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「地政学」について考える(その6)-米中対立
『視点を磨き、視野を広げる』第57回

1月 12日 2022年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

はじめに:グローバル資本主義

今回は、米中対立の背景としてのグローバル資本主義について考えたい。グローバル資本主義とは、ヒト・モノ・カネの国境を超えた自由な移動による効率性向上で収益を追求する現代の資本主義システムを表す言葉である。前稿では、格差研究で知られる米国の経済学者ブランコ・ミラノヴィッチ(ニューヨーク市立大学大学院客員教授)著『資本主義だけ残った――世界を制するシステムの未来』を参考にして、米国=リベラル能力資本主義、中国=政治的資本主義という特徴を比較した。ただし本書では、米中対立を「民主主義対専制主義」のように対立的に捉えるのではなく、資本主義システムとしての同質性に注目した考察がなされている。そうした両国を結びつけているのは、グローバリゼーション(グローバル化)である。そこで本稿では、本書が提示する三つの視点――エレファントカーブ、アンバンドリング、移民と腐敗――からグローバル化を捉えることで、グローバル資本主義の光と陰が米中関係に与える影響について考えてみたい。

「エレファントカーブ」は、ミラノヴィッチが唱えた説で、グローバル化によって新興国の中所得層が豊かになることで世界全体の所得格差が縮小したが、その一方で先進国の中所得層の所得の低下が進行していることを示している。

そうした「変化」の主役である中国は、どのようにして短期間で技術面でのキャッチアップに成功したのであろうか。要因については、政府の強力な技術開発支援、優秀な人材の発掘・教育システムの伝統、米国への大量の留学生派遣、外国資本の投資を競わせ技術移転を促したこと、などが考えられる。これに対してミラノヴィッチは、「アンバンドリング(分離する、分解する)」という概念を用いてグローバル化が成功の大きな要因であったと説く。ここでいうアンバンドリングは、同じ国で生産と消費が行われていた製品が、グローバル化で生産地が海外に移転するように分離が進むという意味で使われている。アンバンドリングは、グローバル化の進化を測る概念と言えるが、その進化を可能としたのがI C T(情報通信技術)革命である。現在では全世界的な生産の効率性追求のために、グローバル・バリュー・チェーンと呼ばれる国をまたいだ生産の連鎖が形成されている。中国は、このグローバル・バリュー・チェーンに組み込まれることによって技術力を高め成功への道を歩んだというのである。

ただし、グローバル化は光の部分とともに陰の部分をもつ。その例としてミラノヴィッチは「腐敗」と「移民」を取り上げる。この二つはグローバル資本主義に必然的に付随するものなので、グローバル化を逆転させない限り、なくすことはできないという。次善の策として、せめて許容できる範囲にとどめる方法を見つけるしかないというのがミラノヴィッチの見解である。

◆エレファントカーブ

ミラノヴィッチが世界銀行のエコノミスト時代に書いたレポート(2012年)で発表したエレファントカーブは、世界の格差の現状を表したものとして知られる。

出所:World Bank(”Global Income Inequity by Numbers : in History and Now“; 2012November)

このグラフは、縦軸に国民1人当たりの家計所得の伸び率(1988年〜2008年)を、横軸に所得分布階層をそれぞれ置いたものである。所得分布は、右に行くほど高所得になる。象の背中部分が新興国の中所得層で所得の増加が大きいことがわかる。鼻の先にあたる先進国の高所得層も所得を伸ばしている。一方、その間にある窪みは、先進国の中所得層で、所得はほとんど伸びていないか減少している。

ミラノヴィッチは、この図は二つのことを示しているとする。一つは、途上国・新興国の中所得層が豊かになることで世界全体では所得は収束しているということである。本書では不平等を図る指標として「ジニ係数(0は不平等がない、1は不平等が最大)」(*注1)を用い長期的(1820〜2013年)傾向をグラフ化している。それを見ると――世界全体のジニ係数は産業革命前は中程度(0.50〜0.55)であったが、以降は上昇を続け0.70〜0.75程度で高止まりした。しかし1980年代以降低下に転じ、2013年で0.65まで下がった――ことが分かる。この低下の要因をアジアの台頭とI C T革命に求めているのである。

グローバル化とI C T革命は、先進国で産業の空洞化を招き、エレファントカーブが示すもう一つの特徴である先進国における中所得層の所得の減少をもたらした。一方で、それらの恩恵を受けた先進国の高所得層は所得を増やして、格差が拡大している。中所得層は大きな不満を抱え、怒りの矛先は国内の高所得層(エリート層)と新興国(中国)に向かう。米国でのトランプ大統領の誕生や英国のE U(欧州連合)離脱の背景にはこうした格差構造があるということをこのエレファントカーブは示しているのである。

格差拡大の要因はグローバル化とI C T革命にあるという論考の妥当性に関しては、異なるデータでの考察でも確認できる。総務省の情報通信白書は、I M F(国際通貨基金)の論文を引用する形で格差の拡大とグローバル化の関係について分析している(*注2)。同論文は1991年から2014年の世界の労働分配率の変化とその要因分析を労働者のスキル(高・中・低の3段階)別に行なったものだ。それによると――高スキルの労働者のみ労働分配率が高まり、中スキル、低スキルの労働者については減少――している。そして先進国の中スキル労働者に限れば労働分配率減少の要因の大部分は「技術(ルーティン業務の機械化)」と「グローバル・バリュー・チェーン(先進国から新興国への製造拠点の移転)」だと結論しているのである。次に見るようにグローバル・バリュー・チェーンはI C Tの発展によるグローバル化現象の一つであり、I C T革命とグローバル化が先進国の格差拡大の主要因だと言って良いだろう。

◆アンバンドリング

アンバンドリングの3つの段階

ミラノヴィッチは、グローバル化とI C T革命の進展が、中国に有利に働いて急速な経済発展につながったことを、アンバンドリングという概念を使って説明する。アンバンドリングについては「通商白書2020」が「3つのアンバンドリングから見るグローバリゼーションの過去・現在・未来」と題して簡便に解説しているので、まずそれを参考に基本的な理解を以下整理しておきたい。なお、白書も本書と同じように、米国の経済学者リチャード・ボールドウィンの分析(*注3)をベースにしている。

白書はまず――グローバル化は、物、アイデア、人の交流の制約を克服するものであり、そのための技術の進歩がアンバンドリングを促してきた――と言い、アンバンドリングの三つの段階を説明する。

①第1のアンバンドリング(1820〜1990年):産業革命期の鉄道や蒸気船の誕生は鉄道移動コストを劇的に低下させた。この輸送革命がアンバンドリングを促進し、生産地(工場)を消費地と異なる国にすることが可能となった結果、国際分業が進展し、国際貿易が盛んになった。一方、アイデアや人を移動させるコストはそれほど低下しなかったため、産業は先進国に集中した。

②第2のアンバンドリング(1990〜2015年):I C T技術の発展によってアイデアの移動が可能になり、先進国企業は、生産技術や経営ノウハウを新興国・途上国へ持ち込み効率的な生産を追求・実現するようになった。この結果オフショアリングが進み、先進国と新興国・途上国の賃金格差が収縮していく。部品の国際貿易が拡大し、グローバル・バリュー・チェーンが大きな発展を遂げた。

③第3のアンバンドリング(2015〜):I C T技術のさらなる発展により国境を超えたバーチャルな人の移動が可能になり、遠隔地にいる人の間でサービス分野を含めて分業が始まった。その結果、先進国の仕事を途上国の労働者や専門家が行うことができるようになるという。現在進行中の段階であるが、新型コロナ禍でこうした分業が一気に進んでいく可能性があると思われる。

第2のアンバンドリングでなぜ最新技術を移転するのか

こうしたアンバンドリングの概念を前提としてミラノヴィッチは、第2のアンバンドリングにおいては、制度の重要性が増しているとする。すなわち――受け入れ国の制度やインフラ、政治の質が「中心」にとって(自国の制度の質と同じくらい)とてつもなく重要になる。オフショア拠点は、中心の生産チェーンにとって不可欠の要素になっている――とする。このためイノベーションによる最新技術が新興国の製造拠点に持ち込まれ、新興国はその恩恵を受けることができるのである。こうして複数の国にまたがる財やサービスの供給・調達の連鎖が形成された。それぞれの製造段階での付加価値(バリュー)が連鎖(チェーン)しているということでバリューチェーンと呼ばれている。ミラノヴィッチは、このグローバル・バリュー・チェーンをグローバル時代に最適化した組織的イノベーションだと位置付けている。

中国が先進国のグローバル・バリュー・チェーンに入ることで、先進国は最も進んだ技術や最も適した技術を持ち込んでくれる。ミラノヴィッチは、中国はこれによって、従来必須とされた技術的・制度的段階を飛び越えて短期間で貧困国から中所得国に移行できたのだとしている。

なお、ミラノヴィッチは、現在進行中の第3のアンバンドリングについては、ボールドウィンの唱えるように究極のアンバンドリングが起きて、移民や労働市場に対する私たちの考えをすっかり変えてしまうだろうと予測しているが、それが社会にどのような影響を及ぼすのかはまだ見えていない。

◆腐敗と移民プレミアム

グローバル化と腐敗

ミラノヴィッチは、移民と腐敗はグローバル化と不可分だという。腐敗に関しては、腐敗が世界に広がっていることをデータで示し、その背景にグローバル化を見いだす。と言っても腐敗に関する正確なデータは存在しないので、腐敗の実態を把握するために本書が参照しているのは以下である――

・腐敗の認識についての各種調査:世界銀行による世界ガバナンス調査など

・タックスヘイブンに保管されている資金の推定額:約5.9兆ドル=約650兆円もある

・I M Fデータによる世界各国の国際収支の誤差脱漏:誤差脱漏に含められる行方のわからない資金が2008年の世界金融危機以降に倍増(年間2000億ドル=約22兆円)している

・経済学者による腐敗の数値化の試み:世界の億万長者を調査し、政府との繋がりで富を獲得した割合が、先進国と比較してロシア、東欧では極端に多いことを明らかにした

私たちは、「パナマ文書」(*注4)が暴露した事実から、世界の富豪や企業経営者、政治家たちがオフショア会社を使った租税回避のためにパナマの法律事務所を利用していたことを知っている。したがって世界中で腐敗が広がっているという認識はあるが、本書が取り上げている資料は、腐敗の増加を実感させてくれるものだ。

では腐敗はどのようにグローバル化と関係しているのだろう。ミラノヴィッチは、グローバル化時代に腐敗が拡大する理由として下記の三つを挙げる。

①イデオロギー的根拠:グローバル資本主義(リベラル能力資本主義も政治的資本主義も同じ)においては、経済的成功を正当化するイデオロギーが支配的で(金を儲けた奴が偉い)それによって道徳観念が欠如してくる。また、中国の他、ロシアのような旧共産圏では、かつては蓄財したカネを投資したり国外に持ち出したりする方法がなかったが、グローバル資本主義への移行によってそうした制約がなくなったことで腐敗へのモチベーションが高まった。特にエリート層は法の支配を受けないので道徳観は低下していく。

②腐敗を可能にする条件:富裕国やタックスヘイブンが提供する開放的なサービス(投資と節税)を指す。サービスは、会計事務所や弁護士事務所、資産を運用する金融機関によって提供される。こうした先進国における腐敗の恩恵を受ける集団の存在が、新興国の腐敗をメリットのあるものにすることに役立っている。

③デモストレーション効果:新興国の人々(腐敗を行える立場のエリート層)が、富裕国の消費パターンを模倣するようになる、すなわち、腐敗によって得た金で楽しむ方法を知ったということである。

ミラノヴィッチは、腐敗はなくならないと結論する。理由として――①イデオロギーに関わることであり、グローバル資本主義の価値観を変える必要があるがそれは不可能②先進国にも新興国の腐敗によって恩恵を受ける集団が形成され、それを制限することは政治的に不可能③人間の欲望に関することであり、どうすれば変えられるかわからない――を挙げている。したがって、わたしたちにできることは腐敗に慣れ、グローバル化時代の収入源として扱うほかはないというのである。

グローバル化と移民

移民については、ミラノヴィッチは次のようなロジックを組み立てる――グローバル資本主義では、生産要素(資本・労働力)の移動がある方が、そうでない場合よりも総産出が上昇する。流動化が高まれば経済は活性化して成長率が上昇するからである。カネの流動化はわかりやすい。しかしヒトは良い面と悪い面がある。ヒトの移動すなわち労働力の移動は、それが大量になると受け入れ国の社会で衝突が起きて、混乱をもたらすからである――。

では、移民はマイナス面があるにもかかわらずなぜ増え続けるのか。ミラノヴィッチは、国家間に大きな所得格差がある場合にグローバル化が起きると、労働力の移動は不可避だとする。そして労働力の国際間の移動は受け入れ国の社会に混乱を招く。労働力の移動の制限のためには、グローバル化を止めるか、世界の国における所得格差をなくすしか方法がないが、共に不可能であるからだ。

そこで、ミラノヴィッチは妥協策として「市民権の柔軟なメニュー」を提案するのである。市民権とは、「国民・市民としての行動・思想・財産の自由が保障され国政に参加することができる権利(デジタル大辞泉<コトバンク)」である。市民権は土地(出身国)と結びついており、先進国と途上国の市民の間には、所得の構造的な格差が存在する。先進国の市民は福祉国家の恩恵を受けるので「市民権プレミアム」を持つと考える。一方、福祉が貧弱な途上国であれば、逆に「市民権ペナルティー(貧しい国に生まれただけで最初から罰を受けているような状態)」を持つことになる。貧困国の人々は、市民権プレミアムが大きな国に移民したいと考える。福祉国家で医療サービスや年金、社会扶助サービスが優れている国の市民権プレミアムは高いので、そうした国に行きたいと考えるのは当然であろう。中東やアフリカ、アジアからトルコを経てギリシャに達した移民がさらにドイツや英国を目指すのはそのためである。英国にたどり着ければ、市民権ペナルティーを市民権プレミアムに変えることが可能になるのである。

市民権に制限を設けるという案のメリットは、移民受け入れは移民にとっても、(移民によるモノ・サービスの生産コスト低減の恩恵を受ける)相当数の自国民にとってもメリットがあるからだ。さらにグローバルな貧困と不平等の縮減に寄与することにもなる。したがって、制限付きの市民権プレミアムは理想的ではないが、次善の策だと言うのである。移民先進国と言われる欧米諸国は、こうした施策をすでに採用しているとして英国と米国の例を挙げている。

ただし、この方法も問題点はあるという。すなわち――移民の増加によって底辺層(アンダークラス)が形成される。自国民の社会に吸収されないまま存在し続ける。地域的ゲットーが生まれる――である。そのため社会の安定度をどのように保つかの問題が提起されるとするのである。すでに移民受け入れ国で格差拡大が続いており、自国民による底辺層が形成されている場合(多くの国ではそうだ)、問題はさらに複雑化するだろう。

まとめと論点

まとめ:グローバル資本主義の光と陰

ミラノヴィッチはグローバル資本主義について以下の特徴を挙げる。

①グローバル化は途上国・新興国の経済発展を促進して、世界全体としてみれば豊かになっており、かつ所得格差は縮小している

②地域的に見ればアジアの台頭が顕著で、産業革命以来の欧米優位の歴史が転換期を迎えている

③一方で、先進国内の所得格差が拡大し、国内の分断と政治的不安定化が生じている

④グローバル化は腐敗を伴い移民の増加をもたらすので、影響を許容範囲内にとどめる仕組みが必要

エレファントカーブが表す①と③は、グローバル化がもたらす光(経済成長)と陰(格差)と言えるだろう。新興国(中国)は政治的安定維持のためにも成長が不可欠と考えておりグローバル化支持の立場であるが、欧米では格差問題は大きな政治問題となっている。②に関しては、中国にとっては復興であっても、米国にとっては自らの覇権への挑戦と映り、地政学的対立を生み出す原因となっている。③と④が提起する格差、腐敗、移民といった問題に関して、欧米では反グローバル化の動きが政治的影響力を増している。ミラノヴィッチは解決へ向けての国内政策として(あくまで米国を前提としているが)――税制の再分配機能の強化、公教育への予算増、軽い市民権の導入(移民の社会への影響を緩和する)、上位層の固定化を防ぐ政策――を挙げている。

論点1:世界経済の政治的トリレンマ

グローバル資本主義を、経済成長を求めて格差を生み出すシステムだとして批判的に捉えてきた。しかしミラノヴィッチは世界全体としては所得の不均衡は縮小していることを指摘する。またアジアの復興によって欧米中心から、より地域的に均衡のとれた状態に戻ったという視点を提示する。これらの指摘は事実であるが、現実の世界では格差拡大は社会の安定を損ない、政治を不安定化させる要因となって、グローバル資本主義を揺るがしている。

なぜなら、現在の国民国家を単位とする限り、国内の格差の是正が政治的最優先課題となるのは当然であるからだ。民主政体においてはなおさらであり、日本を含めて福祉国家である先進国は、この立場に属すると言って良いだろう。それを説明するための論理として、国際経済学者ダニロドリック(プリンストン高等研究所教授)の唱える「世界経済の政治的トリレンマ」を用いたい。なお、ここでの説明は従来、教科書としている松原隆一郎(放送大学教授)著『経済政策――不確実性に取り組む』が教える「世界経済の政治的トリレンマ」を参考にしている。

トリレンマとは、三つの政策があるとして、三つ全てが同時には成り立たない関係をいう。同書では、「ハイパーグローバリゼーション(グローバルルールを国内ルールに適用すること=グローバル資本主義)」「国民国家」「民主政治」の三つを挙げる。そして国民国家と民主政治が成立している場合、国内ルールを破壊し格差をもたらすハイパーグローバリゼーションは受け入れられないことになる。この説は、英国のE U離脱や米国のトランプ現象が、なぜ反グローバル化を掲げているのかを説明しており、説得力がある。

グローバル化を推進する経済思想である新自由主義は、自由な市場こそが経済的厚生(人間の幸福の総和)は最大化すると考える。そこでは労働力も市場で取引される商品の一つだ。市場での需給は価格機能すなわち賃金の変動によって均衡する。市場がグローバル化されれば、国をまたいでより安い賃金(コスト)が選択しやすくなる。国による労働者の技能差があっても、I C T革命によって技術やアイデアの移転が容易になるので、生産は先進国から新興国に移っていく。これは資本にとっては、コストを低減させて資本効率を高めるが、先進国の労働者にとっては雇用の喪失や賃金低下をもたらす。

このようにグローバル資本主義は、大きな問題を持つが、資本主義に代替しうるシステムは現在のところ存在しないので、このシステムの下で、問題点を緩和する政策を考えるべきだとミラノヴィッチは主張するのである。

論点2:腐敗について

腐敗は中国の資本主義システムだけに固有のものではない。リベラル能力資本主義においても腐敗は拡がっていると思われる。なぜなら腐敗を生み出す根本には、本書でいう「金儲け」を正当化するイデオロギー信奉があるからだ。それによる道徳感の欠如は、本書が指摘するようにすでに先進国で一般的に見られる現象となっている。

その一端を垣間見せてくれるものが、「パナマ文書」である。同文書が明らかにしたものは、腐敗をサポートするサービス利用者の多くは先進国の富裕層や政治家であったという事実だ。ここから分かるように、これは本来先進国向けに生まれた節税を名目とする「After Tax(税引き後)」サービス提供業務の一つなのである。このサービスの利用者は、節税行為において法律に抵触しなければ、何をしても良いと考えているようだ。それを強欲資本主義と呼ぶのは言い過ぎならば、少なくとも道徳観の低下は指摘できるだろう。

こうした理由から、ミラノヴィッチは、リベラル能力資本主義にも政治的資本主義にも多くを期待しない。その上で、その弊害を少しでも緩和するための政策を提案しているのである。

論点3:グローバル資本主義と日本

本書が指摘するグローバル資本主義に内在する問題に関して、日本は米国ほど格差はひどくはないという意見があるかもしれない。ここではそうした意見に対する反論を試みたい。前述のように労働力のグローバル化で生産が新興国に移って米国の労働者の多くは雇用を失った。しかし日本企業は終身雇用なので雇用は守られた。その代わりに、正規雇用を抑制し非正規雇用を拡大していった。工場の海外移転だけではなく、グローバル化の掛け声の下に行われた労働規制の緩和によって、業務のアウトソースも積極的に進められた。非正規雇用の比率は1985年の15%から2019年には約40%に増大しているという現実がそれを表している。日本の社会保障は、企業によって支えられている。企業が提供する雇用プレミアムと呼ぶべき終身雇用は雇用の不確実性を縮減し、厚生年金や健康保険は安心をもたらした。政府の役割はその網から落ちこぼれる(雇用ペナルティーを負う)相対的に少数の人々のケアであったが、非正規雇用比率の増大により従来の役割だけでは不十分になっている。また雇用を支えてきた企業側も少子高齢化の進展で負担感が増しており、制度の持続性に疑問が生じているというのが現在の日本の現状である。

その日本で、「新しい資本主義」を掲げた岸田新政権が発足した(2021年10月)。首相は公の場で、「これまでの新自由主義的考え方は成長をもたらした反面、多くの弊害も生んでいる」と発言している。これは本稿の認識と同じである。そして今後「新しい資本主義」のグランドデザインを世界へ向けて発信したいと述べている(*注5)。この文脈からは、格差是正のための税制の再分配機能の強化(所得税、相続税、金融課税)といった政策が予測される。自民党内には反対もあるので大胆な政策は打ち出せないとの見方もあるが、こうした議論が出てきたことは良いことだと思う。また、野党も批判だけではなく、それに代わる案を出して議論が深まることを期待したい。

(*注1)本書では、1人当たりG D P(購買力平価ドル換算)を使ってジニ係数を算出している。また当初所得ジニ係数と再分配所得ジニ係数(当初所得ジニ係数より小さくなる)があるが、本書では前者を使っているものと思われる

(*注2)「令和元年版情報通信白書」ではI M Fの論文(”Why is Labor Receiving a Smaller Share of Global Income? Theory and Empirical Evidence” IMF Working Paper)を引用

(*注3)リチャードE.ボールドウィン:ジュネーブ高等国際問題開発研究所国際経済学教授。「通商白書2020」では、同氏の『世界経済大いなる収束』を参照している

(*注4)パナマの法律事務所モサックフォンセカによって作成された租税回避行為に関する一連の機密文書。膨大な資料は匿名で2015年に南ドイツ新聞にリークされ、その後世界中のジャーナリストが加わって分析しており、順次公開されている(Wikipedia)

(*注5)岸田首相は米国の調査会社が主催するオンライン会議にビデオメッセージで「新しい資本主義」を世界に発信、世界の首脳との議論を主導していくという考えを示している(2021年12月8日NHK News Web)

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