山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
ウイルスのありかたに思いを巡(めぐ)らせていると、「生きもの」は場所を触覚で理解するのだと気がついた。身体のことを考えるまでもなく、自分とは自分のいる場所であって、その場所は他者とは共有できない。「生きもの」の個体差とは、自分のいる場所を表現することであり、集団としての個体差が多様性となる。『「生きものらしさ」をもとめて』(藤原書店、2017年)は、生物物理学の観点から個体差を追究した大沢文夫先生の最後のメッセージとなってしまった。大沢先生は、湯川秀樹先生の生物機械論的なコメントに違和感を感じながら、南部陽一郎先生の質問に答えるために生物の「ソフト」について論じている。筆者にとって残念なのは、ウイルスの「生きものらしさ」に言及していないこと。
場所を表現した作家、英国のリチャード・ロングの作品を、1996年の世田谷美術館(東京都世田谷区)での『山行水行展』から引用した。スコットランドを10日かけて歩いた作品だ。日本を歩いた作品も記憶に残っている。歩くということは視覚だけではなく、石に触れる、土に触れる触覚を表現しているのだということに気がついた。触覚・味覚・臭覚は近接的な感覚で、分子認識による場所理解といえる。視覚や聴覚のような、幾何学的な空間認識とは異なり、むしろ医薬品の分子認識に近い世界かもしれない。その場所ではN=1の統計力学が、もしくは順序だけの統計力学が必要とされているような気がする。近接グラフの確率力学であれば可能かもしれない。
WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は何か気になることを、気の向くままに、写真と文章にしてみます。それは事件ではなく、生活することを、ささやかなニュースにする試み。
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