引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、シャローム大学校学長、博士(新聞学)。一般財団法人福祉教育支援協会上席研究員、ケアメディア推進プロジェクト代表。コミュニケーション基礎研究会代表。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆共にある社会に向けて
神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件で、横浜地裁は被告の男性に死刑判決を言い渡し、このほど刑が確定した。重度障がい者への一方的な偏見による身勝手な犯行に「死刑」で区切りを打ってよいはずはなく、私たちの社会がこの死刑囚の偏見を生み出してしまったという自覚を持ちつつ、重度障がい者とともにある社会を具体的に描かなければいけないと考えている。
私の活動に関連付けるならば、障がい者という福祉の中にいる方々へ「教育」という概念を展開することで、共に学び合い、共に生きることを分かち合う、という考えを広く共有するところから始めたい。
この教育とは、鋳型にはめ込む方式の「教え込む」のではなく、各々の特性に合わせた学びはすべて「教育」に値するという考え方であり、それは重度の知的障がい者にも対応する普遍的な思想であり、信念であることを社会の中で確認したいと思う。
◆共にある社会に向けて
重度障がい者への「教育」が、生きることへの尊重につながるという考えた方は、半世紀以上前、重度の知的障がい者施設「牧ノ原やまばと学園」(静岡県牧ノ原市)設立に向けて活動していた故長沢巌先生の文書でも必要性が強調されていたから、今に始まったことではない。
1969年9月のやまばと学園の開設準備を伝える機関紙「やまばと」には、当時、重度障がい者を「隔離」する風潮が残る日本社会にあって、施設を重度知的障がい者の身の安全を守るための「保護」を「隔離」にならないように注意しなければならないと説いた上で、「施設を社会に対して開放されたものにしなければなりません。地域の人々がボンランテヤ(奉仕者)としていつも出入りするなどのことが望ましいと思います」(原文ママ)とし、重度の障がいが「社会に出て働けるようになることは思いもよらない」と書きつつも、「彼らのうちにひそんでいるたとえわずかな能力でも、これをじゅうぶんに伸ばすことが、結局彼らをほんとうに人間として尊重したことになります」とし、教育の概念を強調する件となる。
「ひとりで食事ができるようになるとか、おしめがなくてもすむようになるとかいう、生活のごく基本的な事柄が達成されるだけのことであってもこの子たちにとってはじつにすばらしい進歩であるわけです。(中略)たとえきわめて遅々としていても、成長し続けるのだということを忘れてはなりません」とし、「『保護』とともに『教育』をわたしたちの仕事の眼目にするということです。やまばと学園の『学園』という名前はこの施設が教育の場であることを表しています」と断言する。これが今にも続く学びの場の可能性だと、半世紀前の長沢先生の「熱さ」にうれしくなってしまった。
◆教育者の目
さらに長沢先生は施設にいる方々が「自分のうちにある可能性をできるかぎり実現させるという意味での教育を受ける権利を持っているということです」とし、職員の心得を「子どもたちをほんとうの意味での教育者の目をもって見なければならないということです」と説く。
ここで明確に説かれた「学び」に爽快感を覚えながら、最後に示された「ほんとうの意味」については再度、熟慮する必要がある。この意味を解き明かし、行動に移すことが半世紀も求められながら、いまだに完成していない状況にあり、それが冒頭の「偏見」を生み出す素地を作ってしまったのではないかと思う。
「保護」が「隔離」になってしまっていることで、死刑囚の男が「障がい者は必要ない」との思想に結びついたのだと想像する。そして死刑囚の男は障がい者施設で働き、被害者となった障がい者を知っていたかもしれないが、「ほんとうの意味」で知ることはなかった。長沢先生が言うように「成長している」存在として、「ほんとうの意味」で受け入れることはなかったのだろう。
福祉の中で「措置」という言葉を使ってきた日本社会の反省を踏まえつつ、どんな人へも「ほんとうの意味」での「教育」の思想を持ち、支援者も要支援者も関わりあっていくのが、新しい道筋であり、相模原事件から得る教訓であると思う。これからも「ほんとうの意味」を探っていきたい。
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