山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
実力派女優、真野響子の一人芝居「夢十夜」を見た。夏目漱石の幻想的な初期短編小説を文学に忠実に演じている。江藤淳の『漱石とその時代』の影響だろうか、その時代の理解とその読みは正確なのだろう。しかし聴衆は高齢の方々が多く、若い人たちは演劇仲間のように見受けられた。前回のWHAT^第9回において、「明治時代に文明開化といわれた文明は、西欧の近代文明だった。」という書き出しから、「西洋近代文明もしくは明治の文明開化はデカルトからスピノザまでが射程距離となるはずだ。…… 文明の味わいは甘くなく、文明開化以前の梅干しのように滋味深い。」と結んだ。「夢十夜」の第一話は、死んだ女の再来を百年間待って、赤い日が東から西へ、と廻(まわ)るうちに「百年はもう来ていたんだな」と気づく話だ。西を西洋文明と読み替えると、百年の意味が分かったような気がする。
小説は二度死ぬ、あるいは死なない。110年前、1908年に書かれた新聞の連載小説「夢十夜」は死んだのだろうか。朝日新聞に勤める「小説記者」としての漱石は死んだ。漱石を知っている人たちも、ほとんど死んでしまったはずだ。「小説記者」という職業が無くなっても、文学部がエリートたちの学部では無くなっても、小説は死ななかった。多くの評論家が小説について語り続け、新しい小説が生まれてくる。西と東ではなく、北と南に対立軸が移り、地球および人類の文明全体が行き詰っているように感じられる今日でも、これからの時代は必ずやってくる。
スピノザの時代は、ライプニッツが発明した2進数のコンピューターによって乗り越えられると思っていたら、ウイルスの一斉分析ヴァイローム(Virome、※参考1)によって、もっと深いところから西欧文明の限界が明らかになった。ウイルスが生物か無生物であるかにかかわらず、私たちはウイルスについてほとんど何も知らず、知ったとしても理解できないことを知ってしまった。ウイルスの世界はダーウィンやニュートンの時代には存在しなかった。ウイルスの世界を理解するためには、論理や科学のありかたを根本から考え直す必要がある。2進数のコンピュータープログラムの停止問題に潜むランダムネスを十分には理解できないのだから、四つの塩基によるウイルスの進化論的プログラムを理解できるとは思えない。これからの時代は小説でも読みながら、まだ来ていない百年に思いを巡らし、自殺や戦争をせず、コンピューターとともに、千年生き延びる覚悟をしよう。
(参考1)ヴァイローム:https://www.primate.or.jp/serialization/70.皮膚に常在するウイルス(ヴァイローム)/
WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は何か気になることを、気の向くままに、写真と文章にしてみます。それは事件ではなく、生活することを、ささやかなニュースにする試み。
コメントを残す