小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住25年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
今から5年ほど前になるが、人材紹介会社の社長に「転職に際し有利な職種」についてお聞きした。すると、その社長は即座に「1に営業、2に営業、3、4が無くて5に国際」と返された。私はその返答を聞いてビックリしたことを覚えている。長らく銀行員を務めていると、「銀行の中で出世する人たちは、人事・企画部門の人が多い」ことがわかる。このため、一般の企業でもこうした管理系の人たちが重宝がられると考えていたが、どうも違うようである。逆に「こうした管理系で地位も上り詰めた人たちは、転職後に一番面倒を起こす人です」と、その社長から言われた。「なぜなら、人に指示することしかできず、コピー1枚自分では取れないからです」。余談ではあるが、それ以来、私はなるべく自分でコピーを取るようにしている。営業職が世の中でそれほどまでに必要とされる人材なら、そのスキルを持っている人はこれからを生き抜く上で困ることはない。これからの人生の成功者を育成するために、早速「営業力養成講座」を開講しよう!
◆営業職は一番難しく、一番面白い
営業センスは天性のものだ、と思っている人は意外に多い。「自分は人と話すのが苦手だ」と思っている人もかなりいる。そもそも人間は新しい状況に出合うとストレスを感じる。動物の本能として危険を回避しようとするからである。特に日本人は安心感をもたらす神経伝達物質セロトニンを受け入れる受容体がヨーロッパ人など他民族に比べて少なく、新しいものに挑戦したがらない。平たく言えば「最初から営業が得意な人などほとんどいない」ということである。
かくいう私も同じであった。46年にわたり銀行員を続けてきた私は、事務、融資、国際、企画、システム、調査と多くの分野の仕事を経験してきた。しかし44歳で東海銀行バンコク支店長の職務を拝命し、ほとんど初めて営業の仕事を任されたのである。面談に際してお客様と何を話してよいのかわからない。この時のドタバタ劇については、「ニュース屋台村」2017年7月14日付の拙稿第93回「接待の流儀」をご参照いただきたい。
数々の経験を経て現在は「営業職が一番難しく、かつ面白い仕事である」と私は思っている。ところが、世の中には「自分は営業が苦手だ」と思い込んでいる人がかなりいる。そういう人は「自分にはそもそも営業センスがない」と話す。それが間違いの始まりである。最初から営業センスなど持ち合わせている人はいない。営業力を身につけるためには「少しだけ考え方を変え」「少しだけ努力」すればよいのである。
◆無知を恥じず、入念な事前準備を
それではどのように考え方を変えれば良いのであろうか? これには二つのポイントがある。第一に、自分の無知を恥じないことである。若いときには他人に馬鹿にされないように「知ったかぶり」をすることがよくある。また「同僚・友人より自分の方が偉い」とばかりにマウントを取るため、知識をひけらかすことがある。私も過去60年以上にわたり、こうしたことをよくやってきた。いや、いまだに時々やっている。ただ、世の中は知らないことであふれている。人間、一生かかっても知りえることには限りがある。いやほとんどのことが分からないまま一生終えると言っても過言でない。
だからこそ、新しいことを知ることに、私は喜びを感じる。また、知らないことを「教えてください」と素直に言えるようになった。お客様と面談をする時も同じである。お客様の会社のことや製品については、当然のことながらお客様のほうが良く知っている。だから私は面談に際して、お客様に会社のことをいろいろ教えてもらい、可能であれば工場を見せてもらう。そうすると、お客様は喜んで自社のことを説明してくれる。自分の一番わかっていることをしゃべればよいのである。銀行員のしち面倒くさい経済の話を聞くよりは、お客様にとってずっと心地が良い。そうこうするうちにお客様の会社や製品のことがわかってくると、お客様と同じ土俵の上で話ができる。お客様と他社の工場の違いなどを語れるようになれば、もうしめたものである。営業トークの基本は、お客様に色々教えてもらいながら、相手の得意な話題に乗っていけばよいのである。そのためには、お客様に頭を下げて「知らないことばかりなので教えてください」と頼み込むのである。
考え方を変える二つ目のポイントは「訪問前に面談で話すことを用意する」ことである。面談をするということは、お客様と自分の重要な時間を消費するということである。「こんにちは、さようなら」だけの無為な面談は時間の浪費である。しかし多くの営業職は雑談ばかりの「こんにちは、さようなら」しかやっていない。だから「雑談が得意な人は営業センスがある人」なる方程式が生まれてしまうのである。
雑談が得意な人は面談時に間が持つかもしれないが、雑談からは本当の商売は生まれない。商談に結び付く面談は、有用なプレゼンがあって初めて成立する。常にお客様の心に響く情報提供、顧客紹介、商品案内などを準備して訪問を心がけてほしい。私はこのために日頃からたくさんの資料を用意している。資料でなくても新聞や雑誌の切り抜きでもよい。とにかく相手にアピールできることを準備する。さらにはお客様から聞きたいこともリストアップしておく。こうすることで面談の予備訓練ができるのである。
心理学では「人は業務遂行する際には事前にイメージを作っておくと成功する確率が高くなる」ことが実証されている。面談に際しての事前準備は面倒くさいかもしれないが、営業の効率性はずっと高まるのである。
◆自分の会社の商品を知る努力をしよう
次に「少しだけの努力」について説明しよう。その努力とは、自分の会社の商品を知ることである。この当たり前のことをほとんどの人ができていない。競合他社との商品を比較して自社製品の長所、短所を明確に言える人はかなり少ない。例に挙げて申し訳ないが、私たちバンコック銀行に出向してくる提携銀行の人たちも同様である。提携銀行はいずれも日本の有力な銀行であり、その中でも優秀な人たちがバンコック銀行に送り込まれてくる。日本で営業職の経験を積んでいるケースも多い。それでも銀行の商品や仕組みを理解していない。このため私たちはわざわざ6か月間の研修期間を用意して、彼らに徹底的に銀行業務を教え込む。
勉強する内容はタイの銀行業務や商品についてだけではない。日本や米国などと比較して各商品の違いを洗い出す。こうした過程で日本の銀行商品についても理解できていないことが明らかになる。バブル崩壊以降、業績が低迷する日本の銀行は行員教育に十分な時間が割けず、新人でもすぐに現場の支店に転出させる。また「働き方改革」によって、職場に残りじっくり考える時間も当てられない。長らく日本経済の発展を支えてきた日本企業の「社内教育制度」が崩壊してきていると感じる。
同僚である提携銀行の行員を例に挙げたが、一般企業の営業の人たちも同じことである。バンコック銀行ではお客様の業務支援のため、顧客間のビジネスマッチングも推進している。具体的には商談会の設営や後援などである。当初のころの商談会はお客様のブースを設置して、来場客がこのブースをのぞいていく展示会方式であった。しかし、商談の成約件数を増加させるため、ここ10年ほどはお客様の希望を事前に聞き、マッチングできそうな面談を個別にアレンジしている。それでも商談の成約件数は思ったように伸びてこない。この商談会を実際に仕切っている担当者に聞くと、「商談の場において、売る側も買う側も積極的に話をしない」と言う。どうもお見合い状態になっているようである。この大きな要因に「企業担当者の勉強不足がある」と言う。「自社の製品を商談先に十分に説明できない」「相手先のことを何も知らないで商談に臨んでいる」。実際にはこうしたことが起こっているようである。
こう聞くと、私にも思い当たる節がある。在タイ日系企業には営業担当者が派遣されているケースが多い。しかしこれらの営業担当者は、自動車会社や電機会社などのメーカーの「お守(も)り役」でしかない。営業担当者の最も大きな仕事が「苦情処理係」なのである。何かトラブルが発生した場合、いの一番で取引先メーカーに駆け付け、頭を下げる。取引先の怒りを収めた後、工場で対応策を検討する。これこそが最も重要な営業職の仕事である。このため、営業職の人は日ごろから取引先の人の接待を繰り返す。何か問題が起こったとき、穏便に問題が解決できる人間関係の構築に努めているのである。こうしたことばかりしていれば、営業職の本来の仕事である「新規顧客の発掘」などままならない。まずは営業職としての本来の仕事を思い出し、自社製品の勉強からしてほしい。
◆バンコック銀行の新人教育システム
最後に少しだけ、バンコック銀行日系企業部の新人教育システムについてご紹介したい。提携銀行からの出向者を含めバンコック銀行日系企業部に配属された人は、当初半年をかけて徹底的にバンコック銀行の商品を勉強する。タイ人も日本人も、である。当然言語は英語で、毎回宿題を与えてはその回答に対して先生役が徹底して質問をする。本稿で述べている「自社製品に関する知識の習得」である。こうした作業を通じてレクチャー生は自分の知識のなさを実感する。自分の無知を自覚することによって、素直に人にものが聞けるようになる。
またこの半年の間にレポートを書いてもらうが、この過程で科学的に考える訓練を徹底的に行う。このレポート書くことにより、部員が何事にも問題意識を持って対処する態度を身につけることを期待している。さらに6か月間の研修期間を終えて彼らが営業活動に出てからは、訪問件数と工場見学件数がノルマになる。工場見学をすることで、自然とお客様に教えを乞うことになる。部員の営業力が向上する仕組みを新人研修や営業活動そのものに組み込むようにしている。
ある提携銀行からの出向者が最近私にこう話してくれた。「私は企画畑の人間で、他の人と話をするのもさほど得意ではありませんでした。そのためバンコック銀行でお客様を訪問することに不安を抱えていました。でも今はお客様と話をするのが楽しいです。毎日お客様から何かを教えていただき、自分の成長を感じます」。そう話してくれた彼が、当部において営業成績面で素晴らしい成績を収めていることは語るまでもないことだろう。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第93回「接待の流儀」(2017年7月14日付)
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