小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住24年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
◆「マイケル・サンデルの白熱教室」の議論
今年3月に日本に一時帰国した際、私が面白いと思ったテレビ番組の一つに、NHK Eテレの「マイケル・サンデルの白熱教室」がある。マイケル・サンデルは米国の政治哲学者、倫理学者でハーバード大学の教授を務める。この「ニュース屋台村」でも「視点を磨き、視野を広げる」シリーズを執筆している古川弘介さんが彼のことを取り上げている。このマイケル・サンデルが米ハーバード大学、中国復旦大学、東京大学・慶応大学の学生たちとコロナや戦争など現代の課題について議論する番組が「白熱教室」である。とにかく学生たちが真摯(しんし)に議論するのがうれしい。昨今よく見られる「相手を打ち負かすためのマウンティング」とは大きく異なる。自分たちの立場や意見を論理的に正々と述べる。またその意見が、各人の属する国の置かれている状況によって大きく異なっているのが面白い。まずは彼ら優秀な学生たちの議論に注目しよう。
最初に取り上げたいのは「パンデミックは民主主義の弱さを示したか」という議論である。議論に参加した学生は各国6人ずつの計18人。米国人学生の半分の3人、日本人学生5人、中国人学生全員の6人が「民主主義の弱さを露呈させた」と答えた。この時、日本人学生と中国人学生は「科学的に正しいことを実践する場合は、強いリーダーに任せたほうが効率的だ」と主張した。中国ではまだ強硬なロックダウンを強いる「ゼロコロナ政策」が成功しているときの議論であったことを考慮しなければならない。それに対し、米国人学生の一部は「科学は常に正しいわけではない」と答えている。「科学自体が世界に真理の一部しか解明できていない」という事実を指摘したハーバード大学の学生のレベルの高さに、私はびっくりした。科学が不確実であるがゆえに、異なった意見を許容する民主主義が必要だという。しかし世の中の大半の人は「科学で解明された」といえば盲目的に信じてしまうだろう。
さらに日本人学生や中国人学生は「政治は効率的に推し進めたほうが良い」と考えていることがここでうかがわれる。こうした考えは古代から存在する。ギリシャのアテネでは、民主主義が腐敗し衆愚政治に陥り、「哲学の祖」とされるソクラテスが市民裁判で処刑された。このため、その弟子プラトンは「哲人政治」を訴え、衆愚政治からの脱却を目指した。「見識のある人によって政治が行われた方が、より良い国家がつくられる」という考え方である。「豊かな国」や「強い国家」など「国家の進むべき方向」を強く想定する人たちならば、こう考えるかもしれない。
続いて、「米国型民主主義は衰退しているか?」という類似した質問に、米国人2人、日本人4人、そして中国人6人全員が同意した。これに対し残りの米国人4人、日本人の2人は「現代は民主主義と専制主義の対立が生まれている」と答えた。米国人学生の過半は「米国型民主主義の強さ」を疑っていないようである。一方で、米国人2人を含む多くの学生が民主主義の衰退を感じていることは、押さえておかなければいけない事実であろう。
◆「中国は民主主義国家」という主張
さらに次の議論が大変興味深かった。「中国は民主主義国家と言えるか?」という質問に米国人は6人全員、日本人は4人が「民主主義国家ではない」とした。これに対し、中国人6人は全員「中国は民主主義国家である」としたのである。
この中国人の回答に対して私は二重の意味でびっくりした。「中国人が自国を民主主義国家だと思っている」という事実と、「私自身が全くそうしたことを想定していなかったこと」に対してである。マイケル・サンデルは中国人学生に対して、民主主義の要件である「直接選挙」「複数政党制などの権力の分立」「言論の自由」が中国に存在するかを聞いた。これに対して中国人学生に返答は以下のようなものであった。
①中国の指導者たちは真に中国人民のことを考えて施策を展開しており、この点で西欧の民主主義国家よりも人民主権を優先している
②地方における代議員選挙は直接選挙であり、政党も共産党以外に複数存在する
③言論の不自由は一部残るものの、米国とさして変わらない程度だと思っている。トランプ前大統領のツイッターが削除されるなど、米国でも言論の自由は保証されていない
中国人学生がどの程度真剣にこう考えているのかはわからない。しかしディベート慣れしているのであろう。こうした議論を正々堂々と英語で展開する。誰でも自分の国を愛する気持ちに変わりはない。しかし「中国人学生が、自分たちの国を民主主義国家だと信じている」と私はつゆほども思っていなかった。多分私の頭の中も「反中国思想」にかなり洗脳されているのであろう。中国人学生の主張を聞いて反省した。
◆「民主主義への盲目的信仰」
果たして、私たちの住むこの世界は今後どうなっていくのであろうか? 私は「ニュース屋台村」の拙稿第132回「日本の民主主義を考えてみる」(2018年11月22日付)で、「民主主義」について取り上げた。この論考の中で、私はヨーロッパがその歴史の過程でどのように民主主義を確立してきたのかを振り返った。また、民主主義の歴史的な背景の希薄な米国と日本では、人々に民主主義の重要性が十分に理解されていない可能性を指摘した。特に日本人の場合は宗教観が薄く、かつ第2次世界大戦の敗戦により戦前の価値観が全否定されてしまった。このため、戦後長らく民主主義は人々にとっての「絶対的価値観」まで高められてしまった。日本人による「民主主義への盲目的信仰」である。しかし新型コロナウイルスと米中間の緊張の高まりによって様相はすっかり違ったように見える。民主主義への信頼が揺らいでしまっている。しかし、こうした民主主義への信頼の揺らぎは、かなり以前から進行していたと私は考えている。
日本を例に考えてみよう。日本が民主主義国家であることについて、日本人は誰も疑っていないであろう。「直接選挙で国の代表である国会議員を選び、憲法で国民の主権が守られている。日本が民主主義国家でなければどこの国が民主主義国家と言えるのか?」。こんな声が聞こえてきそうである。
しかし今一度、マイケル・サンデルが規定する民主主義国家であるための3要件「直接選挙」「権力の分立」「言論の自由」が現代の日本に存在しているのか検討してみたい。
まず第1の要件であるが、国の代表である国会議員の選出が「直接選挙」で行われている。この点では立派に民主主義の要件を備えていると言える。ただし地方の人口減少に伴い「一票の格差が3倍程度まで広がっていること」は指摘しなければならない。現状、一票の格差を是正することによって政権交代が行われるほどの影響力はない。しかしこの格差によって都市住民の投票行動に影響を与えている可能性はある。選挙の低投票率も日本の民主主義の大きな問題点である。
次に「権力の分立」については大きな疑念が残る。日本には形式上の「三権分立」はあるが、実際には機能していないと私は考えている。安倍晋三元首相時代に首相官邸に権限が集中し、官僚の人事権も官邸に握られてしまった。このため立法・行政・司法の「三権分立」が機能していない。さらに言えば、中央銀行の独立性も官邸に奪われてしまった。「日本銀行は政府の子会社である」との発言が、軽々しく首相経験者から出ることに驚きを覚えてしまう。
最後の「言論の自由」だが、雑誌に掲載された政治記者の記事によれば「安倍元首相は国会で118回の虚偽答弁をした」という。また「森友事件」、昨今の「元統一教会」問題でも各省庁から黒塗りされた書類が公表されている。日本では国家の最高機関レベルで虚偽や隠ぺいが堂々と行われているのだ。言論の自由の擁護を目的としたジャーナリストによる非政府組織「国境なき記者団」の直近の評価によれば、日本の「報道の自由度」は180か国中71位である。こんな国に「言論の自由」があると言えるのであろうか?
◆人々は「豊かさのへの回帰」を求めている
しかし、このような状況は日本だけの話ではない。安倍元首相の盟友であった米国のドナルド・トランプ前大統領も似たようなことをしてきた。自身の大統領選挙に介入して選挙結果を覆してみたり、司法の独立性を脅かしたりしてきた。ツイッターでの政敵攻撃も決して褒められたものではない。英国のボリス・ジョンソン首相も自身の虚偽発言が退陣の契機となってしまった。やはり民主主義の形が壊れかけているようである。
「壊れかけの民主主義」の間隙(かんげき)を縫って登場してきたのが、まさにトランプ前大統領、ジョンソン首相、安倍元首相などである。なぜこのような人たちが政治の表舞台に出てきてしまったのであろうか? それは「民主主義が経済的に破綻(はたん)してきたからだ」というのが私の見解である。
拙稿第132回でも指摘した通り、古代ギリシャおよびローマの民主制(ローマは共和制と呼んだ)は奴隷制の上に成り立っていた制度である。困窮の心配のない豊かな民であったからこそ、何の心配もなく自分たちの権利を主張できたのであろう。
現在でも、民主主義国家と呼ばれる国は経済的に豊かな欧米先進国に多い。米国の経済学者フランコ・ミロノヴィッチが指摘したように、近年は欧米先進国の上流・中流階級の没落が激しい。日本に限って言えば、日本そのものが「失われた30年」によって先進国から脱落しようとしている。
こうした中で、人々が求めるものは「民主主義」よりも「豊かさのへの回帰」に変わってきているような気がする。前述の「白熱教室」の中での3か国の大学生の議論でもわかる通り、国家の進むべき方向を強く意識する人たちは「見識あるリーダーによって効率的に政治が行われたほうが、よりよい国家がつくられる」と考える傾向がある。
安倍元首相が見識あるリーダーであるかは議論があるところだろう。しかし、日本が貧しくなってきたことが、日本国民に強いリーダーを求めさせた一つの要因である可能性が高い。日本の民主主義は壊れかけているかもしれない。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第132回「日本の民主主義を考えてみる」(2018年11月22日付)
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