п»ї 半導体産業の復活はあるのかその1 日本半導体凋落の原因 『視点を磨き、視野を広げる』第77回 | ニュース屋台村

半導体産業の復活はあるのか
その1 日本半導体凋落の原因
『視点を磨き、視野を広げる』第77回

8月 26日 2024年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープンカレッジに通い始めた。

◆はじめに

日本の半導体産業の復活は可能だろうか。日本は、1980年代には半導体で世界トップの座(ピークの1988年にシェア50.3%)にあった。しかし1990年代以降は低迷して、現在のシェアは10%に満たない。その日本の半導体産業が復活するのでは、という期待が高まっている。政府が巨額の補助金を投入する大プロジェクト――世界最大のファウンドリー(半導体製造会社)TSMC(台湾積体電路製造)による熊本工場建設、最先端半導体の製造を目指す国策会社ラピダス(*注1)の設立など――が動き出したからだ。

こうした政府の動きの背景には、米中対立による地政学リスクの増大という環境変化がある。すなわち政府の半導体戦略は、中国を念頭に置いた経済安全保障の観点から打ち出されたものである。政治に力点を置いた政策と言って良いだろう。2兆円を超える補助金(*注2)が投入されるが、経済面からの検討は十分なのだろうか。

そう考えていた時に、オープンカレッジで「なぜ日本の半導体産業は凋落(ちょうらく)したのか」という講義(巻末参照)を見つけて受講した。講師は、日立の元半導体技術者であった湯之上隆(技術経営コンサルタント、工学博士)である。湯之上は2021年6月に国会で、参考人として意見陳述を行っている(*注3)。その中で――ラピダスは無謀な挑戦であり、半導体の復活は不可能――と述べて警鐘を鳴らしている。

しかしその後も、TSMCの熊本進出(2021年10月発表)など経済産業省プロジェクトは拡大している。このままでは半導体の復活ができないだけでなく、税金の無駄使いにもなると危機感を抱いた湯之上は、ネットや講演で自論を訴えており、今回のオープンカレッジでの講義もその一つである。

講義と湯之上の著書『半導体有事』から、わたしが理解した内容を「ニュース屋台村」で発表したい。まず本稿では、日本の半導体産業凋落の原因について考えることから始めたい。

◆日本半導体産業の成功と凋落の歴史

⚫️半導体で日本が世界一になった理由は「高品質」

半導体とは、トランジスタを集積して電子回路を形成したものである。半導体は①ロジック半導体(演算を行う)②メモリ半導体(データを保存する)③アナログ半導体(音、光、温度、圧力などを処理する)――に大別される。

日本はメモリ半導体の中のDRAM(*注4)が強く、1980年代の最盛期には世界シェア80%を占め、世界市場を席巻した。その結果、半導体全体(①〜③合計)のシェアでも世界トップに立っていた(図表1参照)。

当時(1980年代)のコンピューター業界はメインフレーム(汎用の大型コンピューター)が主流であった。そのメインフレームメーカーが求める高品質(25年保証)のDRAMを作ることで日本メーカーは圧倒的優位に立ったのである。湯之上は――日本のDRAMの強みは超高品質にあった。それはまさに技術の勝利であった――と述べている。

しかし図表1(経済産業省作成)に見るように、1990年代以降は坂道を転げ落ちるようにシェアを落としていった。経済産業省が、下図の中で「将来的には日本のシェアはほぼ0%に」と記しているのは、同省の「何か起死回生策を打ち出さないといけない」という危機感の大きさを表していると思われる。

<図表1>

(出典:経済産業省ウェブページ『半導体戦略(概略)』2021年6月経済産業省)

⚫️半導体凋落の原因は諸説あり

その日本の半導体が凋落した原因として、経済産業省が挙げるのは――

①日米貿易摩擦によるメモリ敗戦:DRAMは「日米半導体協定」によって衰退

②半導体設計と製造の水平分離の失敗(ロジック半導体): 世界の新潮流に乗り遅れた

③デジタル産業化の遅れ:21世紀以降のデジタル化に遅れ、国内デジタル市場が低迷

④日の丸自前主義の陥穽(かんせい):世界とつながるエコシステムや国際アライアンスを構築できず

⑤韓台中の国家的企業育成:政府の大規模な補助金による長期支援

上記①⑤は日本の外部に原因を求めるものであるので外部要因説とする。これに対し②③④は内部要因説と言える。これら三つの原因に共通するのは「グローバル化・デジタル化の潮流」に乗り遅れたということである。

外部要因説①は、米国が日本に締結を強いた「日米半導体協定(*注5)」の影響で日本勢が衰退したという説である。湯之上は、これを衰退の原因とは見なさない。日本の半導体メーカーが自壊したと考えているからである。また、⑤の韓台中の政府支援が自国産業の競争力強化に役立ったとしても、日本の自壊の説明にはならないのは同じだ。

ただし湯之上は、内部要因説に立ちながら、②〜④のどれにも当てはまらない日本企業の「高品質病」に根本原因を見いだすのである。

◆日本半導体凋落の原因

湯之上は、日立の半導体技術者であったが、同社のリストラで退職を強いられた。その後、同志社大学の経営学研究センターの特任教授となり、「なぜ、日本のDRAM産業が凋落したのか」を研究した。その分析結果が以下である。

⚫️DRAM敗戦は技術の敗北

1990年代にコンピューター業界にパラダイムシフトが起きて、メインフレームの時代は終焉(しゅうえん)し、パーソナルコンピューター(PC)の時代が到来した。しかし日本メーカーは相変わらず25年保証の超高品質DRAMを作り続けた。一方、韓国のサムスンは、3年保証のPC用DRAMを安価に大量生産することに成功し、日本を抜いてシェア首位に躍進した。

湯之上は当時、日立でDRAMの生産技術に関わっていた。湯之上も、日本のDRAMメーカーの誰もが、PCの出荷額の増大とサムスンの急成長を知っていたが、相変わらず超高品質DRAMを作り続けていた。その結果、サムスンの安く大量生産する破壊的技術に駆逐されたのである。

湯之上は、これを「イノベーションのジレンマ」の典型例だという。すなわち――日本企業が得意とする持続的イノベーションにおいては、企業は顧客のニーズに応えて従来製品の改良を進める。したがって持続的イノベーションのプロセスで自社の事業を成り立たせているため、自社の既存の事業を破壊する可能性のある破壊的イノベーションを軽視する――。

また湯之上は、日本のDRAM敗戦を「技術で勝って、ビジネスで負けた」というのは間違っている、とする。その理由として、マスク枚数の差を挙げている。マスク枚数は、半導体の微細加工の回数を表しており、多いほど工程数も多くなり、微細加工装置の台数も多くなるので原価が上昇する。少ないほど技術力が高いことを表す数字である。日本が撤退する直前のPC用の64メガDRAMマスク枚数は、日立29枚、NEC26枚に対し、サムスンは20枚、米マイクロンテクノロジーは半分の15枚であったという。湯之上は「明らかに技術の敗北である」としている。

日本のDRAMの敗戦はこの後も続く。日本メーカーはDRAMから撤退し、残ったのはNECと日立のDRAM部門が統合して設立されたエルピーダ(*注6)であった。エルピーダの業績は一時的に回復するが、それも続かず2012年に会社更生法を適用申請して、最後は米国のマイクロンテクノロジーに買収された(2013年)。湯之上の診断は「最後まで高品質病は治らなかった」である。

⚫️日本半導体凋落の根本原因

日本の半導体メーカーはDRAMから撤退した後、それまであまり強くなかったロジック半導体に注力した。しかしシェアの低下は止まらず、経産省が主導して、国家プロジェクト、コンソーシアム(共同企業体)、合弁会社の設立など手を尽くしたが、全て失敗している(*注7)。

現在の半導体市場は(*注8)――先端ロジック半導体は、設計能力(ファブレス)は米国、製造能力(ファウンドリー)は台湾に集中。またDRAMは、韓国勢(サムスン、SKハイニクス)がシェア1、2位(合計で70%以上)を占めている(日本メーカーは全社撤退)――という状態にある。なお、日本メーカーは依然、NAND型メモリ、パワー半導体、イメージセンサーなどで存在感を保っているが、製品の市場規模はロジック半導体やDRAMと比較すると小さい。

湯之上はDRAMだけではなくロジック半導体でも日本が失敗したのは同じ原因――「過剰技術で過剰品質を作ってしまう」という病気にかかっていたからである――とする。時代環境が変わっても、過去の成功体験を引きずり、「今でも自分たちの技術が世界一」とうぬぼれていた、と自省するのである。そして――誰もこの病気に気づかなかったばかりか、より過剰技術で過剰品質を作ることに各社、産業界、経産省、政府が注力した。その結果、病気は治らず悪化した――と述べている。

湯之上が下した結論は――DRAMは全滅して、ロジック半導体ビジネスも現在壊滅的な状態にあり、日本の半導体産業の挽回(ばんかい)は不可能――である。

◆まとめ:半導体凋落の原因は「高品質病」

日本の半導体が世界トップの座から凋落した原因は――「高品質病」にかかって「過剰技術で過剰品質を作ってしまう」ために、市場環境の変化に柔軟に対応できなかったことにある――というのが、湯之上の結論である。「高品質へのこだわり」は日本の製造業の「強み」であったが、環境が変化して「弱み」となったのである。

湯之上の主張は説得力がある。ただ、なぜ「高品質病」にかかったかを知りたいという思いが残った。答えを探してたどり着いたのが、日本型の雇用システムである。それを次稿で説明したい。(以下次回に続く)

<参考書籍>

『半導体有事』(湯之上隆著、文春文庫、2023年4月20日初版)

<出席講座>

「間違いだらけの日本半導体政策――今も昔も『経産省が出てきた時点でアウト』」湯之上隆講師、早稲田大学オープンカレッジ(2024年4月13日から6月15日までの4回、各1時間半の授業)

(*注1)ラピダス:次世代半導体の量産製造拠点を目指すため、国内トップの技術者が集結し、国内主要企業からの賛同を経て2022年8月に設立された半導体メーカー(出所:湯之上の講義資料)

(*注2)TSMC熊本工場(第1および第2工場)への補助金は1兆2080億円、ラピダスには9200億円であるが、湯之上は追加で+5兆〜10兆円が見込まれるとする(同上)

(*注3)湯之上は2021年6月1日に衆議院科学技術特別委員会から参考人招致を受けて、意見陳述を行った。その内容はYouTube(https://www.youtube.com/watch?v=iCbyGzxFPWE

)で見ることができる

(*注4)DRAM(Dynamic Random Access Memory)は記憶保持動作が必要な随時書き込み読み込みできる半導体記憶回路。これに対してNAND型メモリは電源がなくても記憶を保持できる不揮発性メモリの一種(Wikipedia)

(*注5)日米半導体協定は、1986年に日米間で締結された協定で、日本製半導体製品のダンピング輸出防止を骨子とする。1991年の改訂では日本市場における外国製半導体のシェアを20%以上に引き上げることを目標とする条項が付け加えられた(コトバンク:百科事典マイペディア)

(*注6)エルピーダメモリ株式会社は、1999年12月にNECと日立のDRAM事業部門が統合して設立(当時はNEC日立メモリ)。その後、エルピーダメモリに名称変更。2003年3月に三菱電機からもDRAM事業の譲渡を受けた。2012年2月に会社更生法適用を申請。2013年3月に米国マイクロンテクノロジーによって買収(出所Wikipedia)

(*注7)日本の半導体メーカー13社によって設立された「セリート」は65nm(ナノ)用ロジック半導体のトランジスタや配線技術を開発した。また2001年4月に発足した国家プロジェクト「あすか」の目標は「日本半導体産業の復権」であった。しかし成果のないまま「セリート」と「あすか」は2011年に終了した。(湯之上の講義資料より)

(*注8)経済産業省『半導体・デジタル産業戦略(2023年6月)』に記載の「半導体の設計・製造基盤(企業シェア)」ページを要約

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