引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆制度が奪う側面も
特別支援学校高等部では3年生になると卒業後の「進路」を考え、進路指導や担当の教員とともに実習先を探し、実習し、「次の場所」を選び、進路を決定しなければならない。一般就労が難しい場合は就労移行支援という福祉サービスを使って一定の期間、就労の準備を行う場合もあるし、一般就労まで時間をかけてゆっくりやりたい、または一般就労を目指さなくても、目の前の仕事をコツコツすることで日々の生活を安定させたいのであれば就労継続支援B型事業所などの選択肢もある。
そして「就労」よりも日々の生きがいを感じながら過ごすには生活介護事業となるし、外出が困難な重度障がいの方には自宅への訪問での支援になるが、どうしてもつながる社会が狭くなってしまいがちだから、活動の幅は広がらない。結果的に「できない」ことをできるようにする可能性をそれらの支援の制度が奪っている面もある。
◆周辺にも発見
この進路に「学び」や「働き」を入れることで制限を超えていこうと「みんなの大学校」では一昨年から進路の選択肢にと、特別支援学校につながり、説明を続けているが、まだまだ浸透はしていない。個別に関係のある特別支援学校や訪問学級のある学校に関しては、私たちの活動が少しずつ知られているようで、自宅でどのように学びが継続できるのかを話し合っていく回数も増えてきた。
対象者が関東近郊であれば私が直接、学校や自宅にうかがって生徒と直接話し、現在のコミュニケーションツールを確認し、高等部卒業後に可能な学びの形を考えていく。その時には周辺の理解や支援が必要となる場合もあり、これら周辺や各地域のリソースをどのように活用するかが課題である。
「学び」により生活を充実させ、オンラインでの同級生を増やすことは、当事者の目指せる未来が広がるはずで、周辺も支援をすることで新しい発見になることは間違いないと思う。
◆よい意味で予想不可能
しかし前例が少ないだけに、社会での反応は様々。特に特別支援学校の高等部という「教育」行政の中にいた生徒が、卒業後に社会人として地域と関わることは、支援の枠組みの中で社会保障費中の福祉サービスで語られるようになるのは避けられない。
その公的費用の目的を考えた場合、短期的な視点でその人への対応と考えるか、長期的な視点でその人の可能性や幸福を考えるかは居住する自治体次第である。そこに私は、福祉行政の中で「学び」を取り入れることにより、人が活性化することの好循環を説明させてもらっているが、それが響くかどうかも担当者の感性に委ねられる。
そんな中で、重度障がい者が学びを継続し、次の可能性を考えるために準備をしていくのを「普通に」考えられないか、という従来の主張に、最近はもう一つの考えが加わった。
それは社会の可能性は「よい意味」で予想不可能であるということである。
◆AIで乗り越えていく
発語が出来ない、身体がほぼ動かない重度障がいの方が視線入力や体の一部の小さな筋肉の動きでコンピュータを動かし、自分の気持ちを文字化したり、音声化したりすることで、他者とのコミュニケーションを豊かにすることは、数年前までは考えられないことだった。
この急速なコミュニケーションツールの発展により、何人かが「みんなの大学校」で学生になることが可能となった。そして現在、さらに生成AI(人工知能)の利用やチャットGPTの活用を考えると、重度障がいによりコミュニケーションに制限があったとしても、その制限を乗り越えていく可能性は極めて高い。
その際に必要となってくるのが一般的な教養や「考える」ということ行為の経験。「みんなの大学校」は、その時のための準備の場にもなりたいと思う。だからこそ、進路先としてみんなの大学校やほかの学びの場の提供をしているところを普通の選択肢としてほしい。
この学びは未来の可能性を広げる準備だと認識したいし、生徒本人はもちろん高等部の先生にも学びの継続を基本に進路を一緒に考えていきたい。
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