古川弘介(ふるかわ・こうすけ)
海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。◆はじめに
中国共産党は今年11月の中央委員会第6回全体会議(6中全会)において「歴史決議」を採択し、日本経済新聞は一面トップで「社会主義回帰、資本主義と再び対峙」と見出しをつけた。米中対立は、資本主義対社会主義の対立の構図という理解は正しいのだろうか。
前稿では国際政治学者・佐橋亨(東京大学准教授)の『米中対立』を読んだ。佐橋は――米中対立は相互不信が根底にあるため長期化する――と見る。この見解に納得しつつも、対立の背景にグローバル資本主義を重ねることによって、事象をより構造的に理解できるのではないかと考えた。すなわち――米ソ冷戦の終焉(しゅうえん)を資本主義と民主主義の勝利だと信じた米国は、それを世界に拡大するためにグローバル化を牽引(けんいん)し、巨大市場を持つ中国をW T O(世界貿易機関)に招き入れた。中国は、グローバル資本主義への参加によって経済力を飛躍的に高めることで富国だけでなく強兵も実現した。米国は、中国が経済発展に伴い民主化を進めて米国が主導するリベラルな国際秩序に従うことを期待したが、それは裏切られた。不信感を強めた米国は、中国の軍事的伸張に危機感を募らせて対中強硬策に転じ、それに中国が反発して相互不信に陥り、対立が激化した――。
しかしながら、この理解は「中国とは何か」という考察が十分ではないことに留意しなければならないと考えている。そこで今回は、中国への視点を持った本として米国の経済学者ブランコミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』を取り上げたい。
ミラノヴィッチは、経済・社会の超長期的な傾向から仮説を立てそれをデータに基づいて論証するスタイルで知られ、本書にもその特徴が表れている。第1に、中国の近年の急速な台頭も、数世紀単位の歴史でみればアジアの復権(中国にとってはようやく元に戻っただけ)であると読み解く。第2に、社会主義の歴史的位置づけを、封建体制を打破して近代化(資本主義+国民国家)するための過程であったと捉える。これは一般的な歴史理解に反するものであるが、説得力に富んでいて興味深い。第3に、グローバル資本主義の形成とそれへの中国の参加が、第1と第2の特徴を加速化させたというのである。こうした理解から導かれる中国像は、単なる専制主義的国家ではなく、欧米とは異なるとはいえ紛れもなく資本主義システムが機能する近代国家である。
ミラノヴィッチは、現在の中国のシステムを「政治的資本主義」と名づける。政治的資本主義は有能な官僚集団によって迅速な政策決定・実行が可能で、効率性において米国型システムに優る。ただし、大きな矛盾を内包する。一方、そうした中国と対峙(たいじ)する米国の資本主義システム――本書では「リベラル能力資本主義」と呼ぶ――も中国と同様に強みと構造的問題を併せ持っているとする。二つの資本主義はグローバル化によって繋(つな)がっており、両システムはグローバル資本主義が育てたといえるだろう。そうした視点から見れば、米中対立は、グローバル資本主義の覇権を巡る争いなのだということに気づく。本稿では、ユニークな社会主義の歴史的意義づけに焦点を当てつつ、中国の資本主義システムとは何かについて考えていきたい。
◆中国は資本主義なのか
中国は市場経済への移行と外国資本の導入によって経済の高成長を成し遂げ、米国に次ぐ世界第2位の経済大国となったが、それは歴史上最もめざましい経済発展の一つであったと言えるだろう。中国がどのように成功を収めたのかについては、ちょうど11月19日付の「ニュース屋台村」で小澤仁氏が『日本の衰退30年―その間に中国は何をしてきたのか?』(*注1)で、分かりやすく解説してくれている。そこに書かれているように、中国の成功は過去30年間の政策の方向性が的確であったことは間違いないだろう。
中国に成功をもたらした要因はいくつか考えられるが、ミラノヴィッチはその中で優秀な官僚集団の存在を重要視している。そこに中国の政治的資本主義の特徴が凝縮されていると考えるのである。
●資本主義を定義すると
前述の「6中全会」のコミュニケ(公報)には「特色ある社会主義建設」や「21世紀のマルクス主義」という言葉が並んでおり、中国は自国を社会主義と呼んでいる。しかし本書では、中国は資本主義だという。その理由を見ていこう。
ミラノヴィッチは資本主義を、社会主義との違いを意識しつつ次のように定義する。すなわち——①社会で生産の大半が民間所有の生産手段(資本、土地)を用いて行われ、②労働者の大半が賃金労働者であり、③生産や価格設定についての決断の大半が分散化された形でなされている(中央集権的に決めるのではない)経済システム——。なお、経済を資本主義と捉える理解の仕方は、マルクスに始まる。マルクスは19世紀の英国を研究して、資本の論理が経済を動かしていく様を「資本」主義だと表現したのである。当時の自由放任の古典的資本主義から経済は大きく変化したが、それでも資本主義という言葉が使われ続けている理由は、資本によって人間が動かされるシステムだという本質は変わっていないからだろう。
さて中国がこの定義に照らして資本主義であると言える理由を本書で確認しておきたい。まず「①民間部門が主体」であるという条件については、かつては100%であった国営企業のシェアは、現在は20%強にすぎないとしており、条件を満たしているといって良いだろう。次に「②労働者」については、統計資料を使って大部分が民間部門に雇用される賃金労働者だと示す。また「③分散化生産と価格決定」に関しては、かつては国が決定していたが、現在では大部分が市場において決定されているとする。したがって、こうした①②③の条件を満たす現在の中国は、資本主義だという結論は妥当だと思われる。
●社会主義体制の崩壊をどう理解すべきか
しかしながら、マルクス主義の理論では、歴史の発展段階としての資本主義は、やがて階級対立の激化と労働者の窮乏化による恐慌の続発を契機として崩壊し、社会主義に移行することが必然だと考える。実際に社会主義国が誕生してこの主張は正しかったかと思われた。しかしその後社会主義が崩壊して、今度は資本主義国になるという歴史の逆戻りのような現象が起きたのである。
それを米国流に解釈すれば、マルクス主義が間違っていたのであり、自由資本主義こそ歴史の必然であるということになる。もはや資本主義対社会主義というイデオロギー対立の時代は終わり、自由資本主義と民主主義の時代(「歴史の終わり」)に入ったという解釈だ。この解釈に立てば、中国は資本主義ということになるが、米国型とは大きく異なる資本主義がなぜ出現したのかを説明できない。ミラノヴィッチは本書でこの疑問に答えてくれるのである。
◆社会主義体制はなぜ必要であったかというユニークな解釈
●西欧的歴史観の誤り
最初にミラノヴィッチは「西側発展経路(WPD)」という歴史観を紹介する。これは先進国と同じ道を後進国もたどるという西欧的な目線からの歴史観であり、マルクス主義の歴史観も同じ過ちをしているというのだ。
本書の説明を要約すれば――産業革命を経て経済力、軍事力を飛躍的に高めた西欧は、帝国主義化して植民地獲得のため海外に進出する。そうした圧力に後進国は対抗できず、経済的、政治的に支配されていく。その時後進国は、西欧のように資本主義化することで対抗できなかった理由は何か。後進国は、封建的な生産関係にとどまり、かつ帝国主義的な外国(西欧)の支配下にあったからだ。したがって資本主義化と独立を実現するためには、地主などの支配層の排除(社会革命)と外国の支配からの脱却(国民革命=政治革命)が必要であった。当時それを実現できる組織化された勢力は共産主義勢力(中国であれば「反封建、反帝国主義」を掲げていた中国共産党)しかなかった――。
●社会主義体制が必要であった理由
この社会革命と国民革命を同時に遂行するという戦略によって、中国共産党は封建的な慣習と外国の支配を排除できたのである。ミラノヴィッチは、この革命は国家が強力な力を行使することで初めて可能となる社会革命であり、政治革命であったとして、この国家の役割の西欧との違いが、中国の資本主義に権威主義への強い傾向が見られる理由だとしている。
社会革命は中華人民共和国成立後も毛沢東によって継続され、鄧小平の時代になって資本主義発展への条件が整ったとみなされた段階で、改革開放路線に舵を切ったという解釈が成り立つ。
◆中国の政治的資本主義の特徴
しかしながら、中国は欧米や日本の資本主義とは違うシステムで動いているのは事実である。ミラノヴィッチは中国の政治的資本主義の特徴を次のように説明する。
●政治的資本主義の3つのシステム的特徴
第1の特徴は、優秀な官僚にシステムの運営を任せることで高い経済成長を実現する点にある。成長を目標通りに実現することが支配の正当性を高める。そのため、官僚は高い専門技術を持ったテクノクラートであることが求められ、成果主義で評価される。
第2の特徴は、法の支配の欠如である。これは第3の特徴である国家の自律性と結びついている。国家は国の利益を最優先するので状況に応じて民間部門を抑制する自律性を持つ必要がある。そのためには、国益に沿った意思決定と迅速な行動が必要であり、法の支配に縛られていてはそれができないからである。
こうした特徴は、国家の効率的運営には効果的だが、次に挙げる矛盾を生むことになる。
●政治的資本主義の2つの矛盾
第1の矛盾は、システム運営には高スキルを持つテクノクラートのエリート官僚が必要だが、彼らはルールに従い合理的なシステムの枠内で働くよう教育を受けている点にある。エリートたちは、法の支配が選択的に適用される条件下で働かざるを得ないのであり、そこに矛盾が生じるからである。
第2の矛盾は、官僚には大きな自由裁量権が与えられているが、官僚がそれを自分の経済的利益を得るために使用すれば腐敗が発生する点にある。国家は統治を正当化するためには、官僚が自由裁量権を効果的に使用して不平等を抑制しなければならないが、その自由裁量権そのものが腐敗の発生を生むというシステム固有の問題を抱えているのである。
ミラノヴィッチは、このシステムは常に「不安定な平衡状態」にあるという。すなわち――腐敗が行き過ぎるとシステムは崩壊する。しかし法の支配が十分に施行されれば、一党ないし一つのエリート集団の支配から、エリートたちの競合するシステムへと移行してしまう。したがってこのシステムが機能し続けるには、エリート層は、どちらも完全には実行できないこの二つの進路の中間にある道を見つけるほかはない――からである。
こうした観点から見ると、習近平国家主席が打ち出している腐敗摘発の動きの背景が明確になる。官僚や党幹部の自由裁量権の濫用(らんよう)は厳しく取り締まるというメッセージなのである。ただし程度次第であり、度を過ぎることをしないようにということだろう。また、不平等の拡大には「共同富裕」を打ち出しているが、システムが持つ根本的な問題解決に取り組むのではなく、成功した起業家や大企業からの寄付などを前面に出しており、政治的演出にすぎないと考えられる。
●中国における不平等
ここで中国における不平等に触れておきたい。本書では、社会主義の時代には共産党や官僚など指導層と大衆の間には格差があったが、それは指導層の特権(住居、車、医療サービスなど)に基づくもので、地位を失えば特権は消えた。しかし、資本主義化によって富を蓄えることが許され格差は一気に拡大したとしている。また、中国の不平等は「構造的」であるとして、①急速に発展した都市部と農村部の格差②地域間の格差(省間の格差)――が大きな問題だと指摘する。さらに新たな資本家のエリート層の出現によって中国全体の不平等は高い水準にあるという。本書の推計ではジニ係数は50に近く、米国を顕著に上回るという。資本主義である以上、不平等の発生は不可避であるが、それが大きくかつ拡大傾向にあるとすれば深刻である。習近平が「共同富裕」を打ち出しているのはこうした不平等の拡大が背景にあるだろう。
こうして見ると、政治的資本主義には根本的矛盾が存在するので、米国が主導するリベラル能力資本主義が最終的には勝利するように思えるが、本書ではリベラル能力資本主義にも不平等の拡大という大きな問題があると指摘する。次にリベラル能力資本主義の特徴を見ていきたい。
◆リベラル能力資本主義
●リベラル能力資本主義の形成
ミラノヴィッチは、資本主義は環境の変化に対応して形を変えてきたとする。最初は古典的な資本主義であり、20世紀の初めまで続いた。二度の世界大戦を挟んで社会民主主義的資本主義が1980年代まで主流であった。こうした福祉国家モデルが限界に直面して1980年代以降は新自由主義的な市場原理主義が支配的になり、リベラル能力資本主義が形成されたと考えるのである。
ここで、米国社会のイメージを思いつくまま挙げてみたい。それは――自由を尊重する、社会に根付いた民主主義、能力主義(機会の平等)、ジェンダーレス(女性の社会的地位の高さ)、経済的成功への渇望と尊敬、激しい競争、強い自己主張、学歴主義(ビジネススクールやロースクールといった大学院卒業資格が必須)、人種差別、大きな貧富の格差――といったところである。ここには正と負の特徴があるが、これはほぼそのまま、リベラル能力資本主義の二面性を表していることに気づく。良い面と悪い面があるが、コインの表裏のように繋がっていて、それを再生産するシステム(仕組み)があるというのがミラノヴィッチの主張である。
●リベラル能力資本主義の特徴
本書ではリベラル能力資本主義の特徴として、古典的資本主義では、金持ちは保有する資本から所得を得ており、労働から得られる所得はそもそも期待していないが、リベラル能力資本主義では金持ちは高学歴で高いスキルを持って勤勉に働くことで高い労働所得を得ている点を挙げる。また、同類婚が多く、子供の教育にも熱心である。
本書では、エリート層の職業として、高給取りの経営者や企業幹部、ウェブデザイナー、医師、投資銀行家、専門職のエリートを挙げている。同類婚が多いので夫婦ともに高学歴で高収入の仕事についており、ジェンダーレスで多様性に満ち、環境問題にも敏感でリベラルな階層である。
また優秀な人材には門戸は開かれており、非エリート層からの上昇は可能である。これはシステムのイメージを良くするだけではなく、優秀な人材を下位層から選抜することによってエリート層を強化してシステムの継続性を高める働きをしている。ちなみに米国の歴代大統領を見ても、クリントン、オバマは非エリート層出身である。彼らは在職中に不平等と貧困に心を痛め、その緩和に努力したはずだが、さまざまな政治的な障害に阻まれて、効果的な政策を取れなかった。その背景には、次に挙げるシステムの問題点が存在する。
●リベラル能力資本主義の問題点
問題は、上記の特徴が不平等を深刻化する方向に働くことである。エリート層は、高所得の結果として金融資産を多く所有するが、トマピケティ(1971〜)が指摘するように資本の収益率は、国民所得の成長率より高いので、高所得層の所得(勤労所得+金融所得)シェアは増加していく。その結果、米国では資産所有者の上位10%が金融資産の90%以上を所有しているという格差社会が生まれている。ミラノヴィッチは、このような資産の偏在によって格差拡大が構造化されているため、国が豊かになればなるほど「自然と」不平等が拡大するというのである。ミラノヴィッチはこれを「富の呪い」と呼んでいる。
不平等の緩和に効果がある大規模な所得移転は、政治的に容易ではない。民主主義制度の下では、エリート層は政治的影響力を活用して自分達に有利なように税制などのルールを変えることができるからである。実際に高所得者の所得税の実効税率は低い。また相続税の基礎控除額も大きく日本と比べて富裕層に有利である(*注2)。この結果、不平等の世代間継承が起きやすい。
さらにミラノヴィッチは、道徳的観念の後退を指摘するのであるが、これが最も大きな問題かもしれない。すなわち——人々がこうしたシステムで生き抜いていくためには、システムに最適化する必要がある。そのための大義名分として、金儲けを正当化するイデオロギーを欲するようになる。その結果、こうした資本主義システムにおいては、経済的成功が他のあらゆる目的に優先され道徳的観念の欠けた社会が生まれる——とするのである。
ミラノヴィッチは、グローバル化はこのイデオロギーを世界中に広めているとする。中国のような政治的資本主義の世界においても同じである。世界の誰もが同じルールに従い、営利を目的とした同じ言語を理解するようになっている。そして「このように個人とシステムの目的が合致することこそ、資本主義の遂げた大いなる成功である」とシニカルに総括する。
◆まとめと論点
●政治的資本主義
ミラノヴィッチは、中国の近代化は社会革命と国民革命のための社会主義化を経て、現在の政治的資本主義システムに行き着いたという独自の解釈の上に議論を展開している。その論説は論理的であり説得力に富む。
政治的資本主義は、優秀なテクノクラートである官僚集団が自由な裁量権を持って国家の運営にあたるシステムである。それは民主主義的プロセスやメディアによる批判を気にせずに、政策目標を迅速かつ効率的に実現していくことを可能にする。中国はこのシステムによって、グローバル化の潮流に巧みに対応した的確な政策展開を行うことで驚異的な経済発展を遂げたのである。
同システムが持つ問題点は、民間部門を制御し国家の自律性を維持するためには官僚による法の恣意(しい)的運用(法の支配の欠如)が不可欠であるが、それは必然的に腐敗を生み不平等を拡大することである。一般大衆は政治を指導層に任せる対価として豊かさを手に入れ、金儲けに生きがいを見いだすが、一方で経済的成功が全ての人々の人生の究極の目的になれば、道徳観が薄れた社会になっていくことは避けられないことである。また、大衆の政治への無関心はエリート層にとっては好都合であるが、権力構造を維持するためには、エリート層は常に大衆が希求する成長を実現し続けることが必須となる。また同時に、腐敗と不平等を許容範囲に収めるバランスの取れた政策運営が条件となってくる。このバランスが崩れた時がシステムの危機といえよう。
なお、ミラノヴィッチの解釈も欧米流の社会進化論の一種であり、中国理解には王朝時代からの歴史にもっと目を向けるべきだという批判はあるだろう。例えば――少数のエリート層が大多数の農民を統治するという形は、中国の歴代王朝時代からの伝統である。それが、孫文の中華民国においても、毛沢東の中華人民共和国においても継承された(変えられなかった)――という見方がある。この解釈に立てば、ミラノヴィッチがいう中国の専制的な資本主義の起源は、社会革命と国民革命が共産党主導のもとで国家によって行われたことにあるという説は、根拠が失われる。ただし、この解釈によって得られる結論も同じように――中国のような超大国を統治するためには、自らの歴史と伝統に則ったエリート層による支配を維持するしかないので、誰が権力を握っても統治システムは変わらない――ということになるのだろう。
●リベラル能力資本主義
一方、リベラル能力資本主義は、新自由主義的な自由な経済活動、自由な市場、自由貿易を重視しそれをグローバル市場に展開してくという思想に基づいている。志向されるのは、多様性に富み、豊かで民主的でリベラルな社会である。しかし高い勤労所得を得て、かつ多額の金融資産を持つエリート層は教育や相続を通じて世代間で継承され、非エリート層との格差の拡大傾向は止まらない。不平等の拡大が構造化されているのである。ミラノヴィッチはそこに「偽善」を読み取る。そうした社会で生きる人々は経済的成功が生きる目的化している。その結果、道徳観念の欠如した社会となるのは言うまでもない。
不平等の軽減のための積極的な所得再分配政策が必要であるが、民主主義であるがゆえに、急進的な手段の選択は政治的に困難である。また福祉国家としての性格から、移民の増加が問題を複雑化させている。問題解決のためには、従来からの政策だけではなく、グローバル化を制御する政策が必要であるが、グローバル化から利益を得ているエリート層と、そうではない非エリート層との溝は深く先行きは見えない。
●論点:グローバル資本主義が招く危機
二つの資本主義システムはグローバルに繋がった市場の中で競い合っている。そうしたグローバル資本主義は経済成長をもたらすが、その対価として不平等と腐敗の拡大を生む。ミラノヴィッチは、それを許容範囲内に収めたシステム運営ができるかどうかがシステムの生き残りの鍵となるという。しかし、グローバル資本主義が不平等と腐敗を拡散しているのであれば、グローバル化を制御する必要があるのだ。そのためには、グローバル資本主義の支配者である米中両国の協力が不可欠である。しかしその可能性については悲観的にならざるを得ない。
本書の書名は、「資本主義だけ残った(Capitalism, Alone)」であるが、「資本主義しか残らなかった」と言った方がいいかもしれない。私たちは経済成長と共に不均衡を世界中に拡散するグローバル資本主義の時代に生きているのだという認識が必要だ。そうした時代に私たちが直面するであろう危機は、(他に選択肢がなくなってしまった)資本主義システムの危機ではなく、それが生み出す不平等と腐敗が許容範囲を超えた時に起きるであろう世界的な不安定化への危機なのだろう。
<参考書籍>
『資本主義だけ残った』(ブランコミラノヴィッチ著、みすず書房、2021年6月初版)
(*注1)小澤仁『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第206回
(*注2)米国の相続税(遺産税)は最高税率40%であるが、課税価格が25億2千万円までは負担率は0%である(出所:国税庁ホームページ「主要国の相続税の負担率(配偶者+子2人)2021年1月現在」)
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