山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
「安倍さんは自信たっぷりでした」。スイスのダボスで開かれた世界経済会議会議(ダボス会議)に出席した財界人は、首相の英語演説を頼もしく感じた、という。
黒縁の眼鏡で登壇した首相は、左右のプロンプター(演説草稿の文字が浮かぶ透明なボード)を見ながら、堂々と演説したという。「発音はいまいちで、外国人には聞き取りにくかったでしょうが、英語で話そうという意欲は伝わった」という。
第2次安倍政権になってから訪れた外国は78か国のべ160回、外遊日数は約300日に及ぶ。在任6年で一年近くは外国にいた計算だ。
◆外遊報道は官民挙げての大騒ぎ
新聞の動静欄で分かるように首相は多忙だ。分刻みで打ち合わせ・報告・来客があり、国会対策や政務で神経をすり減らす。
「外国にいれば、煩わしい仕事から解放される。その国との案件だけ考えればいい。役人が事前にまとめる。外国の首脳と親しそうに振る舞うことが好きな安倍さんにとって外交舞台は息抜きになっています」。身近にいた役人OBは指摘する。
政敵の眼が届かない外遊は、首相の取り巻きがゴマを擦る絶好のチャンスでもある。
外遊は、官邸スタッフ、外務省、番記者が一座を組んで主役を盛り上げる興行のようだ。随行記者は外務省や官邸が提供する情報を基に、首相の活躍を記事にする。お役所提供の情報が現地発の記事になり、新聞やテレビを賑わす。記者室の壁には「国内の報道ぶり」として各紙のコピーが掲示され、大きく載れば載るほど、官邸・外務省ばかりか随行記者の手柄になる。外遊報道は官民挙げての大騒ぎになりやすい。
私はロンドンやバンコクでの駐在時代、首相の外遊に合流することが何度かあった。「首相一座」はニッポンの官邸記者クラブをそっくりそのまま外国に移動させた異空間で、報道姿勢は内向き。現地ではベタにもならない会談を、1面で大きく伝えたりする。外国のクオリティーペーパーは、首脳会談でも意味のあるニュースがあれば伝える。当たり前のことだか、日本のメディアでは「首脳が会った」というだけでニュースになってしまう。
外遊の最終日には、随行記者だけを集めた「内政懇」と呼ばれる記者との懇談が慣例化されている。帰国後の国内政局について首相が「オフレコ」で語る。記者は「政府首脳」など名を伏せることを条件に記事にすることができる。要(かなめ)にいるのが首相秘書官だ。首相発言の振り付けや、メディア工作の元締めが政務秘書官。裏情報をエサに記者を巧みに操縦し、政権に都合のいい記事を誘導している、といわれる。外遊は権力者とメディアが、日常を離れた空間で親睦を深める場でもあり、そんな空気の中で「外交の安倍」という身内のヨイショがメディアで語られるようになった。
◆領土返還の筋書きは画餅
トランプからもプーチンからも「シンゾウ」と呼ばれ、親しさを強調する首相。しかし、トランプに「北朝鮮を信用してはいけない。圧力政策をつづけて」と訴えたが、米国は金正恩との対話を選んだ。挙げ句は「シンゾウは兵器をたくさん買ってくれる」とイージスアショアやステルス型戦闘機などを大量に押しつけられた。プーチンに「ウラジミール」と親し気に呼びかけても、ロシアは「領土問題は存在しない」との原則論を崩さない。
「外交の安倍」として首脳外交を本気でするなら、通訳を介さずに1対1で腹を割って話す度胸が必要だろう。英語が不自由でも、あらかじめ用意された文章を読むのではなく、通訳を介してでも1対1で筋書きのない対話に臨む覚悟が問われる。
首相は、プーチンに対して「1対1」で打開の道を探った。首相の判断というより北方領土交渉を仕切る今井尚哉(いまい・たかや)首相秘書官の作戦だったとされる。ロシア外務省は「主権に関わる問題だ」と強硬姿勢を崩さない。突破するにはプーチンを取り込むしかない。独裁的な力を持つプーチンが「2島を返す」と言えば、ラブロフ外相も従わざるを得まい、と判断した。
安倍は25回もプーチンと会い、精いっぱいの誠意を示し、経済協力と引き換えに歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)の2島の返還を懇願した。
官邸情報で外交交渉を書いているメディアを見ている国民は、「2島返還」への現実味を感じていただろう。ところが、モスクワで1月22日に行われた日ロ首脳会談は、日本で描かれていた領土返還の筋書きが「絵に描いたモチ」であることが明らかになった。
会談後、両首脳が行った共同記者会見で、領土問題は全く触れられなかった。「日ロ平和条約」は語られたが、その条件は「双方が受け入れられるものでなければならない」とされた。
プーチンは「日本とロシアの国民が受け入れ可能で、両国の社会に支持されるものでなくてはならない」と念を押し、「合意に向け交渉は長く険しい」と語った。
◆プーチンのペースで進んでいた?日ロ首脳会談
夏の参議院選挙を視野に、北方領土に解決の糸口が見えるのでは、という根拠なき楽観論は何だったのか。ロシアでは圧倒的多数が領土の割譲には反対している。返還された島に米軍が基地を作られては困る、というロシア側の主張に「その恐れはない」と保証する根拠を日本は持っていない。
1対1の対話で、日本から経済援助を引き出し、日ロの貿易量を1・5倍に引き上げる、という数値目標が決まった。25回の首脳会談はプーチンのペースで進んでいたようだ。
取り巻きが「外交の安倍」と囃(はや)したところで首相の力が増すわけではない。本人はその気になり自信を深めたとしても、現実は変わらない。
プーチンは国際的に孤立している。手を差し伸べれば乗って来る、と甘く見たのか。プーチンと安倍が向き合って交渉して安倍ペースで事が運ぶ、と考える人が政権の中枢にいるとしたら、この政権は危ない。
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