山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
前回(第22回)の1/8計画(その2)は、データ論の中心的テーマにつながった。すなわち、データの価値基準はIntegrityだけで十分であること、データの論理的な意味を理解するためには、弁証法のような中途半端な意味づけに頼らず、根本的に考え直す必要があり、データの価値と意味の接点はランダムネスにあるという理解だ。機械文明から移行するデータ文明において過剰な人間性を排除すれば、人口や欲望が1/8の社会であっても、独立性や多様性という意味で、高度な発展を継続しうる折り畳まれた世界が構想できるのではないかという問題設定だった。
生物としての人類の社会性は、アリなどの社会的動物とは比べ物にならない低次元なものだ。しかし、生産技術を追求した機械文明は、AI(人工知能)技術によりサービス業も機械化してしまった。巨大で高度な技術の継続的な発展を望むのであれば、技術を使った経済活動を個人的な競争に委(ゆだ)ねるのではなく、何らかの社会的な計画性が必要になるだろう。データ技術が先導する計画経済は、生産ではなく消費の計画性を問うことになるだろう。
消費活動を経済学的に数理的に理解するためには、個人レベルでの消費活動よりもミクロな世界、生活そのもののコード化が必要になる。データ経済はすでに生活をコード化し始めている。人体を縮小する円谷英二監督の1/8計画は、消費経済の1/8計画として実現されるかもしれない。
経済学は価値を相手にしてきた。しかし、価値を消費することはできない。無意味なものも消費することはできない。生存にとって何らかの意味のあるものを消費する。場合によっては、フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールが言うように、記号や芸術作品ですら消費の対象となるかもしれない。そもそも無意味な生活が、市場価値を与えられ、消費の対象となる。ネガティブに考える必要はない。患者の生活データによって、医学が根底から変革され、多くの病気や感染症と、上手に付き合って行けるようになるかもしれない。基本的データ権の概念が明確になれば、ベーシックインカムの議論を正当化するかもしれない。
近未来の社会がネガティブなものとなるか、ポジティブなものとなるのかは、数学的想像力に依存している。対数関数の解析接続のイメージを『xのx乗のはなし』(土基善文、日本評論社、2002年)から引用した。実数の世界では、対数関数は正値でしか定義できない。しかし複素数の世界では、不連続なギャップがあるけれども、立派に発展している。経済学は金利計算やケインズ流の経済政策として、指数関数を利用している。消費1/8計画経済では複素数化した対数関数が活躍するかもしれない。
WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は、何か気になることを、気の向くままに、イメージと文章にしてみます。
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