引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆2つの指摘
障害者権利条約に関する日本の取り組みに対し国連障害者権利委員会は9月9日、日本政府へ勧告(総括所見)を出した。2014年の条約締結後、初めての勧告。懸念が93項目、勧告は92項目あり、特に18歳までの障がい児者を分離して教育する「特別支援教育」の中止の要請と精神科病院の「強制入院」を可能にしている法令の廃止の2点の勧告に注目が集まる。
日本政府及び社会が「必要」としているこれら二つの存在は、国際基準とのズレを浮き彫りにした格好である。勧告に強制力はないものの、国連の指摘に政府への改善方策が求められる圧力が強まるのは必至だ。同時に、この2点については当事者の団体からすでに是正の声は上げられ続けており、社会全体がこれらのズレをどう受け止め、正していくのかが問われているのだと受け止めたい。
◆一緒に、から出発を
勧告では、「通常教育に加われない障害児の分けられた状態が長く続いている」との表現で、私たちが日常的に使っている「特別支援教育」の概念そのものに懸念を表明した。そのうえで、どんな人も共に学ぶ「インクルーシブ(包摂)教育」に向けての国の行動計画を作るよう求めている。特別支援教育をめぐっては、権利委メンバーが特別支援教育を受ける子どもが増えている日本の状況を疑問視し、文部科学省が「特別支援と普通の学校の選択は、本人と保護者の意思を最大限尊重している」と原則的に本人の意思により運用していることを強調した。
特別支援教育が定着している中で文科省が廃止する選択は難しいだろう。しかしながら、定着させてきたその行為に瑕疵(かし)がないかを検討する必要があるし、原則的には「一緒に学ぶ」ことから出発することを関係者が忘れていないかとあらためて問い直さなければならない。数年前の「特別」が機器の発展や環境の変化で「特別」でなくなってくる状況は珍しくない。この勧告から新しい発想で見直すのもひとつの選択だと思う。
◆ほど遠い「強制入院」実態
強制入院の問題は常に日本の精神医療の負との意識がありながらも、当事者の安全の確保や精神医療への理解の浅さなどから改善の議論は停滞したままである。自らの意思によらない 強制入院は欧米から見れば人権上の問題とされ、実態として精神科病院の病床数、入院期間の多さ・長さも改善を求められている。
精神疾患の支援は治療と社会参加を組み合わせて地域社会とともに対応することがノーマライゼーションの基本であることは、すでにグローバルスタンダードのはずが、ここ数年の改善の努力があるものの、日本での実態はほど遠い、というのが国連の指摘である。精神医療に関する対応の遅れの象徴としての強制入院には今後、大きなメスを入れる必要がある。
在宅治療が中心の欧米型にならい、地域社会とのつながりを重視し、活動を地域に移行いていく、医療と福祉、行政が一体的に取り組める仕組みのスムーズな運用が求められる。
◆マインドへの問いかけ
この勧告に先立ち8月には、スイスのジュネーブでは障害者権利条約の日本の建設的対話が開かれ、日本からは100人規模の当事者と支援団体等の訪問団が会場で参加するなど、関心の高さを国際社会に示したのは、大きなアピールになった。
その当事者の思いは、日本社会全体と当事者の置かれた立場が現実離れしていることも示した。特別支援教育と強制入院は全く異なる政策でが、どちらも関わってきた私としては地続きの問題である。それは、障がいのある当事者を障がい者という枠組みに押し込めて、健常者と分断することで「管理」しようとする社会のマインドが根底にある。
今回の改善勧告はこのマインドへの問いかけでもある。自分たちのことを自分たちで決める、という当たり前の権利の行使を出来ない日本社会の障がい者の存在を認識して、社会全体で勧告を受け止めて、なぜできないのかを問い直したい。
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