元記者M(もときしゃ・エム)
元新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は3年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。
◆日本は案外幸せな国?
ほぼ確信的に言えることだが、私自身もかつてそうだったように、日本を離れ海外で長く暮らしている日本人の多くは、日本の現状を自虐的に見たり考えたりして批判する傾向があるようだ。彼らの思い描く日本の姿は、最も繁栄した「古き良き時代」のほんの一瞬を切り取ったもので、不可逆的な今の世の中にあっては決して戻ってこない画餅(がべい)に他ならない。
しかし内心、それが十分わかっていながら、日本を離れている時間が長くなればなるほど、古き良き時代に味わった自らの体験と日本への郷愁的な気持ちや応援したい気持ちがついつい過剰に合わさって倍加され、憎悪にも似た気持ちに逆転してしまうことさえある。かつての日本は「ユートピア」のように思えたのに、その現状を海外から見ると、目を覆いたくなるほどのなんという体たらく――。日本への自虐的な思いも不信の念もいっそう強まるのだろう。
世界の覇権を争う大国がそろって「自国第一主義」へと突き進むなかで、日本は軸足の置きどころさえ定まらなくなりつつある。
あくまで仮定の話だから荒唐無稽(こうとうむけい)と言われるだろうが、日本を外からながめていると実のところ、「われわれ日本人は日本の外のことを気にしなかったり、敢えて知ろうとしなかったりしたら、案外幸せな国に住んでいるのかもしれない」と思えてきた。まさに「脳天気」な独善的な言い分だが、本当に真剣に考えなければならないことをずっと後回しにして、世界観や大局観を欠いたどうでもいい些細なことばかりに神経質になっている日本や日本人にとって、「皮肉もいいとこだ」と解釈されれば、それこそが私の狙いであり、本望である。
書き出しから恨み節がすっかり長くなってしまったが、「回遊生活」先の豪州で見たり感じたりした日本を綴(つづ)っていこう。
◆「ニュース」にならない?日本
オーストラリアでの「回遊生活」は終盤に入ってきた。だが、シドニーに到着した3月初め以来、日本の政治経済、社会の動きは現地ではいまだにまったく報じられていない。もちろん、自民党の政治資金問題も、岸田首相の訪米も。特に岸田訪米では、日米首脳共同声明「未来のためのグローバル・パートナー」のなかに、豪州が加わっている日本・アメリカ・インドとの4か国の戦略対話の枠組み「QUAD(クアッド)」の連携強化や、米英豪の安全保障の枠組み「AUKUS(オーカス)」への日本の関与と協力が謳(うた)われていながら、である。豪州のメディアが無関心なのか、日本の動きが豪州に及ぼす影響がないとみられているのか。
実は、オーストラリアは日本人の多い国である。日本外務省の「海外在留邦人数調査統計」(2023年10月1日現在)によると、海外に住んでいる日本国民は、1位の米国(41万4615人)、2位の中国(10万1786人)に次いで、オーストラリアは3位(9万9830人)で、以下、4位カナダ(7万5112人)、5位タイ(7万2308人)、6位英国(6万4970人)、7位ブラジル(4万6902人)、8位韓国(4万2547人)、9位ドイツ(4万2079人)、10位フランス(3万6204人)などと続く。
在留邦人の数がタイより多いというのは意外だったが、日本のニュースがこれまでのところまったく報じられていないのはもっと意外だった。
日本をたった3か月離れている間に円相場が記録的な水準にまで下落(4月29日の外国為替市場で一時1ドル=160円台まで下落し、1990年以来、約34年ぶりの円安水準を更新)、「回遊生活」にもボディーブローのように徐々に少なからず影響が出るなかで、私自身も、日本への見方がまたまた、しかも加速して自虐的になってきてしまったようだ。
◆反中国プロパガンダ劇
豪州での「回遊生活」を始めて2週間ほどたった3月16日夜、私は妻や義妹らと連れだってシドニーの街のど真ん中にある、歴史ある劇場キャピトルシアターにいた。中国の古典舞踊と音楽の芸術団「神韻(シェンユン)」のシドニー公演を見るためである。
神韻は、中国国内で「反政府宗教団体」と認定され、活動を禁止されている気功団体「法輪功」傘下の芸術団で、2006年に米ニューヨークで設立された。演目には、オーケストラの生演奏を伴う中国の5千年にわたるという古典舞踊と民族・民間舞踊、舞踊劇などがあった。
ある劇中では、共産党を象徴する赤い大きな鎌とハンマーのマークが背中についた黒服姿の悪者たちが出てきて、法輪功のシンボルカラーの黄色の旗を振る学生に暴力をふるって迫害、これに学生が非暴力で対抗し、最後に黒服姿の男たちは諦めて退散していく物語が描かれていた。
明らかな反中国政府のプロパガンダ劇で、私も含めて観客の多くはその意味するところをわかっていたはずだが、美しく華やかでアクロバティックな演技や、目を見張るほど色鮮やかな背景のCG(コンピューターグラフィックス)の演出にすっかり魅了され、政治的な意味合いの「気味悪さ」が希薄化し、知らず知らずのうちに見入ってしまった。
神韻の今回のシドニー公演は、「2024日本公演」(2023年12月~24年2月、札幌、東京、名古屋、大阪、福岡など12か所で開催)に続く海外公演で、日本と同じ演目だったので、日本で見た人もいるだろう。
私たちはこの夜、キャピトルシアターの2階席(1人165豪ドル=約1万6500円)で観劇した。日本ではそもそも観劇などしないし、こんな値の張るチケットを買うことはまずないが、この日が神韻シドニー公演を見るのが2回目だという義妹が「せっかくのチャンスだから絶対見るべきよ。買ってあげるから」と、われわれが渡豪する前に予約してくれていた。
劇場はほぼ満席。着飾ったカップルや家族連れ、丈(たけ)の長い紅色のチャイナドレスで正装した中年の女性のグループなどもいて、幕間(まくあい)や舞台が終わった後の劇場の入り口は華やかな社交場のような雰囲気だった。「ドレスコードは特になし」と言われていたので、ポロシャツに長ズボン、スニーカーをはいていた私はちょっと気後れした。
ただ、偶然とはいえ、太平洋島しょ国の周辺などで海洋進出を強める一方、日本にとってはニュースとして取り上げられない日がないほどその存在感と警戒感が高まっている中国に関連して、このタイミングで神韻シドニー公演を見ることができたのは、私自身の中国に対するさまざまな問題意識を改めて喚起する意味でとても意義があった、と内心思った。
◆中豪関係雪解け、正常化へ
神韻シドニー公演を見たその2日前の3月14日、中国外務省は王毅共産党政治局員兼外相が17~21日にオーストラリアとニュージーランドを訪問すると発表した。中国外相の訪豪は2017年以来。「中国外相、豪州訪問へ」のニュースは、中国外務省の発表と同時に公共放送ABCをはじめとする豪メディアや各国のメディアがこぞって報道していたので、私も知っていた。
中豪関係は、自由党のモリソン首相(当時)が2022年、新型コロナウイルスの発生源に関する独立調査を要求したことに中国が猛反発し、石炭や牛肉、大麦、ワイン、イセエビなどのオーストラリア産一次産品に高い関税をかけたり、非公式に通関を停止したりして経済制裁を実施していた。
しかし、22年に発足したアルバニージー労働党政権は「中国とは一致できる点では協力し、国益に照らして一致できない点では協力しない」と是々非々で対応する立場で、徐々に関係改善を推進。アルバニージー氏は23年11月に豪首相として7年ぶりに訪中。習近平国家主席と会談し、外交関係の正常化で一致した。
こうしたなか、首都キャンベラで3月20日、ウォン外相と王毅外相による中豪外相会談が行われた。報道によれば、ウォン氏は、台湾海峡や南シナ海での中国の威圧的な行動に懸念を示し、緊張を緩和するよう要請。これに対し王氏は中国の基本的立場を説明した上で、「中豪関係の発展は第三者の影響や干渉を受けるべきではない」と指摘。米英豪の安全保障の枠組み「AUKUS(オーカス)」に基づく豪軍への原子力潜水艦配備計画などを念頭に、対中抑止力強化の動きをけん制。両外相は最終的に、ハイレベルの対話を重ねて中豪関係の安定化を図ることで一致した。
一方、香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」(電子版)の4月11日付の報道によれば、中国の李強首相が6月第3週に訪豪し、豪州産イセエビへの禁輸も解除する見通しだという。中豪両政府はこれまでのところ、これについて何もコメントしていないが、実現すれば、3月の王毅外相の訪問に続き、中豪関係の正常化を象徴する動きとなる。
中国は王毅外相の訪豪後の3月28日、豪州産ワインへの高関税を撤廃した。外相会談の際には発表せず、王毅外相の帰国後にさりげなく「後出し」で公表するというところにも、中国外交のしたたかな戦術の一端を垣間見せるようだ。ワインへの高関税撤廃に続いてイセエビの禁輸も解除すれば、一連の制裁のうち残っているのは、一部の処理場で加工された豪州産牛肉のみとなる。
◆中国の冷徹な外交戦略
豪州にとって、中国は貿易額全体の3割を占める最大の貿易相手国だ。ただ、中国の豪州向けの一連の経済制裁は、200%以上の関税を課していたワインこそ大打撃を受けたものの、一部の業界を除いて実質的な効果はほとんどなかった。経済再開や供給制約、ウクライナ戦争などの影響で国際商品価格が高騰したこともあり、制裁開始前と比べて豪州から中国への輸出額は全体でむしろ増えている。
労働党政権発足と経済関係再開を背景に、中国は豪州との関係改善を進めることで、豪州が加わっている日本・アメリカ・インドとの4か国の戦略対話の枠組み「QUAD(クアッド)」や、米英との安全保障の枠組み「AUKUS」を念頭に「対中包囲網」の一角を崩し、米国をけん制したい思惑もあるとみられている。
豪公共放送ABCは王毅外相の来豪の際、その狙いや中豪外相会談などについて連日詳報。この中で、シドニー工科大学准教授(中国研究)のFeng Chongyi氏のコメントを紹介した。
同氏は「豪政府に対中関係の安定化を促す中核的な影響力を持っているのはビジネスと貿易部門であるというのが、王毅氏が考える対豪外交の基本戦略だ」と指摘。その上で「王毅氏は、アルバニージー首相の(来年の)2期目があるかないかの礎石が豪経済の安定と成長にかかっていることを十分承知している」と洞察(どうさつ)し、「中国はオーストラリアを(対中包囲網の)突破口として利用している」と分析した。
同氏の分析が正鵠(せいこく)を射ているとすれば、王毅外相や中国政府には「米国の言いなり」の色濃い現在の日本政府には足元にも及ばない、この上なくしたたかで冷徹な計算ずくの「確信的外交戦略」があると言わざるを得ない。(以下次回に続く)
※『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』過去の関連記事は以下の通り
第16回「円安と物価高のWパンチに萎縮―『4か国回遊生活』オーストラリア再訪編」(2024年4月10日付)
https://www.newsyataimura.com/kisham-19/#more-14739
第17回「アナログかデジタルか 葛藤と相克―『4か国回遊生活』オーストラリア再訪編(その2)」(2024年4月22日付)
https://www.newsyataimura.com/kisham-20/#more-14751
『記者Mの外交ななめ読み』第13回「ASEANの舞台で歴然とした日中の外交力の差」(2016年7月29日付)
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