引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、シャローム大学校学長、一般財団法人福祉教育支援協会専務理事・上席研究員(就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括・ケアメディア推進プロジェクト代表)。コミュニケーション基礎研究会代表。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般社団法人日本不動産仲裁機構上席研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆概念の統一が必要
「インクルーシブ教育」との言葉は一般にまだまだ馴染みが薄い。
障がい者の教育に関わる人には、目指すべき姿として当たり前だが、それ以外の世界では全く認識されていない概念でもある。この乖離(かいり)の現在地だ。
政治やメディアの責任も指摘しつつ、このあたりで大きな国民的な議論には出来ないだろうか、と考えている。特に現在、現場で進行しているのは2014年に日本が批准した障害者権利条約に基づく、「インクルーシブ教育」の実現に向けた動きで、すべてを包摂する教育に向けても、「通常学級に障がい者を入れる」という考え方が先行してしまっている感がある。
新しい「インクルーシブ」の概念を統一しなければ、本来のあるべき姿としてのインクルーシブの実現はほど遠い。だから議論が必要なのだと思う。
◆認知から四半世紀
このインクルーシブ教育の基本となるインクルージョンが世界的に認知されたのは、1994年。ユネスコ(国連教育科学文化機関)がスペイン・サマランカで開催された「特別なニーズ教育に関する世界会議」で採択された「サマランカ宣言」であった。
宣言は「インクルーシブな方向性を持つ学校は、万人のための教育を達成する最も効果的な手段」と明確にすべての人のための教育としてあるべき姿を示したが、この宣言を具体的に検討する態度を日本政府もメディア側もとってこなかったまま、障害者権利条約が採択され、先進国が軒並み批准する中で、日本で条約に対応するための議論が始まることになった。
しかし、その動きも民主党政権と文部科学省、メディアがビジョンを描けないまま、活発することはなかった。これが2014年までの20年である。
民主党政権が2009年12月に障害者権利条約批准に必要な国内法整備に向けて始まったのが、「障害者権利条約の締結に必要な国内法の整備を始めとする我が国の障害者に係る制度の集中的な改革」 とされる「障害者制度改革」。内閣総理大臣(発足当時は鳩山由紀夫首相)を本部長とする「障がい者制度改革推進本部」が設置され、インクルーシブ教育の議論はこの本部に置かれた「障がい者制度改革推進会議」の教育部門の議論から始まった。
同会議は2010年1月から12年7月まで合計38回行われたが、まずは15回を経て第一次意見をとりまとめた、その中で「インクルーシブ教育システム」については「検討を行う」という表現となり、この慎重な言い回しは文科省の消極性を示すものとなった。そして、私が朝日、毎日、読売の3紙を各紙が運営するデータベースで調べる限り、この模様を詳細に報じた記事はなかった。
◆メディアの消極性
この3紙が「インクルーシブ教育」を報じる最初は、朝日が2006年の熊本県版の「障害児教育の専門性考える」であり、毎日が1999年の高知県版で「今どき教育学」という不定期のテーマ企画で「インクルージョン 障害児と健常児を区別せず 統合教育とは一線」との見出しで、新しい考え方を紹介。読売新聞は2010年8月14日の社説で、政府の新たな障害児教育制度が示されたのを受けて「『差別なき教育』全体像示せ」と主張する中で取り上げられている。
朝日と毎日が地域の草の根の動きを関心のある記者が取材し書いた地方発で「インクルーシブ教育」が発出された一方で、読売新聞は社説という全く正反対の「新聞の権威」から示され、その中身も政府に対する反応だった。しかし内容としてはインクルーシブの議論ではなく、全体像への注文。
この3紙を見る限り、インクルーシブの考えに距離感を置いている印象がある。そして現在もインクルーシブが幾分は浸透したものの、その状況はあまり変わっていないように思う。これを「反省」して前に進めたい、と頭を悩ませている。
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