引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆悩みを共有
コロナ禍により対面での会合を自粛してから2年以上経過し、ウイズコロナの対応が定着しながら、少しずつ会って話す機会が増えてきた。先日、久々に障がい者雇用に関する勉強会と題して、企業や支援施設の方などが少人数で集まり、現状と課題について話し合った。
障がい者雇用の認知度は上がってきているが、障がい者とともに働く現場とそれ以外、支援の現場とそれ以外での障がい者に対する感性の違いはまだまだ大きな開きがある。集った方々は障がい者雇用に真剣に向き合うからこそ、出てくる悩みも多く、真面目にやるほど孤独感にも襲われる。
それらの悩みを共有しながら、社会に根差した障がい者雇用に向けて何が出来るのだろうと顔を突き合わせて考えることは、ポストコロナにおける必要な営みなのだと実感する。
◆雇用の前提
集まったのは、大手企業の特例子会社の担当者や支援機関の支援者、大手企業の管理職ら。福祉サービスとして企業に就労させる支援を行う立場と、障がい者を受け入れ定着させていく企業の担当者では立場も視点も微妙に違う。
さらに障がい者に直接かかわることなく、法人全体を運営する立場の方もおり、そもそも会社はなぜ障がい者を受け入れるのか、という根本的な議論も行われた。これは決してネガティブな議論ではなく、障がい者雇用を社会に広く定着させるために、携わっている者がその問いかけにどのように応えていくかを整理する必要があるとの問題意識である。
この議論の中で、「企業は法定雇用率がなければ障がい者を雇用しないのか」との問いかけについて考えてみた。
◆「動かされている」現状
法定雇用率は障害者雇用促進法に規定された組織の労働者数に対する割合で雇用義務の人数を決める制度のことで、達成できない場合は雇用義務違反となり、雇用納付金を納付する。
企業が障がい者雇用を推進するのは、法の下の義務であることを動機とするのか、雇用推進が組織の社会的責任として考えるのか、もしくは企業や従業員の価値の多様性を知り・広げるための良い機会ととらえるのかは企業文化に左右される。
集まりの中で、大企業の担当者は法の下の義務でしかないのが企業の認識であることを指摘した。障害者雇用促進法は1976年の改正により雇用の義務化が示され、半世紀近くが経過した。障害者権利条約の批准や障害者差別解消法、合理的配慮の義務化など社会的な整備は進んだ。
しかしながら、法の下の義務によって企業は「動かされている」現状はあまり変わらず、企業が積極的な取り組みとして考える事例はまだ多くはないのが私の実感でもある。
◆へとへとになるから
今回集まった「真剣に考える人たち」はそれぞれの現場で奮闘しながらも、誰もが当事者と向き合う姿勢が真摯(しんし)なために、なかなか大きなつながりを得る機会は少ないし、それら小さいながらも確実な取り組みと取り組みはなかなかつながりにくい。だからこそ、つながって助け合えないかと思う。特例子会社の担当者が言ったのは、「疲れている人がほっとできる場所がほしい」だった。
真剣に支援している人は支援に疲れているわけではない。無理解な社会や他者に疲れているのだ。それは私も痛いほどよくわかる。福祉サービスの中で就労支援は企業はじめ社会とつながり、そのつながりは利用者の生活に直結することで責任も重い。
同時に企業側の事情も加味するというマルチな要望を一斉に調整することが求められ、その中で無理解な人は必ずいる。だからへとへとにもなる。理解してもらえないことを愚痴りたくもなる。それを安心して話せる場があってもよい、だろう。勉強会はどんなふうに発展するだろう。次の展開を考えたい。
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