「夢のカリフォルニア」を想う時代にはこの曲を
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第281回

3月 10日 2025年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

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特別支援が必要な方の学びの場「みんなの大学校」学長、博士(新聞学)。フェリス女学院大学准教授、文部科学省障害者生涯学習支援アドバイザー、一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。

◆ダンヒル・サウンド

前回第280回で、米国でのトランプ大統領就任とともに始まった強権の発動に伴い、寛容と多様性の輝きを帯びていた米国の美徳が失われているような寂しさを1960~70年代の「サンシャイン・ポップ」といわれる音楽を紹介しながら、考えてみた。今回は1曲にしぼって、その感慨にふけってみたい。

取り上げるのは、ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」(California Dreamin)である。ダンヒル・レコードから1965年に発表され、全米第4位のヒットとなった曲は、日本のTBSがドラマの曲として採用したこともある。

またこのレコードレーベルから発表された曲はヒットを立て続けに飛ばし、「ダンヒル・サウンド」と呼ばれ、一世を風靡(ふうび)した。

ママス&パパスの活動は65~68年の約3年でしかなかったが、この曲は今の時代にひっそりと輝きを増しているようにも思う。

◆教会でひざまずいて

物悲しい曲はジョン・フィリップスとミシェル・フィリップスの夫妻によってニューヨークで書かれたという。

「すべての木々の葉は茶色、空は灰色 私は歩いていた ある冬の日に」から始まり、「安らかで暖かく過ごせたら 私がロサンゼルスにいたら カリフォルニアを夢見てる そんな冬の日」とカリフォルニアの明るい風景を想う、という展開だ。単純に暗い状況下にある人が明るい場所を夢見る、との解釈も成り立つが、この抽象性ゆえに多くの想像力が働く歌でもある。

事実、次の歌詞が意味深い。「教会に立ち寄り 路を進んで 私はひざまずいて 祈るふりをした」。そして「そう 牧師は寒い日が好き 人がそこにとどまるのを知っているから カリフォルニアを夢見てる そんな冬の日」と続く。今、暗い時期だと感じているならば、カリフォルニアは希望の光なのだろうか。牧師にひざまずきながら、安らかで暖かい場所を求める人を想像してしまう。

◆レディー・ガガの「感情」

トランプ大統領が就任して間もない2月、音楽賞の最高峰である米グラミー賞授賞式で、レディー・ガガとブルーノ・マーズがデュエットでこの歌を熱唱した。報道では、山火事で被災したロサンゼルスに敬意を表してと説明し、米国の記事でも「感情的に」歌ったという。

レディー・ガガは米大統領選で女性の声を政治に生かしたいとの主張でハリス副大統領(当時)を支持しただけに、その感情は山火事への哀悼だけではない、と考えてしまう。

またこの曲は多くの人にカバーされ、そのアーティストによって曲の表情が変貌(へんぼう)するから面白い。ザ・ベンチャーズは得意のベンチャーズ・サウンドで表現した。アメリカは1979年にシングルでカバーしたバージョンは、ロック調に生まれ変わった。米国のサウンドとしてなじみのあるザ・ビーチ・ボーイズのカバーがオリジナルだと思っている方も多いかもしれない。カーペンターズも独自のバージョンで歌った。

どれもそれぞれの「夢のカリフォルニア」だ。

R&B、ジャズ、ボサノヴァも

もちろん米国はロックだけではない。

ソウル・R&Bとしてボビー・ウーマック、フォー・トップスは1960年代にカバー曲を発表し、曲は新たなリズム感を得た。プエルトリコ出身の全盲の歌手でスペインギターの名手、ホセ・フェリシアーノはボサノヴァ調で1968年のシングル「ハートに火をつけて」のB面に収録された。

リチャード・アンソニーはフランス語詞「La terre promise」として歌い、ジャズではギター奏法で革命を起こしたウェス・モンゴメリーがギターで明暗を表現した。

オリジナル発表時には米国がベトナム戦争に本格介入し、平和運動が盛んになる時期で、ママス&パパスも運動の象徴ともなった。トランプ大統領の決断が世界に様々な影響を与える中で、この曲が再び注目される時、米国と世界はどんな風景なのだろうか。

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