п»ї カンボジアから、ラオスへ進出 注目のASEAN展開―プノンペン経済特区社『カンボジア浮草日記』第3回 | ニュース屋台村

カンボジアから、ラオスへ進出 注目のASEAN展開―プノンペン経済特区社
『カンボジア浮草日記』第3回

10月 25日 2013年 経済

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木村 文(きむら・あや)

元朝日新聞バンコク特派員、マニラ支局長。2009年3月よりカンボジア・プノンペン在住。現地で発行する月刊邦字誌「プノン」編集長。

カンボジアの首都プノンペンで、今年6月から「プノン」という邦字誌を発行している。「プノン」は、約40ページだが、そのうち前半で経済情報を、後半ではタウン情報を掲載し、「ビジネスパーソンが日常持ち歩いて便利な雑誌」を目指している。

かくいう私は、新聞記者時代、経済記事が大の苦手であった。もう数字となると、バカの壁が出現して、足し算引き算のレベルでも怪しくなる。

そんな私が経済記事(と、呼べるレベルのものではないのはよく承知しているが)で生活させていただいているのは、新聞記者を辞めた当時には考えもしなかったことである。でも、それが現実。ニーズにあった商品を作らなければ売れない。食べられない。生きてはゆけない。この仕事、「ニーズ」がすべてではないことを知りつつも、フリーランスの現実と格闘する毎日である。

ただ、苦手な経済記事でも、ネタが新鮮ならばさほど手を加えずとも、おいしく食べていただける。カンボジア経済という新鮮ぴちぴちのネタは、だからいつも私を助けてくれている。フリーランスになって、新聞記事の30行や40行では書ききれないディテールのおもしろさも書き込む機会が増えた。――それで、「プノン」を始められる、と思ったのだ。

「プノン」はカンボジアの邦字誌では4番目に発行された超遅咲き。ただし、初の日本語月刊誌ということにして、自分で自分の首を絞めた。スタッフは私(編集長)と、パートタイムの日本人とカンボジア人。デザイナーはフリーランス2人に手分けしてもらっている。昼間は営業、夜は執筆のフル回転。それでも目の前に新鮮ネタがあふれ出るから、やめられないのだ。

そんな「プノン」から、この「ニュース屋台村」にときどき記事を転載させていただきたい。プノンはまだウエブサイトを持っていない。日本でも配布していない。できるだけ多くの方に読んでいただきたいと思いながら、そのツールをまだ持たない。この場をお借りして、多くの方の目に届けば幸いだ。

今回は、今年の7月号に掲載した、プノンペン経済特区社のCEO(最高経営責任者)、上松裕士さんのインタビュー。上松さんには、ラオスのサバナケットまで出向き、現場でお話を伺った。ご自身のこれまでの歩みとも重なるラオスへの事業展開は、いよいよ東南アジア諸国連合(ASEAN)がボーダーレスな時代になることを予感させた。
 
<月刊誌「プノン」2013年7月号掲載インタビュー>
ラオスに経済特区、「タイ・プラスワン」がターゲット
上松裕士さん(プノンペン経済特区社CEO)

「サバン・ジャパン経済特別区」に立つ上松裕士さん=写真はすべてラオス・サバナケットで、筆者撮影

 
――プノンペン経済特区社(PPSEZ)はラオスに進出し、新たな経済特区を開発しています。どんな経済特区ができるのでしょう。
上松 ラオス南部のサバナケット県に建設され、名称は「サバン・ジャパン経済特別区」といいます。ラオス政府が2003年に開発を始めた「サバン・セノ経済特区」954ヘクタールのうち、まずサイトBの20ヘクタール、12区画で着工します。将来的にはさらに200ヘクタールを加え、合計220ヘクタールになる計画です。
 
出資比率は、プノンペン経済特区社が20%、ラオスの「ナンターロード・コンストラクション社」が50%、ラオスの政府機関である「サバン・セノ経済特区委員会(SESA)」が30%となっています。すでに日系の大手カメラメーカー「ニコン」が進出を決め、工場を建設中です。
 
――なぜラオスに進出したのでしょうか。
上松 誘致のターゲットは主にタイの日系企業で、製造拠点をタイ以外に分散する「タイ・プラスワン」の進出先にしたいと考えています。
タイは安定した経済成長で「中進国」となり、外資進出に対する優遇措置に見直しの動きが出ています。たとえば付加価値の小さい製造業などはタイへの進出やタイ国内での拡大が厳しくなるでしょう。
 
タイの最低賃金が、今年1月に全国一律一日300バーツに引き上げられたことも、進出企業の財政を圧迫しています。さらに2年前の大洪水の経験から、タイへの一極集中を見直し、分散投資をする企業も出ています。
 
こうした昨今のタイの現状から、「プラスワン」の進出先として相対的に浮上したのが、ラオスです。
 
経済特区のあるラオス・サバナケット県は、メコン川を境にタイ北部のムクダハンと接しています。メコン川には日本の援助で建設した橋がかかっており、輸出拠点であるタイのレムチャバン港などへも陸路で輸送が可能です。
 
また、タイと国境を接するメコン川沿岸では、ラオスでもタイ語が通じます。タイの工場で育てた人材をそのままラオスの工場で活用できることも大きな強みです。場合によっては、より発展しているタイのムクダハンで暮らしながら、サバナケットへ通うことも可能です。
 
――「タイ・プラスワン」は、カンボジアではないのですか。
上松 PPSEZでさまざまな企業の誘致に携わってきましたが、カンボジア進出を考えるうえでネックになるのは常に電力コストでした。東南アジア諸国でも最も高いとされる電気代に加え、電力不足が深刻化しています。PPSEZの場合は、電力公社のご厚意と経営努力の結果、乾季の電力不足の時期でもほとんど停電のない状態を維持していますが、電気代を下げることはいまだ実現できていません。
 
そのような状況で、電気代が、カンボジアの3分の1ほどのラオスに関心を寄せる企業が少なからずありました。進出のニーズは高い、しかしプノンペンでそれを取り込めない。それならばラオスで取り込もう、というのが私たちの狙いです。つまり労働集約型の製造業はプノンペンで、電力を使う製造業はラオスへ、という相互補完ができれば、と考えたのです。

「サバン・ジャパン経済特別区」の入り口にあるワンストップサービスの建物

 
――ラオスの投資環境はカンボジアに比べていいのでしょうか。
上松 ラオスの経済特区内の優遇措置は、カンボジアよりも充実しています。たとえば法人税は、カンボジアの場合、「操業開始から9年」を上限に免除されますが、ラオスの場合は「利益が出てから10年間」。その後も一般の法人税率24%よりも大幅に低い8%が保証されます。また、ラオスの一般的な個人所得税率が累進課税で最大25%ですが、経済特区内では一律5%です。建設資材や原材料などの輸入税、付加価値税も免除されるなど、多くの特典があります。
 
また、先ほどの電力に関していえば、変電所から特区までは電力公社の負担で電気が引き込まれます。電気料金が1キロワット時間当たり7セントで、カンボジアの約3分の1であることも合わせ、鋳造、プラスチック、金型、自動車部品など電力を消費する産業には魅力的だと思います。
 
――それならばすぐにでも進出ブームが起きそうですが。
上松 確かに、私たちが進出したサバン・セノ経済特区は2003年に開発が始まって以来、ずっと閑古鳥が鳴いていました。2008年にはマレーシア資本でサイトCに「サバン・パーク」という経済特区が建設され、トヨタ紡織、フランスの大手レンズメーカー・エシロールなどが進出しましたが、「ブーム」と呼べるほど進出が相次いだわけではありません。
 
大きな理由のひとつは、労働力が確保できるか、という点でしょう。ラオスの新規就労人口は2010年で約78,000人ですが、2020年には10万人にまで増える見込みです。ただ、労働人口は他国に比べて豊富とまでは言えず、カンボジア以上に、雇用確保への取り組みが必要になるだろうと思います。
 
ここで生きるのが、カンボジアでの経験です。試行錯誤した労働力確保の取り組みがラオスでも活用できます。私たちの「サバン・ジャパン経済特区」では、「金の卵」たちがいる村への説明行脚やラジオコマーシャルに加え、村の長老たちをバスツアーで経済特区に招待し、若者たちの勤務地としての信頼を得るプログラムも計画しています。
 
経済特区の仕事は、ただ場所を提供するだけでなく、雇用対策などアフターケアーも含むと考えています。
 
また、サバン・セノ経済特区委員会のボアカム委員長は、1970年代に日本へ国費留学した親日家です。日本語をほぼ完璧に話しますし、日本人や日系企業のことをよく知る人です。これも日系企業誘致には強みとなるでしょう。

日本留学の経験を持つサバン・セノ経済特区委員会のボアカム委員長。上松さんの実績と経験に期待を寄せる

 
――カンボジアでの経験を生かしたチャレンジですね。勝算ありですか。
上松 カンボジアでPPSEZができたのが2006年でした。そのころカンボジアに日系企業の進出ブームが起きるなど、だれも思っていませんでした。「カンボジアに日本の製造業が来るわけがない。モノが素通りするだけだよ」と言われ、「今に見ていろ」という思いで誘致に取り組んできました。その反骨心で今まで実績を積み上げることができました。何か新しいことを実現するためには、こうした気概が必要不可欠です。
 
カンボジアの経験から、成功モデルを作ることが重要だと考えています。まずは日系企業を10社程度誘致してラオス進出の実績を示していこうと思います。
 
話はそれますが、私は大学卒業後、決められたレールに乗って人生を送ることに耐えられず、フィリピンに留学した経験があります。そこで山岳州の社会開発問題の研究を通して、山岳少数民族の暮らしぶりに出合いました。今まで自分が歩んできた生き方とは根本的に異なる生き方があることに衝撃を受け、自分とは違う価値観を積極的に受け入れていく生き方をしたいと思うようになりました。
 
その思いが、東南アジアで働くことの根底にあります。価値観を押し付けても持続可能な変化は起きない。ラオスでの経済特区開発も、これまでの村の人々の暮らしにはないものを持ち込むことになります。けれど近代化の中で工業化は避けられない道。ならば、互いに歩み寄る努力をしながら、開発をしていきたいと思うのです。
 
サバナケットは緑豊かな場所です。「森と共生する経済特区」をつくるのが私の構想です。森に囲まれた、自然と共存する工業団地。若い人材が田舎から出稼ぎに出てきても、いわゆる「根こぎ」状態にならないような集落も経済特区につくるなどして、ラオスの人々の価値観にのっとった開発をしていくことを志しています。

経済特区に送電する変電所。特区までの電線を引くのは、ラオス電力公社がコストを負担する

 
上松 裕士さん
1967年2月24日生まれ。岐阜県出身。1994年シミズフィリピン社(清水建設フィリピン法人)入社、工業団地での日系工場建設に事務職として従事。2000年飛騨高山の木工会社オークヴィレッジに転職、主として企画営業を担当。同社時代、スポーツ用品メーカー、ミズノとのコラボで、バットの不適格材を活用した高校球児のおまもりを大ヒットさせた。

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