引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。◆倫理の感覚を養う
最近刊行されたジャック・アタリ著『メディアの未来』(林昌宏訳、プレジデント社)は人類のメディア史を振り返りながら、今起こっている現状の必然性を説き、未来のメディアを予測している内容である。そこには悲劇的な現状をあぶりだしながら希望の光も見せてはくれているが、現状のメディアを取り巻く世界、もしくはメディアに取り巻かれている社会を見渡すとその光はほのかではかなく、悲観する気持ちになってくる。
それでもなお、私たちは前に行かなければいけない。明るい未来に向けて、私たちはどこに向かえばよいのだろう。その答えとしても、私が進めていきたいのが、支援が必要な人に向けてのメディア教育なのか、と思う。
メディアの使い方ではなく、メディアとどう向き合えばよいかを考えられるようにする社会倫理の感覚を養うこと、それは私たちが人というか弱い存在であることの自覚から始まるから、哲学的な問いかけも必須だ。
◆学び直しの機運
日本経済新聞が国内主要企業の社長100人を対象に3か月に1度実施している「社長100人アンケート」で、社員のリスキリング(学び直し)に「取り組んでいる」と答えた企業が67.6%だったことが分かった(2021年10月4日付同紙参照)。これは仕事を充実させるためには経験値だけではなく、その社会性を磨くためにもよい風潮だと感じながらも、その内容は少し気になる点もある。
つまり、その内容は、「デジタル・プログラミング」が75.5%とトップで、「語学」が57.4%、「統計・データ解析」が56.4%、「マーケティング・経営」が56.4%。これは文字通りスキルを伸ばすことに重点を置いており、実践に直結した「学び」が優先されている。これらのスキルを身に着け、それを社会に結びつけ、発信し、つながっていくには、幅広い視点と確固たる倫理規範のようなものが必要であるが、この分野への言及も、ましては「学び直し」も積極的ではないようだ。
◆未来を見通すために
メディアでつながる社会において、スキルは可視化しやすいしわかりやすい。社会の中で自分の価値を上げるには有効であろう。その上で考えてほしいのは、そのスキルがどのように利用され社会にとって役立つのかを判断する基礎の部分。これが社会倫理であり、社会経験を経た「大人」だからこそ、倫理を深く考え、スキルと倫理が一対であると気づき、そこから指導側として後進の教育にもつながるのではないだろうか。
アタリ氏は同書で「未来を見通す、そして読む、聞く、見る、知るためにつくられた道具が、ある日突然、われわれの社会を破壊するかもしれない」との指摘は、もう来ており、破壊ではなく社会を組成するために、メディアをいかに活用するかは、私たちの新しい知恵が求められる。
そのベースとして同書では歴史から考察されるメディアの法則性を示しているが、それが希望に向けた出発点とも取れなくもない。
◆日常生活から始めたい
スマートフォンの普及とコロナ下にある社会環境にあって、メディアの位置づけが変わる中、メディアは「活用」から生活の一部となった。私も「ズーム」を通じての「学び」の機会を作っている者として、テクノロジーを道具として生活を構成することの方向性を多くの方とまだまだ考えなければならない。
メディア史から導かれている私たちの「今」を意識するところから、新しい学びが始める、と考えると、新しい船出なような気もしてくる。「未来を見てみよう」とは、最近のフレーズとして心地よいが、社会への責任として未来を創造することを考えるには、やはり基盤が必要だ。
同書が最後にこう記している。「最も重要なこととして、日常生活を破壊する中毒性のあるこれらのメディアの毒牙から逃れるには、日常生活を顧みる必要がある」。日常生活の中から、メディアと倫理を考えることから始めてみたい。
コメントを残す