引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。◆共にまなび ひろがる世界
首都圏では4月からジワジワと新型コロナウイルスの第三波の不安が広がり、みんなの大学校の前期学期がスタートしたものの、社会全体がどことなく落ち着かない雰囲気のまま。その社会不安はワクチン供給の不透明さや国の政策に関するメッセージの希薄さなどで、寄る辺のない心の状態に置かれてしまっているのと相まって、学びを進めようという学生や関係者が「安心」を保証されなければ、その推進力は鈍化してしまうから、やはり障がい者の学びは社会とともにあるのだと実感している。
その中にあって確実に推進力となりそうな紹介動画が文部科学省の公式チャンネルから発表された。
「共にまなび ひろがる世界 ~障害者×生涯学習~」https://www.youtube.com/watch?v=5bXcg_sXFd0&t=5s
とタイトルされた動画にはみんなの大学校も紹介され、現在の学びが確実に社会に必要なものとされているだけではなく、学びを保障しようとする国の政策を担う文科省がその重要さをアピールすることが画期的だ。
ここから事が動いていく、その前線に立っていることを学生と関係者とで分かち合い、初夏のさわやかな風に乗っていきたいと思う。
◆学習機会の充実
動画ではまず文科省の障がい者の学びに関する調査結果を紹介。「共生社会の実現に向けて障がい者の学習機会が充実されることは重要な取り組みだと思いますか」の問いに、81.1%が「そう思う」または「まあそう思う」、18.9%が「あまりそう思わない」または「全くそう思わない」と回答。
「知りたいことを学ぶための場や学習プログラムは身近にあると思いますか」には32.8%が「とてもある」または「ある」、67.2%が「あまりない」または「ない」とし、文科省は「学校卒業後の学びの場やプログラムが身近にあると感じている方の割合は3割程度にとどまりました」と分析した。公的機関である公民館での学びの場も障がい者への学習という面ではまだ機能しきれていない現状も紹介した上で「学びの場づくりが急務」と結論付けた。
この考えを背景に現在の「学び」の事例として、書家でダウン症当事者の金澤翔子さん、東京都練馬区の「モアタイムねりま」とともに、みんなの大学校が登場することになった。
◆活躍する書家
金澤翔子さんは「活躍する当事者」として脚光を浴びてはいるが、その作品は圧倒的な存在感を放つ。東大寺などの日本を代表する神社仏閣にも奉納され、海外での個展も成功させる様子が伝わっているが、彼女の感性を作品として表現するのは、彼女なりの「学び」があったことは重要なポイントである。
私も彼女が出演するイベントに同席したことがあるが、その書の素晴らしさは言うまでもないが、それよりも興味深く見入ったのが、書を書いた後に与えられた時間で赤い革ジャンパーに着替え、サングラスをかけ、マイケル・ジャクソンの出で立ちで自分のスマートフォンから「ビート・イット」を流し、踊りだしたことだった。「マイケル・ジャクソンが好きです」と言って、はつらつと踊りだした姿に、とても生き生きとした豊かな彼女の感性に触れた気がして心が和んだ。
黒墨で書かれた字だけではない彼女、そして赤い革ジャン姿で踊る姿も、「よし」と思って見守る母親や周囲の方々の目はとても優しかった。この寛容さが彼女の感性を花開かせた基礎となっているのであろう。
◆いつも明るく、楽しい
「モアタイムねりま」も、知的障がいの方を中心に学びを展開する事例として、私にとっては常に学ばせてもらっている存在である。
この場はいつも明るいし、楽しい。当事者とともにある姿が自然で滑らかだから、訪れる人は心地よいのだろう。当事者のインタビューでもその雰囲気が伝わっていた。やはり、学びは楽しくなくてはいけない、を存分に思い起こさせてくれる。
みんなの大学校は、ウエブでつながる学びの場として精神障がいの方や医療的ケアが必要な方に対して機能していることを紹介し、学生委員長の水越真哉さんがインタビューに応じてくれた。長年引きこもり生活だった水越さんにとって学びとは、社会で対処していく力をつけるものだと説明した。その上で私がぐっと来たのは、学びによって「世の中捨てたもんじゃない」と思えるようになったのだという言葉だ。ということは、それまでは世の中は捨てるようなものだった、というかことか。
今「捨てるような世の中」と思っている人に是非学びでつながってほしいと思う。世の中を捨てる前に、是非、つながりましょう。
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