小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住22年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
科学の進歩によって我々人間が理解出来ることも増えてきた。特に人体の仕組みについての理解は日進月歩で進化しているようである。顕微鏡の進化により精密に人間の内部が観察出来るようになり、コンピューターの進化で人間の遺伝情報をつかさどるDNA(デオキシリボ核酸)の構造がほぼ解明された。この他にも地質学や遺跡の解析から生物の進化の過程が少しずつ分かってきており、この面からも人間の特徴が明らかになってきている。今回は、科学の進歩によってわかってきた男女の違いと、それに起因する行動原理などについて考えてみたい。
◆異文化に接して初めて気づく
そもそも学生時代の私は男女の違いを認めていなかった。幼少より慣れ親しんできたキリスト教の「神のもとでは人類みな平等」の影響なのか、それとも私の学生時代に活発化していた学生運動のせいなのであろうか? とにかく「人類は民族・国家・性別の違いを超えて皆同一であるべきだ」という固定観念に凝り固まっていた。大学では経済学と哲学を好んで勉強したが、論理展開だけで普遍的な価値を見いだそうとするこれらの社会科学は私の性分にあっていたようである。
ところがこうした固定観念が変わったのが1回目の米国赴任である。英語の出来ない私は、劣等感にさいなまれながらも米国人の中に放り出された。彼らは肌の色や言語だけでなく、考え方や行動様式も我々日本人と違うようである。異文化に接して初めて自分が他者と違うことに気づかされる。
さらに米国人は珍しい日本人に対して「日本とは何か?日本人とは何か?」と直接聞いてくる。自分を他者と比較して理解することをしたことがなかった私は大変面食らった。多民族国家である米国では当たり前の「比較文化学」「比較人類学」「比較言語学」などに初めて接したのである。
このとき以来、私は30年超の海外生活を送ることとなるが、自分の存在を他者と比較する習慣が身についたのは私にとって最大の収穫であった。ネスレのコーヒー製品の宣伝コピーではないが「違いのわかる男」である。ところが、男女の違いについてはさしたる注意を払ってこなかった。日常的に関わりあう女性は妻と娘の家族のみであり、仕事に明け暮れてきた私は家族をあまり顧みていなかった。
たとえその時間があったとしても、私は私なりのやり方をしてきてしまった。言い訳を言えば、頑固さとナイーブに状況判断が出来ない私の性格が災いしたようである。最近NHKスペシャルで取り上げられる人体の神秘などのテレビ番組を見たり、また中野信子氏、黒川伊保子氏など脳科学・心理学関連の著作を読んだりして、男女間の違いが少し見えてきた。
◆脳梁の大きさに男女差
そもそも男女の最も大きな違いは「子供を生み育てるか、生まないか」である。「そんなわかりきったことを何をいまさら!」と思われるかも知れないが、「この子供を生み育てる」という行動が、長い人間の歴史の中で脳内の構造やホルモン分泌などを通して男女の違いを形成していった。
まず女性が子供を守るための行動を見てみよう。女性の脳は男性のそれと異なる構造をしている。人間の脳内には脳梁(のうりょう)と呼ばれる左右の大脳半球をつなぐ交連線維の太い束がある。約2億から3億5千万の神経線維で出来ているが、この脳梁の大きさが女性の方が男性より20%程度大きいとする研究がある。
右脳はよく知られているように音楽的感覚などの感情をつかさどり、左脳は言語・計算・論理などをつかさどる。女性は左脳と右脳の連携がよいがために感情をそのまま記憶出来るという。そのため女性は過去に自分が経験した「嫌な事柄」や「つらかった経験」を当時の感情のまま思い出すことが出来るというのである。
子供を守るためには異なるリスクに敏感である必要があり、このために感情をそのままに記憶ができる仕組みになった。男女のいさかいで女性が感情的に過去の怒りを爆発させるのは、この脳内の仕組みに起因している。もっとも、近年の事象研究では「男女内の脳の大きさや脳梁の大きさに差異がない」という発表もなされている。
私は脳医学者ではないので、どちらが正しいかわからない。進歩する科学技術はいくつもの異なる研究成果を提供するため、その真偽を判断することはきわめて困難である。しかし脳梁の大きさ以外にも男女内の違いを説明しうるものとして、神経伝達物質の働きがある。
◆神経伝達物質にも男女差
人間には37兆個の細胞があり、このうち1兆個が毎日作られるという。この細胞数にも諸説あるため注意が必要である。この37兆個の細胞のうち1千億個以上の神経細胞が脳内にあるといわれている。この神経細胞の一つ一つに1万個の「シナプス」と呼ばれる突起物があり、この突起物を経由して神経細胞間で情報伝達を行っている。この情報伝達をつかさどるものが神経伝達物質であり、ホルモンもその一種である。これまでのところ100種類程度の神経伝達物質が見つかっているようであるが、まだ研究は発展途上の段階であり、今後更に増えていくことであろう。
こうした神経伝達物質の中で男女内の違いが表れてくるものがいくつかある。まずセロトニンである。セロトニンは「やる気」や「安心感」をつかさどるものであるが、このセロトニンを脳内に受け入れるセロトニン・トランスポーターが女性は男性よりも少ない。このため女性は男性と比して「不安を感じやすい体質」となる。
人間の歴史の中で、子供を守るためのリスク感応性は必要な要素であった。皿洗いや部屋の掃除などでも女性は男性よりも丁寧に行い、小さな汚れやゴミにも気づきそれを除去しようとする。リスクに敏感な女性だからこそ、その行動の違いとなって表れてくる。
一方で、男性は外敵から家族を守ったり獲物を狙ったりする狩猟時代の習慣が身についている。そのため、遠方のものを認識する能力に長けている。男性のほうが女性より地理感がいいのはこうした理由からだと思われる。ちなみに日本人総体としてもセロトシン・トランスポーターは他民族対比少なく、リスクを取りたがらない日本人の特徴を構成しているようである。
一方で、セロトシンの受容量が少ないと、ストレスホルモンであるノルアドレナリンが多く分泌され、脳は報酬系ホルモンへの依存を強くする。この報酬系ホルモンの代表格が食欲・性欲・金銭欲・社会的認知を求めるドーパミンである。女性がおしゃべりを好んだりSNS上で「いいね」を求めたりする行動に多く出るのは、不安解消行動としてドーパミンによる社会的認知欲求を求めているからである。
男性は女性ほどおしゃべりを好まない。むしろ男性は家族を守るため外敵と戦わなければならない。外敵の存在を認知するためには静寂が求められる。男性が女性のおしゃべりをやかましいと感じるのは、種の保存のためである。ところが「おしゃべり好きの女性」と「沈黙好きのやり男性」は日常生活において互いをわかりあえず、いさかいを起こすのである。これも男女の行動様式の違いを構成するものとなる。
愛情ホルモンであるオキシトシンも男女の違いを生み出している可能性が高い。オキシトシンは性行為や肌の接触によって分泌され、信頼性や絆(きずな)を深める効果がある。生まれてすぐから母乳を通して親子間の絆を強めている母親に対して、父親は子供との愛情合戦で勝てるはずがない。子供に対する母親の愛情の深さは男性にとって未知の世界である。
また、狩猟時代の人類は集団での移動生活を行っていた。当時の子育ては集団中の女性全員で行っていたようであり、女性の間で母乳の融通をしていたようである。こうした母乳の融通を通してオキシトシン効果による集団の結束が生まれ、女性同士が感情を共有する習慣が出来たと思われる。これも女性のおしゃべり好きを誘引する。
一方、オキシトシンは外部の者に対して「攻撃性」を発揮することがある。仲間はずれ行動である。子育て中に妻が夫を嫌うケースも良く耳にする。オキシトシンの働きの可能性が高い。この時に夫が妻との距離を無理に縮めようとすると、夫婦の絆に亀裂が走る可能性がある。
◆人口減少の背景に未婚化と晩婚化
次に脳の発達からわかることを考えてみよう。脳内では食欲・性欲や安全欲を求めるドーパミンなど報酬系神経伝達物質が3歳までに、感情、言葉、コミュニケーションなどをつかさどる側頭葉が16歳までに出来上がる。更に意志、判断、感情抑制、組織従属などを理解する前頭葉が20歳までに出来上がる。思春期と呼ばれる時期はそもそも感情抑制や判断を行うべき前頭葉が出来上がっていない時期である。
一方、性欲に関係するドーパミンの分泌は20歳前半がピークで、以降10年ごとに10%ずつ減少するという。即ち男女が恋に落ちる可能性は20代が一番高く10代であれば理性が働かない盲目の恋に落ちる可能性が高いのである。
さらに人間は種の保存のため、フェロモンの働きを通じて自分と異なるタイプの異性を求める。思春期に娘が父親を、息子が母親を毛嫌いするのは、自分に近いフェロモンを発散する異性を遠ざけようとする人間の習性なのである。この時期に無理やり子供との距離を近づけようとすると、一生嫌われるのが落ちである。
ところで、脳の発達になぜ時間的な差異があるのだろうか? これは人間の進化の過程で「種の保存」のために組み込まれたプログラムである可能性がある。「20代までは相手を見つけ、出産リスクを無視して子供を生む」ことは長いあいだ自然の摂理であった。
しかし近年、先進国において人口減少と高齢化が顕著である。出生率という言葉で語られることが多いため、夫婦で生む子供の数が減少したような錯覚に陥るが「夫婦完結出生児数」は過去30年2人であまり変化していない。
人口減少社会の問題は未婚化にある。この未婚化の理由として社会的には「貧困化」が語られることが多い。私もこれを否定する気はない。しかし「晩婚化」もその大きな原因ではないだろうか。1980年から2010年にかけて男性の平均初婚年数は27.8歳から30.5歳へと、3年近く遅くなった。その分結婚や子供を作る要素となるドーパミンの分泌が減少している。人間の脳の仕組みからは「晩婚化が人類の危機を生み出す危険性を孕(はら)んでいる」とも言えるのである。
私はもともと自然科学は不得手であり、ほんの少し理解するだけでもかなり骨が折れる。しかし、自然科学がわかれば我々の人体の仕組みや行動原理がわかり、実生活で役立つものも多い。私が学生時代に習った自然科学理論は、かなりの部分で塗り替えられている。科学の進歩はそれほど日進月歩である。科学の進歩に追いつくのは容易なことではない。この年になっても世界はわからないことだらけである。
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