山口行治(やまぐち・ゆきはる)
株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
前回(第23回)の1/8計画(その3)は、複素対数関数の数学的想像力で計画消費経済としての1/8計画に迫ってみた。1/8計画の始まりは、第21回の「人口は指数関数的に増える、または減少する、という機械文明的な計算から脱却しよう。ウイルスを含めて、生物の個体数は対数関数的に折り畳まれると考えたい」という意味不明の一節だった。そもそも「対数関数的に折り畳む」という表現に無理がある。もう少し具体的なイメージでは、単純に日本の人口が1/8になるのではなく、ある時点で複数の選択肢があって、人口は周期的(またはランダムに)変動するけれども、その選択肢の全てが実現されると考えるというイメージだろう。
人口が分岐するのは国家が分割されれば分かりやすい。人種としてのホモサピエンスが進化論的に分岐するかもしれないし、AI(人工知能)ロボットが納税人口として追加されるかもしれない。いずれにしても、人口が周期変動するイメージを得るためには、何らかの因子が複素数のように位相を作って「複素数化した人口が廻(まわ)っている」場合だろう。現実的には、政治的な介入で、移民政策がとられ、日本も単一民族国家ではなくなる可能性が強い。もしくは移民特区も選択肢の一つかもしれない。
事象をデータ化することと、数値化することは区別されるべきだけれども、数値化するときに、複素数や高階のテンソルとして数値化される場合も含むのであれば、データ化と数値化のイメージは近くなる。データ化するときに、コード化され、コードの辞書が作成されるのであれば、データも一種の言語のように取り扱うことが出来る。しかし、データの言語は、文としての意味空間があらかじめ定義されている必要があるので(少なくともデータベースを作成できる程度には)、文の真理値が計算可能な論理式のイメージのほうが近い。データの世界では「複素数化した人口が廻る」こともありうる。データに基づいて判断するということは、必然的にランダムネスを受け入れることになり、人間的な意味では理解不能な世界も含めて受け入れていることを自覚する必要がある。
人間的な意味では理解不能な世界として、ウイルスの世界を想定して、AI技術でウイルスの世界を暗号解読することを試みたい。1/8計画にウイルスが関係するのは、もしくは「対数関数的に折り畳む」という意味不明な文章であっても「意味」があると思われるのは、データの世界を冒険する勇気だけではなく、データを人びとの生活に役立てるための「エチカ」が不可欠で、スピノザのエチカよりももっと意味不明に思われるからだ。
WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は、何か気になることを、気の向くままに、イメージと文章にしてみます。
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