п»ї 日経・紙媒体が消えた日 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第234回 | ニュース屋台村

日経・紙媒体が消えた日
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第234回

2月 03日 2023年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住25年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

タイで長らく宅配されてきた日本経済新聞(日経)の紙媒体が、昨年12月31日をもって廃刊になった。日経は2006年9月からタイで現地印刷・宅配を始めたとのことで、私は16年以上、日経の紙媒体のお世話になってきたことになる。海外にいながら日本の情報を新聞で毎日得られることなど、昔は考えられないことだった。それだけに、この期に及んで、日経の紙媒体が廃刊になったことへのショックは大きい。年寄りの戯言(たわごと)になるが、35年に及ぶ海外生活をしてきた私が、情報収集に苦労してきた過去を振り返ってみよう。

◆テレックスをむさぼり読んだ最初の米勤務

私が東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)に就職したのは1977年、今から46年前である。就職先からの強い推薦もあって早速、日経と経済週刊誌2誌の購読を始めた。ところが、酒と音楽と哲学に溺(おぼ)れた大学時代を過ごした私には、日経の内容はちんぷんかんぷんである。記事として掲載されている企業名の半分以上は知らない名前で、新人時代の私には日経は無用の長物に思えたものである。

ところが、入行後2年目に「事業調査部」という部署で4か月にわたる企業分析の研修を受けることになった。まだパソコンもない時代である。加算器を片手に膨大な時間をかけて表計算をしなくてはいけない。課題である企業分析のレポートの作成のため、週に2、3日は行内で徹夜作業をした。こうした企業分析活動を通して少しずつ各社の企業活動の内容が分かってきた。新聞や経済週刊誌についてもなじめるようになってきた。

1980、81年に米ロサンゼルス(LA)に赴任した。当時はコピーやファクスの技術も未成熟な時代で、日本と海外の通信は「テレックス」と呼ばれる電報のようなシステムに頼っていた。日本とLAには半日以上の時差がある。このためLA支店では毎朝、テレックスを受信する部屋に日本人行員が集まり、日本からの情報をむさぼり読んだものである。

さらに午後になると、LAに支局を置く日本の報道機関から2、3ページのガリ版刷りのような「時事速報」が送られてきた。私の記憶が正しければ、日本の新聞の記事のタイトルだけが記載されていた。私たちが手にできる日本の情報はせいぜいこの程度のものであった。

2回目の海外勤務もLAだった(87年から94年まで)が、この時は状況もかなり改善されていた。海外とのファクス通信も可能になったため、日本の親銀行の国際部から毎朝、主要新聞の切り抜きが送られてきた。これをコピーして各部署に配布することで業務に必要な情報を入手できるようになっていた。また、時間帯が制限されていたとはいえ、NHKによるテレビ配信も1日に数時間は見ることができるようになっていた。「リトル・トーキョー」と呼ばれる日本人街には日本の大手書店が出店していたため、数日遅れだが日本の週刊誌も手に入った。

◆情報があふれかえる時代を生きる

米国での勤務を終えて94年の暮れに日本に帰ると、国際関連・資金証券関連の部署で働くことになる。早速、新聞2紙と経済週刊誌2誌を自分で購読し始めた。当時の銀行はバブル崩壊による巨額の不動産融資の焦げ付きを抱え、大手銀行といえども倒産の危機に瀕していた。

東海銀行も例外ではない。私は主に海外業務の縮小と国際部門のリストラを担当することになった。時間との闘いである。やるべきことは途方もないほど多かった。朝8時から深夜2時過ぎまで銀行に残り、身を粉にして働いた。それなりのポジションになっていた私は、銀行が購読契約している新聞や雑誌を見ることもできた。ただ、時間がない。出勤途中に自費で購読していた新聞に目を通すのが関の山である。邦銀他行の動向や国際金融の情勢を中心に目を通していた。

その時代に、私にとっては極めて印象的な出来事を経験した。広報部の依頼に基づき、ある大手紙の取材を受けることになった。テーマは、リストラ下にある都市銀行の海外戦略についてである。取材前に広報部の担当者は記者をしきりに夕食に誘っていた。この接待の申し出に対して、若い記者は横柄に応諾していた。自行にとって都合の悪いことを新聞に書かれては大変なことになる。記者に対して「下にも置かない」対応である。

広報部の担当者が退席し、記者と2人だけになると、その記者は私に「東海銀行は財閥系でもなく、うちの新聞に広告をあまり打っていないので、おたくの都合の悪い記事でも書きやすいんです」と、平然と言ってのけたのである。「新聞は社会の木鐸(ぼくたく)である」と100%信じ込んでいた私は、ジャーナリズムの世界の裏側を見て愕然(がくぜん)とした。もちろん、こうした無礼極まりない記者ばかりではないことぐらい私も知っている。「真実をありのまま書こう」と懸命に努力している記者も少なからずいる。ただ私はその時、ジャーナリズムの世界にも利害や力の関係が働いていることを実感したのである。

東海銀行の国際部門のリストラの道筋が見えてきたのは97年ごろである。ちょうどその頃、タイを皮切りにインドネシア、韓国と次々にアジア通貨危機が襲った。いつの間にか再建業務のスペシャリストとなっていた私は、98年4月にバンコク支店長兼バンコクファースト東海(東海銀行とバンコック銀行の共同出資の金融会社)社長としてタイへの赴任を命じられた。東海銀行のリストラ施策は一定の成果が出ており、97年には自己資本比率にも余裕が生まれ、新たな融資が実行できる状況になっていた。一方で、他の大手邦銀は自行のリストラの最中にあり、財務状況が悪くなったタイの日系企業から「貸しはがし」を行っていた。

タイに赴任した私は、提携銀行であるバンコック銀行からバーツ資金を調達し、積極的に日系企業に融資した。しかし、日系企業との取引を行うのはほぼ初めての経験であった。ましてや、赤字や債務超過の日系企業に融資するのである。銀行員として怖くないわけがない。このため社用車を毎年3万キロ運転し、顧客訪問を繰り返した。自らお客と向き合い、工場見学を繰り返すことにより融資判断の確証を築き上げた。

さらに、新聞や雑誌も隅々まで読みあさった。日本の新聞や雑誌は半日から数日遅れになるが、日本もしくはシンガポールから配送される。新聞3紙と週刊経済誌3誌を銀行の経費で購読し、必死になって日本の産業界の情報をかき集めて業務に活用した。2006年からは日経がタイで印刷を始め、日本にいるのと同じ条件で読めるようになった。

この時代からの習性で、私は昨年末まで日経と経済週刊誌3誌、政治経済月刊誌1誌を定期購読していた。さらにバンコクには共同通信と時事通信が支局を置いており、タイ、東南アジア、日本の情報を有料で毎日メールで配信してくれる。ここ10年のインターネットと携帯電話の急速な発展で、いまやどこにいても世界中の情報が瞬時に得られるようになった。情報があふれかえる時代になったのである。

◆紙媒体の優位性とマスメディアへの期待

タイでの日経の紙媒体の宅配中止の案内は昨年10月に届いた。その案内には、紙媒体の代わりにインターネット(電子)版での購読継続の依頼が併せて記載されていた。ほかに選択肢はないと思い、電子版の申し込みを途中まで行ったが、購読料の支払いのところで手が止まってしまった。果たしてお金を出してまで電子版の購読を申し込む意味があるのであろうか? 一度ゆっくり考えてみようと考えたのである。

そうこうしていると、インターネット上で先日、元日経記者で経済ジャーナリストの磯山友幸氏による「この1年で200万部以上も減少した…全紙合計で3084万部しかない日本の新聞が消滅する日」というプレジデントオンラインの記事を読んだ。それによると、日本の新聞発行のピークは1997年で5376万部あった。それから25年。発行部数は6割弱の3084万部にまで落ち込んだというのである。

その理由として、磯山氏はインターネットの発達による情報ツールの変化を挙げている。2007年に発売されたiPhoneに代表されるスマートフォンに押され、紙媒体の新聞、雑誌、書籍、辞書、ノート、計算機、カメラ、音響機器、ゲーム機など多くのものが絶滅の危機の瀕(ひん)している。一昔前は、電車に乗れば人々は新聞・雑誌を広げて読んでいるのが一般的であった。しかし、いまはほとんどの人がスマホをいじっている。スマホを開けば無料の情報が氾濫(はんらん)し、「わざわざお金を出して新聞を読む必要がない」と考える人が増えてしまったのである。

しかし、磯山氏は紙媒体の新聞の優位性を強調する。その第1は、紙媒体自体の大きさが持つ一覧性である。見出しが目に飛び込んでくることによって、一瞬で情報を把握することができる。2つ目に、興味のない情報も掲載されていることから、意外な情報に巡り合えることができる。全くその通りである。ほかにも、各記事の紙面に占める割合や掲載場所によって、情報の重要度が認識できる。だからこそ私はこれまで日経の紙媒体を購読し続けてきたのである。しかしその紙媒体が廃刊となった今、果たして電子版に切り替えるべきなのか。この記事だけでは判断できなかった。

そもそも、私が新聞や雑誌などのマスメディアに期待しているものは何なのだろうか?

①世の中で起こった事実や事件を迅速に伝える

②その事実の裏側にある物事の仕組みを明瞭(めいりょう)に解説する

③事象の裏側にあるものを科学的に分析したり将来を予測したりしてリスクを警告する

④情報・データを保管する

どうもこの4つに収束するようである。このうち私にとっては、①はインターネット情報と共同通信、時事通信のニュース配信で対応できそうである。磯山氏が述べるように、インターネットはAI(人工知能)を使って私の興味がある情報を配信してくる。知らず知らずのうちに誰かに情報操作されている。しかし手立てがないわけではない。スマホのアプリからNHKやCNN、さらには日経電子版の見出し(見出しは無料で閲覧できる)を見れば、比較的中立的な情報が得られる。②についていえば、私見だが最近の新聞はスポンサーや政府寄りに偏った記事が多くなったような気がする。ニュースの出所として政府機関(警察を含む)や企業が多いため、批判的な記事は出てこない。「メディアの業績が停滞する中で取材に掛ける金と時間が無くなっている」とも聞こえてくるが、関係者を丹念に取材し核心を突いた記事をあまり見なくなった。③については、新聞よりも経済週刊誌の方が役割として優れている。日経では最近ようやく、政府の施策に懐疑的なレポートを掲載するようになったが、私には経済週刊誌で十分に事足りている。④について、私は現在も新聞や雑誌の切り抜きをファイルして保管している。日経の代わりに、最近では①で挙げた共同通信や時事通信の配信記事をファイルしている。それでなくてもネットで検索すれば簡単に過去記事を見つけることができる。便利な世の中になったものである。

こうして考えてみると、タイで紙媒体がなくなった日経の電子版を購読する必要性が今のところ見つからない。しかし、結論を出すにはまだ早すぎる。電子版を購読しないままだと私の仕事にどんな影響が出るだろうか? しばらく実験してみるのも一興である。

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