古川弘介(ふるかわ・こうすけ)
海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。
◆ はじめに:本稿のねらい
前稿では、日本と米国の能力主義には違いがあり、その違いを生んだ原因は雇用システムにあると考えた。
労働法、労働政策を専門とする濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構労働政策研究所長)は、雇用システムが社会の制度や慣行の形成に大きな影響を及ぼすことを、『ジョブ型雇用社会とは何か―正社員体制の矛盾と転機』で教えている。
すなわち―戦時体制に起源を持ち戦後確立された日本型の雇用システムは、雇用契約、賃金制度、採用や人事制度、労働組合を規定し、日本的な「能力」主義を生みだした。そしてそれらを通じて、企業を経営者と労働者の人的結合体と見る意識が醸成され、戦後日本を規定した―という大きな捉え方である。戦後の日本型の雇用システムが企業を一種の擬似共同体に再編することで、株主第一主義の米国とは異なる労使協調の日本型の資本主義モデルが誕生したという解釈である。
濱口は、日本の雇用システムをメンバーシップ型、欧米先進諸国のそれをジョブ型と名付ける。雇用システムの基本はジョブ(職務)に人を当てはめるジョブ型である。それに対して日本のメンバーシップ型ではジョブは無限定(会社の裁量で決定)で、会社という共同体のメンバーになることに本質があるというものだ。
ジョブを決めるのは会社なので、そのジョブがなくなっても会社が別のジョブを提供する。したがって長期雇用が特徴となり、雇用は安定する。その安定した雇用の上に構築された保険・年金制度があり、社会的セーフティネットが形成されている。したがって日本のセーフティネットは企業依存型である。雇用システムは、人事制度や働き方に大きな影響を与え、企業への人材供給源としての大学の在り方も規定する。前稿では、こうして能力主義の違いが生まれ、日本では米国のような学歴主義と功績主義の徹底による能力主義の弊害は現れず、結果として極端な所得や資産の格差の拡大が、ある程度抑制されたと考えたのである。
ということは日本のメンバーシップ型雇用システムは、わたしたちを失業という不確実性から守るシステムであり、これを維持することが望ましいということになるのだろうか。いや、話はそんなに簡単ではない、というのが本稿のテーマである。
このシステムが持つ問題は二つある。一つは、システムの持続可能性である。システムの特徴とされた終身雇用や年功序列賃金は実質的に崩壊しつつある。また、システムの恩恵を受けられない非正規労働者が増加している。こうした現象が、持続可能性に対する懸念を増しているのである。今後システムの延命を図る場合においても、見直しは不可避だろうと思われる。
二つ目の問題は、システムそのものへの批判の高まりである。その代表的なものが、日本型の雇用システムが経済の長期低迷の原因となっているという批判であるが、これは日本の強みといわれた雇用システムが、時代環境の変化に適応できなくなっているということを示唆している。ここでいう変化とは、冷戦終結後のグローバル化の加速とI C T(情報通信技術)革命を指す。こうなるとシステムの延命ではなく、システムそのものの転換が必要となるだろう。そのため近年、ジョブ型の雇用システムが注目を集めているのである。
本稿では、こうした日本のメンバーシップ型雇用システムの特徴を整理するとともに、その課題について考えてみたい。
◆メンバーシップ型とジョブ型の雇用システム
年をとると、世の中の出来事に固定観念で反応しているのを感じる。マスメディアを通じて自説を補強する知識だけを選択して社会を理解していると思い込んでしまうことが怖い。良書を読む意味は、そうした思い込みに気づかせてくれることにある。本書もそうした本の一つであり、日本の雇用慣行を「当たり前のこと」と思っているわたしたちの固定観念を見事に打ち砕いてくれる。その意味で、本書は『ジョブ型雇用社会とは何か』と題されているが、ジョブ型の解説書というよりも、日本のメンバーシップ型雇用の問題点を正しく認識させてくれる本として読むべきだと思う。
濱口が本書で何度も強調するのは、職務と人間の結びつきかたを理解しないとメンバーシップ型とジョブ型の違いが理解できないということである。ジョブ型とは、最初に職務(ジョブ)があり、そこに人を当てはめると考えればわかりやすい。したがって雇用契約には労働者が遂行すべきジョブが明確に規定されている。ジョブを詳細に記したジョブディスクリプション(職務記述書)の存在が前提となっているのである。濱口は、こうした特徴は米国、欧州、アジアの先進諸国で共通していることから、それらを総称してジョブ型雇用システムと呼んでいる。濱口の造語である。
これに対して日本は雇用契約にジョブが明記されていないこと(無限定)が特徴である。ジョブは勤務地も含めて会社が決めるのである。ここから濱口は、日本における雇用の本質は、ジョブにあるのではなく、会社という共同体のメンバーになることにあるのだと捉えてメンバーシップ型と呼ぶのである。
この共同体のメンバーという本質から、終身雇用、年功序列、企業別組合という現象が生まれるというのが濱口の解釈である。
◆日本のメンバーシップ型雇用システムが持つ矛盾
濱口は、労働法制だけでなく労働行政の現場にも明るい専門家である。そうした理論と現実の両面を熟知している濱口の問題意識は、日本のメンバーシップ型が現在抱える矛盾を的確にとらえ、それらを論理立てて指摘していく。
- 矛盾1:無限定の「柔軟性」が問題を生む
まず、メンバーシップ型の特徴である「無限定正社員」に焦点が当てられる。無限定正社員とは、職務内容や労働時間や勤務場所が採用時に決められていないことをいう。会社にとっては人事政策上の柔軟性が増すシステムであるが、濱口は次のような矛盾を内包していると指摘する。
①女性に不利:男性を対象としており、女性(特に育児・介護責任を負う女性)には、会社側が求める労働時間(長時間労働)や勤務地(転勤)について柔軟に対応しにくい。従って採用や人事評価で不利に働きやすい
②過労死とパワハラを生みやすい:正社員にとっては、1990年代後半以降の正社員の採用抑制(少数精鋭化)によって労働の負担が増し、長時間労働による過労死の問題がのしかかる。また、素人をO J T(職場内訓練)で育てるので教育とパワハラとの境界線が曖昧(あいまい)になりがちといった性格を持つ
- 矛盾2:正規と非正規という新しい身分制
正規と非正規では同じような仕事をしていても雇用の安定性が決定的に違う。また非正規は、給与水準(低い)や賞与の有無(ない場合が多い)、年金と健康保険(厚生年金や健康保険の対象とならない場合が多い)、組合加入(大部分の企業では加入できない)、教育研修(職場や外部の教育研修の対象とされない場合が多い)などで不利な立場に置かれており、両者には大きな格差がある。
また、企業は正社員の採用抑制のために非正規雇用を拡大していったので正社員コースに入り込めなかった人は、非正規雇用となった。バブル崩壊後の「就職氷河期」と呼ばれた時期(1993年ごろ)の新規学卒者は、意思に反して非正規になった人たちであるが、新卒一括採用なので一度機会を逃して非正規になるとそのままはい上がれない事態となる。
こうしてみると、メンバーシップ型雇用モデルの恩恵を受けることができる労働者を正規、恩恵を受けられない労働者を非正規と言っても良いだろう。一度非正規になると正規雇用になることは困難なので実質的に両者は分断されており、あたかも新しい身分制のようである。
濱口は、正規と非正規の格差問題を「日本的デュアリズム(二重性)」と呼ぶ。そしてこの「デュアリズム」と上述の「柔軟性」からの脱却を日本の雇用システムの課題と認めつつ、それらを解決することは、システムの全体像の見直しが必要となることから容易なことではないという認識を示す。
- 矛盾3:年功序列賃金と職能給
本書では、「ジョブ」に値段がついているジョブ型と違い、メンバーシップ型では「ヒト」基準で賃金を決めているとする。その場合、客観的基準が必要なので年齢や、勤続年数で決めるしかない。その結果として年功序列賃金になるのである。
給与制度には、職務給(職務の難易度や責任に応じた給与)と職能給(職務を遂行する能力に応じた給与)がある。ジョブ型は職務給が基本で同一労働同一賃金が原則である。日本のメンバーシップ型においては、敗戦後の混乱期に労働組合が求める生活給(生活必要度に応じた給与)として出発したがそれは実態(本音)であり、建前上は能力主義に基づく職能給となっている。
この「能力」とは何か。年功序列賃金と整合性がとれた理屈が必要なので「定期人事異動でさまざまな仕事を経験することによって(そして年齢に応じて)上がり続ける(潜在的な)能力」ということになる。人事査定ではこの捉え所のない「能力」を査定する。自然と「会社に言われたことはなんでもやる能力」にならざるを得ない。本書ではこれを「情意(やる気や忠誠心)評価」と呼んでいる。
経済の成長期は毎年給料が上がっていたので年功序列賃金は機能した。しかし、バブル崩壊以降はそれが止まって、中高年の高給が会社への貢献に見合わないとしてやり玉に挙げられるようになる。濱口が言うところの「不可知の能力」では、中高年の高給の納得性のある説明にならないのである。「働かないおじさん」問題は、こうしたシステムの矛盾を背景としたものである。そう考えると、お荷物のように扱われる「おじさん」たちは、システムの犠牲者であると言ってもいいだろう。
濱口は、企業にとってこの問題が難しいのは、能力給の建前の上に正社員と非正規労働者の隔絶した賃金格差も容認されているので、簡単に放擲(ほうてき)できないからだとしている。雇用システムの問題は、過去から引きずっているさまざまな要素が関連し合っていることを知る必要があるということだろう。
- 矛盾4:解雇規制と金銭解決
本書では、日本のメンバーシップ型は解雇が難しく、ジョブ型は容易だという理解は誤解であるということを説明している。ジョブ型の欧州では解雇規制があるからだ(米国だけは解雇規制がない)。
ただし解雇規制があることは同じでも、日本と欧州は違う。それはメンバーシップ型とジョブ型の基本原則の違いに起因する。ジョブ型はジョブから出発するので、当該ジョブがなくなれば解雇(整理解雇)をすることは正当性を持つ。そしてその救済制度として金銭解決が法制化されている。これに対してメンバーシップ型では無限定社員であるため他職務への移動可能性がある限り解雇の正当性が低くなると解釈されている。ただしこれは判例の上に構築されたものだ。なぜなら、日本の実定法(民法、商法、労働法)は欧米と同じジョブ型なので、社会での慣行であるメンバーシップ型と労働法制との隙間を埋めるために判例法理によって適応させているというのである。実際これを理由とした判例があり、長期雇用は労働者の権利、会社の義務だとされている。
問題は、これが実質的に適用されるのは大企業の正社員だけだという点にある。なぜなら規模の小さな中小零細企業では、大企業のように別の職務を提供することが現実的に困難なので判例の論理が通じないのである。濱口は、実際に中小零細企業で解雇は自由に行われているとする。そして都道府県労働局のあっせん事業の内容を詳しく分析して主な解雇理由は労働者の態度(職場でのコミュニケーション、協調性)であり、職務能力ではないとしている。この事実は、それが職場で求められる能力だということを示している。メンバーシップ型の共同体の規範は押し付けられるが、恩恵は得られないというのが社会の大部分の労働者が置かれた実態であることを知らされた。
そして日本では解雇規制が立法化されなかったために金銭解決が困難になったことが、中小零細企業労働者に不利益を強いているという。前述のあっせん事業は任意なので、解決するのは3割に過ぎず、大多数は金銭解決すらできずに「泣き寝入り」しているというのである。解決金の水準も50万円以下が約8割だという。濱口はここに解雇の金銭解決が持つ意味を見いだす。そして―西欧のような金銭補償基準が法定されれば、ごく一部の大企業正社員を除き、不公正な解雇にさらされている圧倒的大多数の中小零細企業労働者にとっては福音となるのではないか―と訴える。
日本のメンバーシップ型雇用システムにおいて、その最大のメリットである雇用の安定を得られるのは大企業正社員だけである。それは全体の雇用者の約3割(*注1)に過ぎない。7割が恩恵を十分に受けられないシステムというのが日本のメンバーシップ型の実態なのである。
◆まとめ
格差問題から出発して、資本主義(経済)に原因がある→能力主義(文化)にも責任がある→しかしそれは米国の能力主義に顕著にみられる現象で日本とは違いがある→その違いは雇用システムに起因する、と考えてきた。
そこで今回は、雇用システムの違いが格差とどのようにつながっているのかという視点から本書を読んだ。
- 日本社会におけるデフォルトマン
「デフォルトマン」という言葉がある。ジェンダーの平等の議論で目にする機会が増えたが、男に都合の良い社会の制度、規範の中でそれを当然のこととして享受している中産階級の男性というような意味で使われているようだ。
これを戦後の日本社会に当てはめれば、デフォルトマンは日本のメンバーシップ型雇用システムの恩恵を受ける人―男性、正社員―であった。女性や非正規労働者は排除されていたが、当時は男性が会社で働き女性が専業主婦として家事と育児を担当することが自然な形と考えられていた社会であり、また雇用者に占める正規雇用の比率が8割を超えていた時代だったということを考えれば、社会の実態を反映したものだったといえるだろう。
こうした日本の雇用システムは、労働者から見れば、会社に正社員として就職して、そこで真面目に会社のために働けば定年まで面倒を見てくれるというものだ。また経営側から見れば、労働者を定着させることができ、労使協調で安定的な操業をもたらしてくれるシステムであった。経済成長期には労働者、経営者双方にとって経済的な恩恵をもたらす最適のシステムであったことは戦後日本の経済発展を見れば明らかだろう。経営者と労働者が主体で株主の位置付けが相対的に低かったが、日本型企業は株式を持ちあっていたので当時は大きな問題とはならなかった。
その後もデフォルトマンの基本―メンバーシップ型の恩恵を受けられる人―は変わらなかったが、経済や社会は変化した。システムの恩恵を受けられない人々が増えたのである。現在のデフォルトマン―男性、大卒、大企業の正社員―はもはや社会のマジョリティーではないが、社会の仕組みは依然デフォルトマン仕様だ。その恩恵を受けられないのは、デフォルトマンの反対側にいる人々、すなわち女性、非大卒、非大企業(中小零細企業)、非正規ということになる。デフォルト(初期設定)状態から格差は存在しているのである。
女性は、家事や育児、介護負担を課されることが多いため、メンバーシップ型が求める無限定社員に必要な、職務、勤務時間、勤務地の柔軟性に欠けるとみなされ男性と比べて基本的に不利な立場にある。近年は少子高齢化による労働力不足を補うためという理由で女性の就業環境改善への動きが見られるが、依然として日本の企業社会は米国などと比べて圧倒的に男性優位であることは変わらない。日本のこうした現状は、世界的な潮流であるジェンダーの平等、多様性の尊重といったリベラルな価値観と対立する要素を多く残している。それを改善していくためには、雇用システムへの理解が不可欠であることを本書は教えてくれる。
また、大卒と非大卒の格差は、世界共通である。日本は、米国のような極端な学歴社会ではないが、例え男性であっても非大卒は、日本のメンバーシップ型雇用システムの恩恵を得にくい立場に追いやられていることは確かだといえる。
日本のメンバーシップ型雇用システムで、最も不利益を被っているのは、中小零細企業の労働者と非正規労働者である。中小零細企業の労働者は、メンバーシップ型の雇用の安定という恩恵は十分に得られない。また、大企業で働いていても、非正規労働者はシステムの部外者として扱われている。正規と非正規の間には現代の身分制度ともいうべき格差が存在するのである。
- グローバル化とI C T革命
日本の雇用システムを揺るがしたのは、東西冷戦の終結によって起きた世界的なグローバル化の加速とI C T革命である。ともに労働市場の流動化が大前提となるが、雇用の長期安定を特徴とする日本の雇用システムはその制約要因となった。
グローバル化によって労働市場は国境を超えて拡大していく。グローバル競争に勝つために日本企業も生産拠点の海外移転を進めたが、常に国内の雇用維持とのジレンマが存在し、意思決定に時間がかかり企業の負担も大きかった。またグローバルに展開する大企業のマネジメントを担える人材が少ないことも大きな問題だ。マネジメント層を一つのジョブととらえ、学歴や専門性に基づいて最初から明示的に採用、育成し、その人たちが転職を繰り返していく米国では人材の厚い層が形成されている。一方、正社員全員が同じ入り口から入社して定期人事異動を繰り返しながら時間をかけて上昇していくメンバーシップ型の日本では、そうした人材が生まれにくいことが背景にあると思う。
そしてグローバル競争にさらされている企業が採った行動は、正社員の採用を抑制し(濱口は「正社員の少数精鋭化」と呼ぶ)、非正規社員を増やすことであった。正社員を守りたい労働組合も容認したし、政府は労働規制の緩和でこうした動きを支援した。結果として非正規労働者は増加を続け、システムからこぼれ落ちる人を増やした。
I C T革命においては、イノベーションの種を事業化するための条件として労働市場の流動化が重要である。しかし、日本は労働者がチャレンジしやすい労働環境ではなく、企業の新陳代謝も起きにくい。日本の雇用システムの最大の特徴である雇用の安定と企業依存のセーフティネットは、労働者のチャレンジを抑制するように作用するからだ。長期間(できれば定年まで)勤めた方がメリットのある仕組みなので、大企業の正社員の立場を捨てて、起業したりベンチャー企業に転職したりすることは割に合わないからである。
一方で、デフォルトマンの環境も厳しさを増している。正社員も少数精鋭化で数が絞られ、業務負担が増えて長時間労働の是正は依然大きな課題である。また、経済の長期低迷の下で正社員であっても給料が上がらない状態が20年以上続いている。
今や、システムからの落後者だけでなく、勝者であるはずのデフォルトマンにとっても将来設計がしにくい環境になっているのである。そう考えると、日本の雇用システムは、雇用者の3割程度(大企業の雇用者)にしか恩恵を与えられず、かつ恩恵を受ける人々でさえ幸福にできないシステムになりつつあるのではないかという疑問が湧いてくる。
ではジョブ型にすればこうした問題は解決できるのかといえば、そんな簡単な話ではないようだ。なぜなら雇用システムは経済・社会のさまざまな制度や慣行と密接に関連しあって社会的セーフティネットを形成しており、その変更は影響が大きいため慎重な議論を要するし、また大きな抵抗も予想されるからである。さらに、濱口によればジョブ型にもいろいろ問題があるようだ。そこで次稿ではジョブ型について考えたい。
<参考書籍>
『ジョブ型雇用社会とは何か―正社員体制の矛盾と転機』(濱口桂一郎、岩波新書、2021年9月初版)
(*注1)大企業(従業員千人以上)の雇用者は全雇用者の30%を占める(出所:厚生労働省)
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