п»ї 経済 | ニュース屋台村
1 80 81 82 83 84 90

コンサルタントに丸投げする会社に将来はない
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第23回

6月 20日 2014年 経済

LINEで送る
Pocket

小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住16年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

『申し訳ない。御社をつぶしたのは私です』。こんなショッキングな題名の本が発刊された。現役の経営コンサルタントのカレン・フェラン氏が著した本(2014年3月初版、大和書房)である。元々、欧米系の経営コンサルタントのやり方に大きな疑念を持っていた私は、日本に出張した時にこの本を見つけ、半日で読み終えてしまった。

米国ではそもそも転職が頻繁に行われ、従業員の定着率が悪いため、社内給与モデルなどない。コンピュータープログラマーや経理職など職務によって給与水準は、市場の需給関係で決定される。また転職が激しいため、社内の人材開発など行われていない。
記事全文>>

One response so far

カネパッケージ(タイランド)
日系企業紹介『おじゃまします』第13回

6月 20日 2014年 経済

LINEで送る
Pocket

バンコク週報

1976年10月創刊のタイで発行する日本語新聞。在タイビジネスマンに向けてタイの政治・経済・社会ニュースから人物紹介まで多彩なコンテンツを提供している。

日本、タイ、フィリピン、ベトナム、インドネシアで事業を展開する梱包材・緩衝材の設計製造メーカー「カネパッケージ」(埼玉県入間市)がタイに進出したのは2006年のことだ。当初は他国と同様、タイでも梱包材・緩衝材を製造販売していた。しかし、入居していたアユタヤ県の工業団地が11年の大洪水で水没。印刷機や製函機など生産設備をすべて失ってしまった。

保険で被災した設備を入れ替えるとの選択肢はあったが、いったん他社に渡った商権を再び取り戻すことができるという保証はない。そのためビジネス形態の大転換を余儀なくされた。
記事全文>>

コメント

「吉田調書」とメディア
『山田厚史の地球は丸くない』第23回

6月 13日 2014年 経済

LINEで送る
Pocket

山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

「朝日新聞の『吉田調書』スクープは従軍慰安婦虚報と同じ」という記事が週刊ポストに載った。福島第一原発の故・吉田昌郎(よしだ・まさお)所長が政府の事故調査委員会の聴取に応じた陳述書、いわゆる「吉田調書」に関する記事が、意図的に事実をゆがめるもので吉田所長はじめ現場で奮闘した人々を貶(おとし)める「ウソ」を全世界に拡散するものだ、という主張である。

◆事実を公表することこそ事故の教訓だ

2号機が爆発した2011年3月15日早朝、福島第一原発にいた従業員の約9割が、所長の命令とは異なる福島第二原発に避難した。
記事全文>>

コメント

拝啓、松山英樹様
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第22回

6月 06日 2014年 経済

LINEで送る
Pocket

小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住16年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

拝啓 松山 英樹様。米国男子ゴルフツアーのメモリアル・トーナメントでの優勝、おめでとうございます。心からお慶び申し上げます。

最初に申し上げておきますが、私自身はそれほどのゴルフファンではありません。アメリカ、タイとゴルフの環境に恵まれた土地に都合 26年も住んでいながら、ゴルフは大して上達しませんでした。上達もしないからゴルフに打ち込むわけでもなく、この 10年はタイに住んでいながら月イチゴルファー(月に1回)に甘んじています。
記事全文>>

コメント

カジノで「お・も・て・な・し」
『山田厚史の地球は丸くない』第22回

5月 30日 2014年 経済

LINEで送る
Pocket

山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

安倍首相はアジア安全保障会議に参加するため30日、シンガポールに発った。会議後、米ラスベガスのサンズ社が経営するカジノ施設「マリーナベイサンズ」を視察する予定だ。経済・金融情報を配信する米ブルンバーグは29日、サンズのアディルソン会長が「安倍首相にカジノ解禁をお願いする」と語ったことを伝えた。

安倍首相は超党派の国会議員による「国際複合型観光施設(IR)推進議員連盟」(通称カジノ議連)の最高顧問を務めており、首相の視察を機に、水面下で進んでいた「カジノ解禁」がいよいよ表面化する。
記事全文>>

コメント

改善は時には革命的成果をもたらす
『ものづくり一徹本舗』第16回

5月 30日 2014年 経済

LINEで送る
Pocket

迎洋一郎(むかえ・よういちろう)

1941年生まれ、60年豊田合成入社。95年豊田合成タイランド社長。2000年一栄工業社長。現在中国、タイで工場コンサルタントを務める。自称「ものづくり研究家」。

前回、リンゴの木のイラストで誇りのもてる工場づくりを紹介したがその中で、原価の枝に注射器でカンフル剤を注入している絵を示し、「改善効果が遅い、少ないときには特命業務として専任者または、プロジクトチームを作り対応することが肝要である」旨を説明した。今回は、その成功事例について述べてみたい。

◆新たな技術開発へ特命業務

新しく赴任した工場は前にも述べたように、社内で最も操業の歴史が浅いため、ものづくりの技術も弱く加工技能も劣っていた。そのためムダ、ムリ、ムラも多く長い間慢性的赤字体質から脱出できないでいた。しかし私の赴任後、工場の役割とやるべき仕事の方向を明確にすることで全職場の改善が進み、改善提案件数も年間数千件と活性化した。
記事全文>>

コメント

アベノミクス効果と課題―日本の地方経済探訪
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第21回

5月 23日 2014年 経済

LINEで送る
Pocket

小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住16年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

4月10日から始まった1カ月超の日本出張を終え、先週15日にタイに戻ってきた。バンコック銀行の提携銀行とそのお客様の訪問がこの出張の目的であり、今回も北は仙台、南は広島、徳島など全国各地を訪問してまわった。

銀行員は大変恵まれた商売であり、タダでお客様から色々なことを教えていただける。銀行員生活38年でこれまで600社ほどの工場を見学させていただいたが、今回もまた10社ほど工場を見せていただいてきた。こうした1カ月超にわたる日本出張は2005年以来、年2回必ず行ってきているが、何よりも自分の眼や耳が確認する生の経済情報は、私にとって貴重な情報となっている。
記事全文>>

コメント

トーケン(タイランド)
日系企業紹介『おじゃまします』第12回

5月 23日 2014年 経済

LINEで送る
Pocket

バンコク週報

1976年10月創刊のタイで発行する日本語新聞。在タイビジネスマンに向けてタイの政治・経済・社会ニュースから人物紹介まで多彩なコンテンツを提供している。

◆高所作業車のレンタル トラック式の強み生かす

高所作業車などをレンタルするトーケンリースサービス(大阪府東大阪市)は2013年7月、初の海外進出先としてタイ法人トーケン(タイランド)を設立した。建設現場などの高所で作業を行うための特殊車両のレンタル事業を同年11月に開始。保有する5台の高所作業車は現在、バンコクや東部の工業団地内などで活躍している。

権藤拓也マネージングディレクター(MD)によると、同社の高所作業車はタイで主流の自走式(作業現場内で走行のみ)ではなく、トラック搭載式(公道を走行でき、現場から現場への移動が可能)で、作業高さは最大17~29㍍を誇る。
記事全文>>

コメント

軽自動車市場は「ガラパゴス」か?
『山田厚史の地球は丸くない』第21回

5月 16日 2014年 経済

LINEで送る
Pocket

山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行の3行が経営統合して「みずほグループ」が誕生した時、「コメ銀行脱却できるか」という見出しの記事を書いた。護送船団行政という閉鎖市場で育った銀行は、政府の保護で成り立つコメと似ている、規模が大きくなればグローバルな競争に勝てると思ったら甘い、という趣旨の記事だった。

銀行は「失礼な」と大変なお怒りだったが、その後の展開を見ると、「みずほ」はやはりコメだった。
記事全文>>

コメント

人、地域、地球にやさしい、誇りの持てる工場とは
『ものづくり一徹本舗』第15回

5月 16日 2014年 経済

LINEで送る
Pocket

迎洋一郎(むかえ・よういちろう)

1941年生まれ、60年豊田合成入社。95年豊田合成タイランド社長。2000年一栄工業社長。現在中国、タイで工場コンサルタントを務める。自称「ものづくり研究家」。

◆工場のスタッフ全員で育てる「リンゴの木」

前回の「心を一つにして正々堂々の道を行く」では、私が工場長として着任した尾西工場(愛知県一宮市)での取り組みの概略を説明した。今回はそれをさらに具体的に詳しく説明したい。

 一つの工場となると、数百、数千人規模の従業員で構成される。私が1989年1月に赴任した工場も当初は650人程度だったが、あっという間に千人を超す規模にふくれあがった。工場トップとしてやりたいことはいっぱいあるが、実行に移してくれるのは第一線のオペレーターを筆頭に監督者、管理者、現場を支える工場スタッフである。この時の様子は、前回述べさせていただいた通りである。
記事全文>>

コメント

1 80 81 82 83 84 90