小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住25年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
タイでコンサルタントをしている方から先日、「タイ人との離縁話の相談に来られる人が最近増えてきた」という話をうかがった。「離縁話」と言っても個人の話ではない。タイのファミリー企業と共同で設立した在タイ日系企業の日本人経営者から、「タイ側株主を排除したい」との相談を持ち込まれているというのである。
なぜこのような相談が増えているのだろうか? また、こうした事態をどのように考えればよいのだろうか? 私は今年6月8日に日本貿易振興機構(ジェトロ)とチュラロンコン大学サシン大学院の共催セミナーで「タイのファミリービジネス企業と日本企業の付き合い方」というテーマで講演をさせていただいた。今回はその講演内容も踏まえながら、タイの日系企業で起こっている出来事についてお話ししたい。
◆通貨危機で直面した苦難の歴史
タイはほかのアジア諸国と比べて、海外からの投資を上手に誘致して自国産業の底上げに成功している国である。しかし、現在のような姿になるには大きな紆余(うよ)曲折があった。私が東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)バンコク支店長として初めてタイに赴任したのは1998年4月。97年7月に発生したアジア通貨危機による苦境のまっただ中で、国内経済は瀕死(ひんし)の状態であった。当時のタイは、海外からの直接投資は当該企業の総資本の50%未満に義務付けられ、国内産業保護の姿勢が鮮明であった。一方で、外国為替相場は米ドルとの準ペッグ制(固定相場)を採用。国内金利を米国より高く設定することにより、金利差利益を狙った海外からの投資を誘致する政策を採用していた。
しかしこうした単純な投資誘致政策は、ジョージ・ソロス氏などの投資家が大掛かりに運用した当時のヘッジファンドの格好の餌食(えじき)となり、膨大なタイバーツの投げ売りにあってタイ経済は破綻(はたん)を来した。
タイ政府は97年7月1日の銀行休業日を利用してタイバーツの変動制移行を発表。ところが、タイバーツはそれ以前の1ドル=2.5バーツから98年1月には1ドル=5.7バーツと半分以下に価値が下落したのである。海外から多額のドル建て借り入れを行っていた国内金融機関や民間企業は、ドル建て債務のバーツ引き直しにより債務超過に陥った。タイの銀行と金融機関の大半が実質破綻状況になり、タイ政府は一般市民の預金引き出しを制限。市中からはカネが消え、人々は職を失った。タイ経済は一瞬にして奈落の底に落ちたのである。
私がタイに赴任した98年4月の時点で、タイにある日系企業は約1800社といわれていた。もちろんこれら1800社の日系企業は当時のタイの資本規制から、日本からの資本が50%未満の企業であり、マジョリティーはタイ側パートナーが保有していた。こうした日系企業のうち、輸出業務主体の電子部品関連企業などは、通貨危機以降のバーツ安の恩恵を受けて利益が増大した。
しかし、タイ最大の産業である自動車産業は、国内販売を主目的としていたため業績が大幅に落ち込んだ。96年に58万9千台あった国内の自動車販売台数は、98年には18万7千台と約2割の水準まで激減したのである。日本で自動車産業の集積地である愛知県を本拠とした東海銀行のバンコク支店長として赴任した私は、お客様の惨憺(さんたん)たる状況に声も出ないほどであった。売り上げ不振に加え、本社からの材料購入で発生した円建ての長期買掛金のバーツ通貨への洗い替えも在タイ日系企業の業績悪化に追い打ちをかけ、自動車部品を取り扱う日系企業の大半は債務超過企業に転落した。
◆「確実に収益が見込める拠点」に変貌
こうしたタイ子会社の苦境を見て、当時まだ余裕のあった日本の親会社は製品の本社引き取りや日本からの材料費引き下げなどで支援をした。しかし債務超過となった在タイ日系企業の「資本の補填(ほてん)」は親会社からの増資しかない。日本の親会社は財務的余裕があったが、タイのパートナーはアジア通貨危機で財務体力を失っており、増資に応じる余裕はなかった。
このままでは多くの企業が倒産していってしまう。背に腹を代えられぬタイの政府は、まずタイ投資委員会(BOI)の認可企業について特例扱いで日本の親会社単独での増資を認め、外国企業が過半数以上を出資するタイ子会社の存在を認めたのである。さらに2000年3月には外国人事業法を全面的に改正し、製造業は原則外国人が過半数以上を出資できるようにした。
この外国人事業法の改正は、タイで活動する日系企業の仕事の在り方を抜本的に変えることになる。アジア経済危機以前の在タイ日系企業は日本側パートナーが営業と製造を担当、タイ側パートナーが人事と経理を担当するという区分けが一般的であった。タイの法律に不慣れでタイ社会へのアクセスも十分でない日本企業にとっても悪くない役割分担であった。
ところが、階級社会でかつ近代的経営手法を持っていなかった当時のタイ側パートナーは、当該企業の幹部に自分の親類縁者を送り込む。また経理作業では、銀行口座の残高だけを気にする「究極のキャッシュフロー経営」に終始したのである。
適正な人事や管理会計が導入されないタイの日系企業はなかなか黒字化できない状況にあった。これがアジア通貨危機を経て大きく変わったのである。日本の親会社単独の出資によりタイ側パートナーが退場すると、タイの子会社に管理会計と適才な人事制度を導入。働いた人を正当に評価するだけで従業員の働きぶりは目を見張るほど改善し、管理会計によって製品別や部門別の採算把握ができるようになった。
もちろん、これだけではタイの日系企業の業績は回復しない。01年2月にタクシン・チナワット氏がタイの第31代首相に就任すると、30バーツ医療制度などの社会主義的な政策とともに、実業家的な発想でFTA(自由貿易協定)を利用した貿易戦略や海外投資の積極的な誘致を行った。さらに時を同じくして02年には、トヨタが戦略的商用車IMV(1トンピックアップトラック)のタイ拠点化、06年には小型車導入促進のためのタイ政府による税制優遇政策が功を奏し、タイはアジア通貨危機の痛手からの急速な回復を果たした。タイの日系子会社は日本の親会社から見て「確実に収益が見込める拠点」へと変貌を遂げたのである。
◆タイ子会社への関与深める日本の親会社
08年にリーマン・ショックが起こると、こうした現象がより鮮明になってくる。リーマン・ショックで欧米諸国が傷付く中、日系企業の欧米向け売り上げも伸び悩み、いつの間にか東南アジアは日本企業にとっての儲け頭になってしまったのである。さらに11年3月11日の東日本大震災による日本の停滞も追い打ちをかける。いつの間にか「タイ1本足打法」なる造語も語られるようになった。
こうなると、日本の親会社もタイ子会社への関与をますます深めてくる。タイ拠点には日本人の駐在者として「本社のエリート」が送られてくる。在タイ日系企業の業務運営がガラス張りになり、日本本社から直接監督されることになった。
こうした中で浮上しているのが、冒頭の「離縁話」である。業績低迷に苦しむ日系企業の本社が「何とか収益を最大化したい」と望むのも分からない話ではない。そこで目につけたのが、タイ子会社からタイ側パートナーを外す動きである。
しかしそうした動きをする本社の論理に対して、私は何となく釈然としない気持ちを持つ。「現在の在タイ日系企業は日本側パートナーだけで作り上げてきたものなのだろうか?」「当初の会社設立の経緯やタイ法人運営の歴史を捨象して、一方的に本社の理屈だけを押し付けていないだろうか?」。さらにタイ法人の日本人責任者からは「タイ側パートナーは収益に何も貢献していない」「何もしない人に株主配当を払うのはもったいない」「タイ側パートナーの世代交代で意思疎通ができなくなった」などの声を聞く。日本側親会社から収益向上を強く求められている日本人現地責任者だからこその声なのだろう。
しかし、こうした考え方はあまりにも日本側の論理にぶれているのではないだろうか? 「そもそも株主の役割は何なのだろうか?」「株主が当該会社の収益に直接貢献する責務を負っているのだろうか?」。どうも論理が飛躍しているように思えてならない。
◆タイの友人から聞こえる日本企業への不満
こんな状況をタイ側パートナーはどのように見ているのだろうか? タイに25年もいると、いつの間にか何人かのタイの友人ができる。繰り返しになるが、25年前の日系企業はタイ側パートナーが過半数を持っていた。銀行員としてタイに赴任した私は会計人事を担当するタイ側パートナーとも直接交渉せざるを得ず、こうした財閥の人たちと自然に交友関係ができ上がった。現在は仕事で直接お話しする機会は減ったが、友人としてお付き合いしている有名財閥の人たちが何人もいる。
こうした人たちから聞こえてくる声は、在タイ日系企業の日本人責任者から聞こえてくるそれとは全く違うものである。「タイ子会社に赴任してくる日本人3~5年でくるくる代わり、満足に意思疎通ができない」「日本人責任者はタイ語も満足にしゃべれず、何の情報も教えてくれない」「日本の親会社は意思決定が遅く、提言などしてもたなざらしにされる」――。タイ側パートナーからこうした声が出ていることを、日本の親会社の方たちはご存知だろうか?
もちろん、現在もタイ側パートナーと上手に付き合っている日本の会社があることは私も知っている。決してすべての日系企業に当てはまる話ではない。もし誤解があったらお許しいただきたい。ただ、多くのタイ人からこうした声を聞いているのも事実なのである。
◆「タイ専門家」育成が急務
ここで、私はタイで業務を続ける日系企業に一つ提言したい。本稿でこれまで見てきたように、日本から見た在タイ日系企業の役割は時代状況によって変化してきた。タイで25年生活してきた私は「タイの発展と進歩」を実感している。人々は裕福になり、日本料理やイタリア料理などおいしい料理を普通に食べている。街は高層ビルに囲まれ、ショッピングセンターはブランド品を持った人たちであふれている。タイ企業も発展し、いまや日本へ進出している企業も多い。
こうした中で、「在タイ日系企業の位置付けも変わらなければいけない」と私は考えている。多くの在タイ日系企業は相変わらず「低コストの生産拠点」の役割から脱し切れていないように見える。例えば採用に際して、優秀な学生たちは在タイ日系企業の賃金テーブルの間尺に合わず、タイ企業や欧米企業に流れていくのが実態である。早急に在タイ拠点の位置付けを変え、タイ側パートナーと組んで「付加価値の高い業務」あるいは「タイに即した新たな業務」を模索していく時である。
新たな挑戦は多様性の中から生まれることは歴史が証明している。日本人とタイ人は、親和性はあるものの相違点も歴然としてある。こうしたことが理解でき、タイ人と個人的な信頼関係を構築できる「タイ専門家」を育成していく必要がある。今こそタイからの発信の業務を仕掛ける時である。
タイ側パートナーを決して侮ることなかれ。米フォーチュン誌が取り上げる「10億ドル以上の大金持ち」はいまや、日本人の44人に対してタイ人は57人と日本人よりずっと多いのである。こうしたタイ人の大金持ちからそのノウハウを教えてもらうのも悪くないと考えるのだが……。
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