古川弘介(ふるかわ・こうすけ)
海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。
◆本稿の狙い―日本は階級社会か
『ガラパゴス』(*注1)という小説をご存知だろうか。社会派ミステリー作家・相場英雄の警視庁シリーズの一冊である。ストーリーはこうだ。身元不明の自殺者の再調査で偽装殺人がわかる。被害者は沖縄県宮古島出身の非正規労働者。彼はなぜ殺されたのか。そこにはコスト削減に走る電機、自動車といった大手製造業と人材派遣会社が結託して作りだした、非正規労働者をモノとして扱う製造現場の非情な現実があった。被害者は福岡の高専を優秀な成績で卒業したが、担任教師とのちょっとした諍(いさか)いがもとで就職に失敗し、非正規労働者として働き始める。彼は、スタートの失敗はすぐに取り返して、どこかの会社の正社員になれると信じていたが、派遣労働者として日本全国の製造現場を転々とたらい回しされる生活から抜け出せなくなっていく。いったん落ち込むと永遠にはい上がれない蟻地獄のような仕組みに絡み取られていくようだ。そして技術に詳しい彼が、偶然メーカーのリコールに絡む不正を見つけてしまい声をあげようとした時、悲劇が起きる。
本の中には、新興国に追い上げられ技術的優位性を失いつつある日本の製造業の焦りが強引なコスト削減の背景にあること、労働法制の緩和を巧みに利用した収奪システムの欺瞞(ぎまん)性と人材派遣会社の強欲さ、警察内部の腐敗や政治家の暗躍など、様々な社会問題が盛り込まれている。そして問題の根っこにある社会の仕組みそのものへの作者の憤りと強い正義感に、心を揺さぶられた。しかしそれだけでは、社会性を持った良い作品であったというだけで終わってしまう。自分なりに日本の社会はどう変わったのかを勉強して、正しく理解しておかなければならないと考えた。
日本社会の格差拡大や階級社会化に関する本は、書店に行けばたくさんあって選択に迷うくらいだ。その中で新聞の書評で評価の高かった『新・日本の階級社会』を選んだ。著者は、社会学者の橋本健二(*注2)である。本書は、日本社会の「現状分析」と格差是正のための「政策提言」から構成されている。本稿においては、前半の「現状分析」を中心に社会の「現実」をできる限り正確に把握するところからスタートしたいと思う。なお、後半の「政策提言」で格差是正政策の拡充を訴えているが、格差を生み出す「構造」の認識に違いがあるので、それに関しては次稿で詳しく考えることにしたい。
なお、本書が参考とする統計は、国勢調査など官公庁のデータに加え、「SSM調査(社会階層と社会移動全国調査)」(*注3)、「2016年首都圏調査」(*注4)である。「SSM調査」については、聞き慣れなかったのでホームページで内容を確認したが、主要な大学の研究者を網羅するグループによって1955年(第1回)から基本的に同じ基準で継続して行われているなど、十分な実績があり信頼度は高いと判断される。
◆「中流」の分解と新しい階級社会の出現
●日本の階級
橋本は、ジニ係数(所得格差の全体的傾向を示す)、賃金格差に関する指標(規模別・産業別・男女別)、生活保護率の推移から、高度成長期に縮小した格差が、1980年ごろを境に上昇に転じて現在まで続いていることを明らかにする(*注5)。こうした事実から現在の日本は既に階級社会と呼ぶべき段階にあるという橋本の見解に異論はない。なお、「階級」という概念は、マルクス主義の立場から生産手段の所有・非所有による資本家階級と労働者階級という意味で使われることが多い。本書でもこうした階級史観に立ちつつ、日本の階級を資本家階級、新中間階級(管理層)、旧中間階級、労働者階級の四つに分けて議論を進めていく。資本家階級と労働者階級の対立関係から歴史を解釈する「階級史観」に対する見方は分かれるだろうが、社会構造を理解するためには現在でも有効かつ便利な分類だと思う。
資本家階級は、規模5人以上の企業経営者・役員としており、数で言えば圧倒的に中小企業の経営者が多い。全就業者に占める構成比率は、4.1%である(*注6)。新中間階級は被雇用の管理職・専門職・上級事務職であり、大企業の管理職のイメージだろう。構成比率は20.6%だ。労働者階級は被雇用の単純事務職・販売職・サービス職、非正規労働者である。構成比率は62.5%と全体の3分の2近くを占める。旧中間階級は規模5人未満の小零細企業の経営者・役員であり、構成比率は12.9%であるが年々低下している。
●「中流」の分解
橋本は、「階級帰属意識」という概念を使い、自分がどの階級に所属しているかという意識と実際の生活程度が違う点に注意が必要だと言う。一般的な階層意識調査では「中」を選ぶ人が大部分を占めるが、全員が中流の生活をしていることを意味しないということだ。そこで、所得を基にした富裕層、相対的富裕層、相対的貧困層、貧困層の4区分SSM調査で「人並みより上」と答える人の比率の推移を見る。比率は階層順に並んでおり、1975年は富裕層が44.5%(相対的富裕層は25.4%)で貧困層が17.2%だった。その差は27.3%であり意外に小さいというイメージだ。しかし2015年調査では上位2層の「人並みより上」比率が大幅に上昇しており、富裕層は73.7%、相対的富裕層は39.1%に達している。一方、下位2層は同比率が低下しており、貧困層は10.0%になっている。所得階層による差が顕著になっており、富裕層と貧困層の比率の差は63.7%と大幅に拡大している。橋本はこれを「階層意識の階層化」と呼ぶ。意識と実態が近づいたということだ。こうした意識の変化に加え、実際の格差の拡大が進行して、「中の上」の人々が「人並みより上」と意識するようになったことで、「中流意識」の分解が起きたと分析するのである。
また、意識調査では「中」を選ぶ人が多いと考えられる労働者階級の内部で、格差が生まれていることをデータを示して明らかにする。男女別の正規・非正規の個人年収と世帯年収を2005年と2015年で比較しているが、男女とも正規の年収は増大しているのに対し、非正規は逆に大きく落ち込んでいる。例えば、男性正規労働者の個人年収は409万円から428万円に4.7%増加しているのに対し、非正規労働者は237万円から213万円に10.3%減少している。世帯年収の増減の差はさらに大きく、男性正規労働者6.7%増に対し、非正規労働者は16.7%減少しているのである(*注7)。
橋本は、労働者階級の内部で雇用の安定を保障された正規労働者と、雇用が不安定で賃金も低い非正規労働者に二分されていると考える。そして労働者階級の下位層を「アンダークラス」と定義し、日本社会は4段階階層から5段階階層に転換したとして「新しい階級社会」と命名するのである。
◆「アンダークラス」と新しい階級社会
●「アンダークラス」の特徴
アンダークラスは、休暇取得、社宅家賃補助、退職金といった正規雇用向け制度から排除されている。また最終学校を中退した人が多く(12.0%で他の階級平均の2.2倍)、『ガラパゴス』に出てくる被害者のように、経済環境の悪化によって学卒後すぐに正社員として就職できなかったことが、後々まで影響を及ぼしているのである。また心身の健康状態にも階級差が見られるとし、アンダークラスは体格で最下位にあり、抑うつ傾向も最も高いとする。さらに他者との信頼関係や社会的ネットワークの形成(ソーシャルネットワークと呼称)において劣位にあることを示している。ちなみに本書では、アンダークラスの実数を929万人(全就業者に占める割合は14.9%)と試算している。この900万人超という数字も大きなインパクトを持つが、あくまで就業者を対象とした数字であり、ここには入らない無業者(4千6百万人)を別のデータを使って分類すれば、日本全体のアンダークラス人口は1千万人を優に超えているものと考えられる。
橋本は、このように労働者階級内部に格差(収入で2倍、貧困率で5倍の差)(*注8)が生まれていることを示して、「資本階級から正規労働者までがアンダークラスを支配・抑圧する「四対一の階級構造」が生まれているといえるのではないか。」としている。
●女性の階級社会
橋本は、女性の生活や意識は本人の所属階級と同等、あるいはそれ以上に、夫の所属階級の影響を受けると考えて、そうした要素を組み入れた分析を行っている。まず、本人と夫の所属階級のマトリクスを作成し、17のグループに分類して比較を試みる。例えば、夫と本人が資本家階級の「中小企業のおかみさんたち」、本人が無職で夫が新中間階級の「専業主婦のコア・グループ」などである。この中で最大の比率を占めるのは、本人がパート主婦で夫が労働者階級の「働く主婦たち」で10.7%である。次に本人が無職で夫が労働者階級の「労働者階級の妻たち」が10.0%で続く。そして8.3%を占めて3番目に多いのが、配偶者がいない「アンダークラスの女たち」である。この「アンダークラスの女たち」の貧困率は42.8%に達している。
橋本は、「女性は本人と夫の両方が資本家階級や新中間階級であるなど有利な条件が重なる場合には極めて豊な生活を送ることができるが、両方が下層階級出身であったり、下層階級出身で配偶者がいないなど不利な条件が重なると極めて厳しい生活を送ることになる。男性以上に厳しい格差の構造が存在する」としている。社会の矛盾が最も弱い階層である女性に表れているということである。
●格差是正と自己責任論
格差を是正するための所得再分配などの政策への賛同は、所属階級と密接に関連することは容易に想像がつく。労働者階級は格差是正の支持率が高く、資本家階級は低いはずである。実際アンダークラスでは格差是正への支持が半数を超え、また旧中間階級も半数近くが支持している。しかし、正規労働者の支持率は、資本家階級や新中間階級のそれとほとんど差がないのである。橋本が指摘する「新中間層と正規労働者の貧困層に対する冷淡さ」を示すデータである。
格差拡大容認論の根拠は、「自己責任論」である。自己責任とは「自分の判断がもたらした結果に対して自らが負う責任」(広辞苑)である。非正規労働者の多くは、自分の意志に反してやむを得ず非正規で働いているのであり、それは自己責任とは言えない。経済学で使う「非自発的失業」と同じで、社会的責任なのである(*注9)。しかし調査結果(2016年首都圏調査)をみると、貧困層が増えているという認識は6割に達するが、貧困を自己責任だと考える人は、資本家階級で47%と高いのはわかるとしても、新中間階級42%、正規労働者40%とそれぞれ高い数字を示している。さらにアンダークラスでさえ37%が自己責任としているのは意外であった。橋本が指摘するように、自己責任論の「アンダークラスへの浸透」が、問題解決をいっそう複雑化しているのである。
◆まとめ―英国の変容と教訓
一昔前まで、階級社会といえば英国がまず頭に浮かんだ。そして対極にあるのが、平等社会の日本だという認識が一般的であった。そういうわけで、今から30年以上前に初めてロンドン勤務になった時、英国の階級社会を知っておく必要があると思い、ベストセラー作家ジリー・クーパー(*注10)の『クラース―イギリス人の階級』を読んだことを思い出した。クーパーによれば、英国の階級は上流階級の貴族を頂点に上層中流、中層中流、下層中流、最下層の労働者階級まで何層にもわかれていてタマネギの皮のようだという(「むいていくと涙が出てくる」という「落ち」が問題の本質をついている)。そして、階級によって住む地域、職業、言葉、生活様式、家族関係、身長(上流は背が高い!)、モラルまで違うということを、重くならないように英国人らしくユーモアを込めて描いていた。法律的には皆平等だという認識は共有されていても、現実の社会生活では幾重にも複雑に重なった階級が意識されており、それをわきまえて生活していく必要があるのだ。収入や資産による差というよりも、社会慣行としての「階級」が強調されていたように思う。それゆえにどの階級にも属さない「成金」という階級のカテゴリーが設けられていた。米国なら労働者から成功して金持ちになれば上流階級の仲間入りができるが、英国ではそうではないといいたいのだろう。当時の英国は、ケインズ流修正資本主義のもとで福祉国家を完成させた時代であった。そこでは人々は、規律を守り趣味を持ってソーシャルネットワークの中で生きていくのが理想とされ、米国流の金もうけ主義を批判する気風が根強く残っていたと思う。その英国が変わってしまったように見えるのが悲しい。福祉国家の行き詰まりを受けて登場したサッチャー首相の新自由主義的政策によって、経済は回復したが福祉が大幅に削減された。その後政権は変わっても経済活力重視政策が維持され、貧富の格差拡大が続いた。そしてついに社会の分断が懸念される事態に至ったようだ。その象徴がEU(欧州連合)離脱を巡る国内の対立と混乱ではないだろうか。
英国の例は、どんなに安定していて強固に見える社会も内部から崩れだすと脆(もろ)いということを示している。日本は、格差はあっても欧米と比べて差が小さいので大丈夫だと高をくくっていると手遅れになる可能性があるという教訓だと思う。本書が指摘するように、日本の格差拡大傾向は40年近く続いており、日本型「階級社会」と呼ぶべき現実が存在するのである。正規雇用と非正規雇用の収入、資産、教育、婚姻における大きな格差の存在は、漠然とは認識していたつもりであったが、本書のようにデータで示されると衝撃的である。また、格差の存在を認めない、あるいは自己責任であるので仕方がないと考える人々が多いのにも驚く。特に、同じ労働者階級でありながら正規社員と非正規社員の間には大きな格差が生まれ、この結果「資本階級から正規労働者までがアンダークラスを支配・抑圧する「四対一の階級構造」が生まれているという指摘は真摯(しんし)に受け止めるべきだと思う。しかし、ではどうすればよいかという方法論になると議論が分かれるのである。それについては、次稿で詳しく論じたい。
<参考図書>
『新・日本の階級社会』(橋本健二著、講談社現代新書、2018年1月)
(*注1)『ガラパゴス 上下』(相場英雄著、小学館文庫、2018年7月)は、警視庁捜査一課継続捜査担当の田川信一を主人公とするシリーズの一冊。前作の『震える牛』もベストセラー。
(*注2)橋本健二(1959〜):社会学者。早稲田大学人件科学学術院教授。社会階層論、階級論専攻。
(*注3)SSM(社会階層と社会移動)調査:日本を代表する階層研究者からなる研究グループによって1955年(第1回)から10年毎に行われている実地調査。最新調査は2015年(第7回)。対象は日本に在住する2014年12月末時点で20〜79歳の日本国籍を持つ男女。住民基本台帳を基準に全国800地点から抽出。サンプル数15605で回収7817(回収率50.1%)。独立行政法人日本学術振興会より、特別推進研究事業(課題番号:25000001)として助成を受け実施。http://www.l.u-tokyo.ac.jp/2015SSM-PJ/index.html
(*注4)「2016年首都圏調査データ」は、橋本を中心とする研究グループにより実施された調査。対象は都心から半径50キロ以内の20〜69歳の住民。http://www.gakkai.ne.jp/jss/research/90/file/85.pdf
(*注5)各指数は戦後復興を経て高度成長期に低下(格差は縮小)し、1975年から1980年ごろが底である。「一億総中流」がいわれた時代である。しかし、その後上昇が始まる。これをもって本書では、「現代日本で格差拡大が始まったのは1980年前後である。……40年近くも続いているのである。」とする。
(*注6)総務省の「就業構造基本調査」(2012年実施)による。なお、調査時点の15歳以上人口1億1千百万人に対して、就業者数は6千4百万人(無業者4千6百万人)。本書ではこの就業者数を母数とする構成比率を出している。
https://www.stat.go.jp/data/shugyou/2012/pdf/kyoyaku.pdf
(*注7)SSM調査データより算出しており、対象は20〜59歳に限定。これは経済基盤が安定した高齢層の影響を排除するためとしている。
(*注8)上記の総務省「就業構造基本調査(2012年)」のデータを使い、一部SSM調査データを加えて算出。アンダークラスの貧困率は38.7%であり、正規労働者の7.0%の5倍以上だ。
(*注9)ロスジェネ(就職氷河期時代)という言葉があるように、いつ卒業して最初の就職をしたかによっても大きな差ができてしまっている。これも個人の自己責任ではなく社会的責任と考えられる。
(*注10)Jilly Cooper(1937年〜)は英国の作家。原書は1979年英国で出版。日本では1984年に渡部昇一の訳でサンケイ出版から出た。
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