
◆グローバルな利権が絡み合う南北朝鮮
『ハロー・シャドーランズ』の「ピョンヤンのダンシングクイーン」という章では、東南アジア全域に広がる北朝鮮レストランで働くウェートレスたちを巡り、ミャンマーと同様に当事国とグローバルな利害が絡み合っていることが明白にされている。一番の困難はもともと純粋にジャーナリストに課せられるものであった。ウィン氏は果たして常に監視監督されながら働く女性の頭の中に入って覗くことができるだろうか、であった。
「ここで偉大な引用すべき句がある。『眠っている誰かを起こすのは簡単だ。眠っているふりをしている人を起こすことは不可能だ』。北朝鮮の人々はそのような意識空間のなかで生きているのだ。特に、地位の高い人々であればいつでも見張られているのだ」
ウェートレスの一人と、酩酊(めいてい)したかのようにみせかけワルツを踊ったあと、もう一人と会話しようとしたウィン氏の試みは失敗した。彼のバンコク、インターネット、そして家を離れていて寂しくないか、などについて聞いた「月並みな」質問はいとも簡単にあしらわれ、その場所から追い出されたのだ。
このように接触を断たれたことは、ウィン氏が一番聞きたい質問への回答を得る障害となった。彼は北朝鮮の人々に関して「彼らは奴隷であると主張する特定の人権団体が存在する」と言う。「私がたくさんのビールと焼酎を飲んで、挙句にそのうちの一人と踊ったらそれで奴隷制を支える共犯者になるのだろうか?それは困る」
韓国で脱北者のホステス、ハンさんという女性に話しかけたことがある。彼女はレストランで働いている人たちはピョンヤンのエリート階層から集められた人たちだと言う。彼女たちは、羨望(せんぼう)の社会的地位と、スーツケースいっぱいの衣料とか母国では大変に高価なバナナのような相当な物質面での厚遇を与えられている、熟練した音楽家、歌手そして演技者たちなのである。
「私が究極的な結論とするのは彼女たちを奴隷視することはやめるべきということだ」。ウィン氏は続ける。「比較しての話だが彼女たちは高い地位にある人々である。しかし、その章の一部では食い違いについても取り上げる。『誰が正しいのか』である」
彼は本の中での論述を特異な事件で中断させている。それは2016年4月6日に12人の北朝鮮レストラン従業員がマネジャーのホ・ガンイル(許強一)氏とともに中国の港町寧波市から逃亡したことである。韓国政府は彼女らが禁断の韓国テレビのメロドラマに触発され自分たちの自発的意思で行ったと主張した。しかし、彼女たちの家族はおかしいと主張した。
「我々の娘たちは反逆行為などできるはずがない」、と、12人のうちの1人の父は主張した。
『ハロー・シャドーランズ』が発刊されて、真実が明るみにでた。女性たちはボスに騙(だま)されたのだ。「言い分のひとつは、それら女性たちが中国のレストランで働いていて、彼女たちのマネジャーが彼女たちの同意なしに韓国のスパイにより転向したのであり、彼は『みんな次のレストランに移動するのだ』と言いながら実は韓国に連れて行ったのだというのだ。それが実際に起きたことなのだ。ホ氏は、これをたくらんだ際に聞かされていた条件が実行されなくなって韓国に裏切られたと、べらべら白状したのである」
ウィン氏はそれら北朝鮮女性たちが何も知らない犠牲者たちであると言う。「私としては12人みんなが起きてしまった状況に失望し、喜んでいないとしても不思議ではない」。さらに続けて言うには、「そのうちの誰かが『もうこれで両親に会えなくなる。だけどかっこいい。韓国にいるのだから』などと言うならそれはおかしい。彼女たちは困窮していない。自分たちが知っているすべてに背を向けたくなるほど絶望的な暮らしをしていないのだ」と。
ウィン氏はこの北と南の痛烈な非難合戦のなかで12人が「誠実なチェスゲームの駒」としてこの小さな蝶々の政治的羽ばたきは壊滅的なグローバル効果につながることになるのだろうかと自問している。韓国の大統領、文在寅(ムン・ジェイン)氏は離散家族の再会をより大きな目標である国家統一の一部であると述べている一方、北朝鮮は今回の女性たちの事件を韓国側の不誠実さを表す事例だとしている。
「交渉の細部になると、そして北朝鮮はもう少し強く出る必要があり、韓国には何らかの譲歩が求められる。彼らは言いかねない。『ではそのよく訓練された母国の歌姫であるウェートレスたちのことはどういうことだったのだ? お前たちが誘拐して世界中がもうそれが事実であることを知っている』と」
疑いなくこれからこの件はさらに騒がれることだろう。そしてウィン氏はその起こりうる結末についても調べることだろう。彼は鋭い目をアメリカの政策に向け続けるのであるが、その関心領域はそれが彼の第二の故郷であるにどう影響するのかに限られる。「私は東南アジアにおけるアメリカの政策について強く関心があるが、それは私をアメリカでは極めて珍しい少数派とさせているのだ」、と彼は言う。(以下、続く)
◆際立つ東南アジアへの愛着
彼が住むアジアでトランプ氏がどのように評価されているかについて何かつかんでいますかと聞かれて、「彼らは好きではないが、アメリカ人みたいに感情的な反応は示さない。好奇心の対象としているだけだ。トランプ氏のことについては予備知識はない。彼の風評は東南アジアの中間層までは届いていないのだ。彼の風貌については反応するが、ただ面白がっているだけだ」
タイを第二の故郷と呼び、その人々から食べ物まですべてを目いっぱい称賛する彼は、その国のどんなネガティブな側面についても、たとえば前述の発砲事件などに言及する際には控えめである。近くの兵士が地面に向けて威嚇(いかく)発砲をしたとき彼は反政府デモの群衆のなかに立っていた。彼は記憶をたどる。
「皆が走り、はい回った。」「騒動の場所から逃れたらすぐにいつものバンコクの姿だった。まったく変な感じであった。私は自分たちのアパートまでずっと走って戻った。そこには妻の大学の友人たちが座っていた。みんな休みの日で買い物市場とか麺を食べるのにどこがよいかなどと話していたのである」
実に、ウィン氏の、とりわけバンコクに対するのと、東南アジア全体への愛着は際立っていて、犯罪について報道する際には直ちに文言を追加するほどなのだ。「どうかこれを強調させてほしい。この地域は手が付けられないほどの混乱に陥ることはない」。 彼は念を押す。「寺院を巡るツアーはキャンセルしないように。選ぶとしたら、バンコクで一番危険な場所がいいか、アメリカの一番危険な場所がいいか? 何度聞かれても断然バンコクさ」(以上、全訳終わり)
※今回紹介した英文記事へのリンク
https://www.scmp.com/magazines/post-magazine/long-reads/article/2155926/american-journalist-investigates-organised-crime
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