記者M(きしゃ・エム)
新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。新型コロナ禍に伴う在宅勤務が1年以上続く現在の日課は、夜明け前から歩き始める10キロウォーキングと夕方の5キロ程度の散策。不要不急の外出は控え、休みの時は動画配信サービス「ネットフリックス」で見る韓国ドラマにどっぷりハマっている。無料ネットニュースサイト「ニュース屋台村」は今年7月17日で創刊以来、丸8年となる。これまでに発表した論考は計1340本。売りは、多彩な執筆陣と高度な専門性。硬軟織り交ぜて、ニッチな領域にも積極的に取り組んできた。編集から運営まですべて手弁当。執筆陣の方々には「原稿料は儲かった暁(あかつき)に払いますんで」と空手形を切ったまま、「中年おやじの部活のノリ」で続けてきた。
筆者は創刊以来、主に編集面に携わり、これまでに寄せられたすべての論考に最初に目を通して校閲し、アップロード作業を委託しているタイの「バンコク週報」に送信するまでの工程を担当してきた。この先いつまで続けられるか、正直なところわからない。執筆陣はこの8年の間に集散を繰り返し、さまざまな「屋台」を出してきた。そこに通底するのは、われわれが創刊当初の「宣言」で謳(うた)った「日本や世界の将来を見据えつつ独自の座標軸を打ち出す」ことである。手前みそながら、創刊当初の論考を読み返すと、その主張や指摘が現在ある問題の本質を見事に突き、いっこうに色あせていないことに気づく。
創刊9年目に入るに当たり、「屋台村」の軒先で感じてきたこと、いま感じていることを綴(つづ)っていこうと考えた。筆者はすでに二つの「屋台」を出しているが、「本業多忙」を口実に取材を怠ってきたうえに読書量が激減し、のれんは戸口の内側にしまったまま休業の状態だ。加えて、新たな執筆陣が思うように集まらず、このままだと「シャッター屋台村」の事態に陥りかねない。少し気分を変えて、すっかり重くなってしまった腰を「ヨイショ」と上げて新たに出す三つ目の「屋台」は、窮余の一策でもある。
◆「今」を語らぬ首相
東京五輪が7月23日から強行開催されようとしている。筆者はいまだにこの段階でも中止に固執し、中止を諦めていない。
菅義偉首相は、東京都に12日から4回目の「緊急事態宣言」を発令することを正式に決めた8日の会見で、東京五輪開催の意義について「新型コロナという大きな困難に直面する今だからこそ、世界が一つになれること、そして人類の努力と英知によって、難局を乗り越えていけることを東京から発信したい。今回の大会は多くの制約があり、これまでの大会と異なるが、だからこそ、安心、安全な大会を成功させ、未来を生きる子供たちに夢と希望を与える歴史に残る大会を実現したいと思っている」と述べた。「東日本大震災からの復興」や「コロナに打ち勝った証し」という意義付けは、いつのまにか雲散霧消。役人が作文したのだろうが、厚顔無恥にもよくもこんなことが平気で言えたものだと、ますます腹が立ってきた。
6日に開かれた東京五輪の日本選手団の結団式と壮行会を生中継で見た。主将の陸上男子・山県亮太選手や副主将の卓球女子の石川佳純選手ら、ごく少数に限られた出席者は全員マスク姿だった。選手団の選手数は史上最多(582人)というが、大半がオンライン参加。日本オリンピック委員会(JOC)がどれだけ映像技術を駆使して華やかさを演出しようと腐心しても、コロナの感染拡大が「第5波」の入り口にある現状をいっときでも忘れさせるほどの威力はむろんなかった。
菅首相はこの結団式に寄せたメッセージでも、自らの前回1964年の東京五輪の思い出話を持ち出してきた。6月9日の党首討論で、対する立憲民主党の枝野幸男代表から聞かれもしないのに前回の東京五輪について、「当時は高校生だった」と自身を振り返り、「東洋の魔女」と言われた女子バレー選手の活躍などについて、役人が書いた想定問答の原稿にも目をやらず、ここぞとばかり滔々(とうとう)とよどみなく話した、あのくだりである。
何を聞かれても「国民の命と健康を守っていく」。相手が本当に質したいことには真正面から応えず、ただただ「国民の命と健康を守っていく」。代わり映えしない菅首相の無責任な答弁をいつも腹立たしく思っていたところ、7月11日付の朝日新聞の「朝日歌壇」で紹介された永田和宏選の一首を読んで、少しだけだが落ち着くことができた。
「とうとうと半世紀前の思い出を語る首相は『今』を語らず」(大阪府・藤田陽子)
思いは、筆者だけではなかったのだ。率直な思いをわずか31文字に託せるその歌心が実にうらやましい。筆者は短歌は詠(よ)まないが、歌人・永田和宏が好きで、その歌集はほぼ読んだ。毎週日曜に掲載される「朝日歌壇」で永田選の短歌だけは必ず読む。「永田の選は、他の選者のものとは違う」と感じることがあり、自分勝手な思い込みと言われればそれまでだが、何か同意を得られたような「ふむふむ感」を覚えるのだ。
◆五輪への思い、それぞれに
聖火リレーは開催都市である最後の東京都内で9日から始まっている。コロナ下で始まった聖火の公道リレーは、少なくとも14都道府県で中止か一部中止となり、無観客の公園を走ったりランナー同士がトーチの火の受け渡しをする「トーチキス」でつないだりしてきた。都内でも一部の島しょ部を除いて公道での走行は中止に追い込まれた。祝祭ムードにはほど遠く、どこか知らない国の知らない都市で開かれる五輪のようだ。
菅首相に限らず、五輪の思い出はそれぞれあるだろう。前回の東京五輪開催の際、筆者は小学1年生だった。兵庫県赤穂の最西端にある寒村に生まれ、先生1人児童1人の分校に通っていた。祖父がペダルをこぐ自転車の荷台に乗せてもらい、岡山県と兵庫県の県境を通る国道2号の船坂トンネルの兵庫県側の出口で聖火リレーを見物した。砂利(じゃり)か草の生えた土、よくても防じん舗装の細い1車線の道しか知らなかった筆者にとって「国道」は威厳さえ感じさせるような特別な道路で、「この道は東京に通じている」と想像しただけでゾクゾクした。
胸に真っ赤な日の丸を付けた走者のランニングシャツの白と、聖火の炎の赤みがかったオレンジ、目の前をあっという間に走り抜けたあとも長くたなびく聖火の煙の青白色。これらの色は、聖火リレーの沿道の喧噪(けんそう)の中にいた当時の気持ちの高ぶりもあってか、その色が本来持つ以上の映えを放ち、自分自身と周囲の大歓声とともに、57年たった今も鮮やかによみがえってくる。
菅首相は高校生当時にテレビで「東洋の魔女」やヘーシンク、アベベを見た時の自らの感動を今の子どもたちにも味わってもらいたいと思っているのだろう。しかし、それはどだい無理な話である。無観客開催でも「世界で40億人がテレビで五輪・パラリンピックを視聴すると言われている。そうした意味合いにおいて、この大会は世界に発信できる最高の機会になると思っている」と言うが、そもそも開催の前提条件が前回大会とはまったく異なる。
「普通の日常」での開催と、「コロナ禍」での開催。もちろん、両方ともテレビであっても日本選手の活躍はわれわれを勇気づけてくれるだろうし、われわれは熱狂するだろう。しかし、去年3月20日にギリシャから聖火が日本に到着して以来、1年の延期を挟んで、われわれの気持ちは五輪開催に向けて徐々に高まってきただろうか。開幕を23日に控えて、いま「ワクワク感」はあるか。政府・自民党が描く「五輪が始まれば国民は盛り上がる。盛り上がったところで解散に打って出る。そして総選挙で勝つ」というシナリオ通りに果たしてなるのか。
「オリンピックに固執する理由(わけ)ただ一つ 政権浮揚 だから言えない(東京都・十亀弘史)」(7月11日付朝日新聞「朝日歌壇」高野公彦選)。責任ある説明をしないまま、その場しのぎのつぎはぎ対策で問題を先送りしてきた菅政権。入学式や対面授業、部活、運動会、文化祭、修学旅行、卒業式などわれわれ大人が当たり前のものとして体験してきた数々の学校行事の機会が奪われてしまった子どもたちの「どうして五輪だけはいいの?」という問いかけに、われわれ大人は形を変えて今秋の投票行動で応えてみせよう。
「五輪の政治利用」は指摘されて久しいが、今回ばかりはわけが違う。新型コロナの感染拡大の脅威と不安が強まる中、中止や延期を求める声が過半を占める世論を無視し続けてきた菅政権。「なにがなんでも」が意義になってしまったような開催強行は、「五輪はいったいだれのためのものなのか」という素朴な疑問をわれわれに突きつけている。
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『読まずに死ねるかこの1冊』第3回だれも避けられぬ永訣の時(2013年8月23日)
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