山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
「カルロス・ゴーン逮捕」。日本発の衝撃的なニュースが世界を駆け回った。ルノー・日産のアライアンスに打撃を与えただけではない。事件を報じるメディアの姿勢に世界は注目し、日本独特の検察報道が批判に晒(さら)された。
◆「検察のリーク」垂れ流し
「この程度のことで世界のカリスマ経営者が突然逮捕されるのか。ありえない」
ニュースを聞いた時、そう思った。金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)。それも社長として受け取った報酬が実際より低く公表したことが逮捕容疑だという。専用ジェット機で羽田に着いたゴーン氏を東京地検特捜部の係官が待ち構え、逮捕し東京拘置所に連行した。
有価証券報告書に記載された報酬が虚偽だった、という。だったら東芝の社長・会長はなぜ逮捕されなかったのか。組織ぐるみで大掛かりな経理操作を行い、赤字企業を黒字と偽った。投資家を欺く行為としては、報酬の過少記載などよりずっと悪質だ。
翌日の新聞は「会社のカネで海外に自宅を買わせていた」「家族旅行も会社のカネで」といった「公私混同」を一斉に伝えた。
どれも検察情報によって書かれた、と見られる記事である。5年で50億円もの収入をごまかしていた、というのは庶民の生活感覚では気の遠くなるような話だが、本人にも言い分はあるだろう。
欧米では自動車会社の社長の報酬は軒並み20億円を超えている。だがそんなカネを日本で取ったら、従業員や世間の納得を得られない、とゴーン氏も感じていたようだ。では退職後にコンサル料などとして払ってもらう、という契約をした。それが正当なものか、違法かはゴーン氏や実際に会計処理した部下、日産の経理や監査役がじっくり話し合えばいいことだ。
ところが検察は「違法だ」「有価証券報告書のウソを書いた」と一方的に決めつけ、実務処理に当たった、法務やコンプライアンスを担当する専務執行役員を含む複数の幹部らに「罪を軽くするから」との条件で協力関係を結んだ。そんな事情を知らない会長が、会議のため帰国したところを電撃的に逮捕した。これは乱暴すぎる。
だが、日本の新聞もテレビも捜査に疑問符を投げかける報道はなかった。ひたすら「検察のリーク」を垂れ流し、「ゴーンは悪者」という記事やニュースが溢(あふ)れかえる。批判記事が出てこないのはなぜか?
◆検察は社会正義だけで動いてはいない
「そんなこと書いたら、翌日からネタをもらえなくなるだけですよ」
社会部記者だった友人の新聞社OBは指摘する。記者は分かっていても書かない。取材競争に損することはしない、というのだ。
特捜部は事件に着手する時、事前に周辺情報を洗い出し、容疑者に不利な情報を繋(つな)ぎ合わせる。この人物は逮捕されても仕方ないほど悪者なんです、と印象付けるストーリーを作る。容疑者は裁判で罪が確定するまで「推定無罪」とされるが、日本では逮捕・起訴の段階で検察による社会的断罪がなされる。メディアはその伴奏者である。
東京地検特捜部長を務めた宗像紀夫弁護士は、検事と記者の関係を聞かれ、「同志だと思ってきた」と答えた。「巨悪は眠らせない」という共通の目的で検事と記者は固く結ばれた関係のようだ。社会正義をつらぬく職業だといえば一面の真理はあるだろう。しかし大阪地検特捜部が起こした「村木冤罪事件」で分かるように、検察は社会正義だけで動いてはいない。組織の維持、サラリーマンとしての栄達、世間受け。動機はいろいろだ。
村木事件は朝日新聞のスクープで明らかになった。検察という権力機関をチェックするメディアが日本にあったことは心強い。
ところが、その朝日新聞が今回こころもとない。最初に感じた違和感は、逮捕の現場に朝日の記者がいた、ということだ。羽田空港に特捜係官が待機し、ジェット機に乗り込む一部始終を報じている。朝日は逮捕を事前に知っていたようだ。
この「スクープ」をどう考えたらいいのか。朝日は検察に食い込んでいたから事前に逮捕情報をキャッチしていた。あるいは、批判的な記事を書きかねない朝日に情報を流し、恩を売った。真相はその間にあるのではと思う。ボーとした記者に特ダネのリークは来ない。ネタを取るには警戒心を解かなければならない。情報を漏らしても逆手に取るような記者ではないという信頼を得て、「協力関係」を暗黙の了解として特ダネをもらう。
検察取材が難しいのは、情報が検察という組織で厳重に管理されているからだ。経済問題なら、例えば予算関係は財務省が秘匿しても、政治家や関係省庁に情報がある。漏らしても出所は特定できないので、取材はしやすい。検察はそうはいかない。
◆片棒を担ぐ司法記者クラブの検察担当記者たち
特ダネの裏に検事と記者の「握り合い」がある、と見ていいだろう。
特捜事件となると、検事は毎晩、記者の夜回りを受ける。それも各社別々に検事が対応する。検察に不快な記事は「何だ、あれは」となる。そんな記事を書けば、夜回りからはじき出される。現場の記者は、情報を断たれることを一番恐れる。
逮捕を事前に知っていた朝日は、その後も特ダネを放っている。11月27日付朝刊では「私的損失日産に転嫁か」を1面トップに掲げ、2008年のリーマン・ショックの時に生じた投資の損失を日産に付け替えた。このことは証券取引等監視委員が把握し、銀行に指摘した、と報じた。
この記事は、ゴーン氏の不正は所得をごまかしただけではありませんよ、独裁的権限を使って会社に被害を与えることもしてますよ、という検察のメッセージだ。各社とも後を追った。
29付日には「報酬合意文、秘書筆で秘匿」を載せ、取締役に諮らずに報酬先送りを秘密で決めていた、と報した。
どれもゴーン氏には言い分があるだろうが、検察側の一方的な断罪である。日本の捜査手法は、入り口事件で逮捕し、20日間の拘留期間が終わったらまた別の容疑で20日間拘留・取り調べを行い、起訴されても裁判所に拘留延長を求める。容疑者は収監されて口を封じられたまま検察のストーリーに沿って世間は事件を判断することになる。その片棒を担いでいるのが、司法記者クラブに所属する検察担当記者たちだ。
◆「密着取材」の負の部分
検察取材に限らず、日本の大手メディアは「密着取材」を重視する。私も駆け出し時代から「相手の懐に飛び込め」と鍛えられた。警察でも検察でもネタ元になりそうな役職にいる警官・検事と親しくなり「悪くは書かない」という暗黙の了解のもとに情報をもらう。「事件取材に強い記者はどこでも活躍できる」と教えられた。政界でも企業取材でも政治家や社長の「懐に飛び込む」のがいい記者とされ、特ダネ競争に勝ち抜くことで、社内の評価を上げる、という行動パターンが一般的だった。
高度成長で社会の目指す方向が明確な時は密着取材でもよかったかもしれない。世の中にどの方向に向かうか分からなくなると、密着取材の負の部分が目立つようになる。
検察は社会正義で仕事をしているわけではない。政治も同じ。権力に寄り添っていれば、例えばリークネタがもらえたり得したりすることはあるが、報道が「世の中の公正な発展」に寄与しているか、疑問符がつく場面が多くなった。
「ゴーン逮捕」は、独裁経営者の公私混同という事実は否定できないとしても、その悪質さは大掛かりな逮捕で断罪するほどのものか。個人の所業を超えて日産・ルノーの主導権争いとの絡み、背後に控える政府の争い、グローバル化の中で産業を抱え込みたい政府と多国籍企業の相克。事件を取り巻く大きな構図の中で「ゴーン逮捕」はなぜ起きたのか。報じるべきは「ゴーンの悪事」ばかりではない。
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