小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住21年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
このところ、タイ政治の動きは極めて遅い。今年3月24日に行われた民政化移行の下院議員選挙も、その最終結果がタイ選挙管理委員によって発表されたのが5月8日である。その間に新国王の戴冠式があったとはいえ、1カ月以上の時間を要した。
更にこの選挙結果を受けて上下両議院で首相指名選挙を実施し、軍事政権で首相を務めていたプラユット首相が新首相に再選出されたのが更に1カ月後の6月5日。新内閣の布陣が確定したのが、また1カ月後の7月10日。こうして発足したプラユット氏を首班とした民主化内閣であるが、9月を迎えたこの2カ月間にわたりほとんど何の実績もない。
今後、タイの政局はどのようになっていくのであろうか。また、タイにいる日本人ならびに日本全体にとって最も関心の高いタイ経済はどのようになっていくのであろうか。20年以上にわたりタイに住み、タイの政治・経済状況を体感してきた私の眼から見た考えをお伝えしたい。
◆民主党の惨敗と新未来党の躍進
まず、3月24日に行われた下院選挙の結果から振り返ってみよう。
今回の下院選挙では、各種メディアが予想した議席数とは大きく異なるものとなった。選挙公示前に私が聞いていた予想数は以下のものであった。
すなわち、タクシン派が下院選挙で過半数を獲得するとともに、他党と連立して首相指名に必要な上院・下院合わせて750議席の半数である375議席をうかがう勢いであるというのである。
2018年9月28日に結党した親軍政党である国民国家の力党は、当時の工業大臣であるウッタマ・サーワナヨン氏(現財務大臣)を党首にし、ソムキット・チャトウシーピタック副首相に近い人々で選挙活動を行っていた。政治に不慣れな人々に加え、結党まもなく政治基盤も脆弱(ぜいじゃく)なことから、当初は苦戦を強いられた。しかしタクシン政権下で副首相などを務めたソムサック・テープスティン氏やスリヤ・ジュンルンルアンキット氏が国民国家の力党に合流し、元タクシン派議員や民主党議員に働きかけ、50人以上の議員が同党に参加した。
選挙戦中盤には、政治亡命中であるタクシン・チナワット氏による「秘策」が発表される。現ワチラロンコーン国王の姉であるウボンラット王女のタイ国家維持党(タクシン派の政党)党首就任である。しかし、2日後、国王は「王室による政治参加は好ましくない」と発言し、ウボンラット王女の国家維持党党首の就任が見送られるとともに、国家維持党自体が憲法裁判所により解党の憂き目にあってしまう。この解党を受けて、選挙の流れは大きく変ってしまう。
下院議員選挙の結果のふたを開けてみれば、得票数で国民国家の力党がタイ貢献党を上回り、第1党の座を獲得した。議席数では、タイ貢献党が136議席と第1党となったものの、当初予想に比べ大幅な議席減となった。また、得票数で、国民国家の力党が第1党になったことにより、親軍政権に「国民支持」という錦の御旗を渡すことになった。
次に驚くべき結果となったのが、民主党の惨敗と新未来党の躍進である。そもそも、民主党はバンコクならびに南部に移住してきた潮州系華僑を支持母体として発足した政党である。潮州系華僑の政治的発言力を高めるために作られた政党であり、もともとのタイ人に対しての抵抗勢力であった。ところがタクシン氏の登場以来、強大となったタクシン派に対して距離を置き、たびたびタイ人エスタブリッシュと共闘してきた。
今回の選挙では、民主党内で親軍派と反軍勢力とで内部抗争が行われた。民主主義的思想を強く持つバンコクの学生ならびに知識階級の人々はこうした民主党の動きに失望。その票が新たな民主主義の旗手としての新未来党に流れてしまった。結果として、民主党はバンコク首都圏で惨敗。党首として長期間民主党の顔であったアピシット・ウェーチャチーワ元首相は、党首を辞任するとともに民主党を離党した。また、南部中心となった民主党議員たちは、政権内での政策遂行と利権の配分を求めて親軍政権に与(くみ)することとなった。更に新未来党は、解党されたタクシン派の国家維持党の票の受け皿となり、当初の予想を大きく上回る大勝となったのである。
◆比較的長期の政権になるとの予想も
こうした選挙結果を踏まえて、首相指名選挙が実施された。国家国民の力党、民主党、タイ誇り党の支持を得たプラユット首相と、タイ貢献党の支持を得た新未来党の党首であるタナトーン・ジュンルンルアンキット氏で争われたこの選挙は、500対244の票数でプラユット首相の勝利で終わった。反軍政党は下院でも過半数に達しなかった。
さてそれから、また一悶着(もんちゃく)あったようである。最も重要な内務大臣、財務大臣、防衛大臣は、あらかじめ国民国家の力党で押さえることが決まっていたが、それ以外の大臣ポストは政権政党内での奪い合いになった。結果として、南部の農民政策やバンコク南部への政策を担う農業大臣と商務大臣のポストは民主党が獲得。利権が多く絡む運輸大臣と保健大臣はタイ誇り党が獲得した。利権が多いエネルギー大臣のポストは何人かの人によって争われたが、最終的には東部経済回廊(EEC)などの経済政策に不可欠とのことで、ソムキット副首相のグループであるソンティラット氏に落ち着いた。プラユット政権の主要閣僚は以下のとおりである。
この政権は一体どのくらい持つだろうか? この質問を私の周りの多くの方に向けてみたが、面白い結果となった。現政権を支持し投票した人たちからは、1~2年の短期政権になるという悲観的意見が多く聞かれた。その理由としては以下のようなものが挙げられる。
①本内閣が各党の寄せ集めであり、各党の利権争いで瓦解する
②プラユット首相は軍人であり、命令をすることしか知らない。また、経済政策チームも一枚岩ではないため、有効な策を打てない。このため、新内閣は政策を動かすことが出来ず、民衆の心が離反する
一方で、現政権に距離を置いている知識階級の人たちは「反対勢力は現政権を攻める手立てがない」として、比較的長期の政権を予想しているようである。
歴史をひも解くと、タイの政治史上で文民首相が頻繁に登場するようになるのは、1990年代からである。これ以降、現在に至るまでの選挙以外の政権交代の要因を考えてみると、①学生運動②軍事クーデター③憲法裁判所による司法判断④連立政権内の権力争い――の四つに集約できる。このうち軍人色の強い現政権が倒れる可能性があるものは、上記の①と④である。
しかし豊かさ・相対の自由を享受し始めた現代のタイの学生が政権転覆を図るような学生運動を起こすとは思わない。また、1992年に学生運動が大きなうねりとなったのは、軍部が分裂し、一部軍人が学生側に付いたからだと聞いたことがある。こうした条件が現在整っているかと問われれば疑問である。
それでは、連立政権内の権力争いはどうだろうか? 今回、連立政権側にある民主党もタイ誇り党も単独で政権を目指すほどの実力はない。一方で、現政権下で両党とも当初望んでいたポストを得ている。こう考えてみると、内部分裂によりみすみす自ら利権を手放すような行動に出るとは思えない。プラユット新内閣が長期政権になるというのはあながち確度の低い予想ではないかもしれない。
◆懸念材料は陸軍内部の地殻変動
しかし、私が唯一心配していることがある。それが陸軍内部の地殻変動である。今回の内閣組閣でプラウィット副首相が国防大臣の職を解かれた。「東部の虎」と呼ばれる勢力の創始者であり、陸軍司令官を務めた後も厳然として権力を保持していたプラウィット副首相の力が衰えているようである。昨年10月に指名された陸軍司令官は「東部の虎」の対抗勢力である「ウォンテーワン」から選ばれた。陸軍内部の抗争が表面化することはないだろうが、「東部の虎」出身の軍人が大勢を占める現内閣の求心力が弱まり、政権基盤が揺らぐ可能性も否定できない。
それでは、この20年間にわたりタイの政治の中核にあったタクシン元首相およびタイ貢献党はどのような行動を取るであろうか? まず、タクシン氏がここ数年の間にタイに帰国することはきわめて困難なようである。タクシン氏はタイ国内においては法律上の犯罪者であり、政治的恩赦が無ければ帰国が難しい。2014年、タイ貢献党で自身の妹であるインラック政権時代、タクシン氏の恩赦による帰国が画策されたようである。
この時の恩赦の条件は、「半年間だけタクシン氏が刑務所に収監される」というものだったようである。ところがタクシン氏はこれを拒否。更に、自身が経営していた携帯電話会社AIS売却に伴い、追徴課税を受け国に没収された450億バーツの資金の返還を要求した。結果的には、この交渉は決裂し、タクシン氏の帰国はかなわなかった。
今回タクシン氏はタイ貢献党の党首に自身の親族ではないソンポン・アモンウィワット氏を選んだ。「現在のタイ貢献党の幹部はタクシン氏を喜ばせながら、上手にタクシン氏から金を出させている」という言葉を聞いたことがある。こうしたうわさがタクシン氏自身の耳に入っているからであろう。従来、タクシン派の運営にはタクシン氏の身内が深く絡んでいた。今回、タイ貢献党の党首がソンポン氏に変ったことは、当面タクシン氏は表立っての激しい行動を起こさないことの現われではないだろうか。捲土重来(けんどちょうらい)を期して次期選挙対策に専念すると思われる。依然として北部ならびに東北部で強い選挙基盤を持つタイ貢献党である。この基盤固めがタクシン氏の復活の可能性を秘めた現実的な策だと思われる。
◆一枚岩の迅速な経済政策を打ち出せないリスク
最後に現政権における経済政策について考えてみたい。前軍事政権時代に経済政策を一身に引き受けていたソムキット副首相のチームは、今回は財務省、エネルギー省、高等教育省とタイ投資委員会(BOI)管轄のポストを獲得したのみである。いずれも重要省庁ではあるが、それ以外の省庁への影響力の行使は限定的である。工業大臣は、同じ国民国家の力党のスリヤ氏であるが、スリヤ氏は大物政治家であり、ソムキット氏の言いなりとはならないと考えられる。このようにソムキット氏の影響力が限られる中で、ソムキット氏は従来から力を入れている東部経済回廊(EEC)の開発ならびに新産業誘致に一層注力することであろう。
一方、多くの経済専門家が現在の最重要課題と考えているものに農業政策がある。バーツ高の影響もあり、農産品の売れ行きは芳しくない。農業の不振により地方に金が回らないことからタイ国内の貧富の差が拡大している。農民を豊かにしなければタイ経済全体の底上げが出来ないのが現状である。
この農業政策を中心的に担おうとしているのが民主党である。農業政策については現政権内で意見の食い違いがあり、すり合わせに時間がかかっているようである。しかし元々、現政権内で唯一、農業政策へのノウハウ、スキルを持っているのが民主党である。また、民主党は今回の選挙で惨敗しており、失地回復のためにも商業大臣の権限とあわせて農業政策に本腰を入れるものと期待している。
日本企業ならびに日本政府にとって、今後新しい付き合い方を模索していかないといけないのがタイ誇り党である。タイ誇り党は今回、運輸大臣、保健大臣、更に通商政策を担当する商務副大臣のポストを得た。鉄道・道路などのインフラ整備や対外通商政策などにつては、従来の施策が継続される保証がない。連立政権との付き合い方の難しさを覚悟しなければならないだろう。
米中貿易戦争や英国の欧州連合(EU)離脱問題など、全世界が荒波にのまれる中、一人タイだけがこの混乱の蚊帳(かや)の外にいられることはありえない。困難な経済環境の中で、多党間の連立による新政権であるがゆえに一枚岩の迅速な政策を打ち出せないリスクがあり、今後のタイ経済にとっては大きな心配事である。
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